教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

このブログでの取り扱い番組のリストは以下です。

番組リスト

9/22 NHK 歴史探偵「指揮官 土方歳三」

高い近代戦指揮官としての能力を有していた土方歳三

 今回の主人公は「幕末イケメン」として腐女子を中心に根強い人気のある土方歳三。彼が陸軍指揮官として非常に優れた能力を有していたという話。

 土方がその指揮官としての高い能力を示した典型的な戦いが、戊辰戦争における二股口の戦いだという。これは江差方面に上陸して五稜郭向けて進軍してきた5倍の兵力の新政府軍を山岳戦で撃退したという戦いであり、この戦いの内容を検討すると土方がいかに優れた戦術能力を持っていたかが分かるという。

 番組ではレポーターとして石橋亜紗が二股口の戦場を視察に行っているが、これが典型的な山城攻略。千田さんならテンション爆上がりだろうが、石橋アナにとっては仕事とはいえキツいだろう。しかもやはり北海道ということもあり、熊鈴を装備の上でライフルを持ったハンター同行である。山城攻略に慣れている者なら「かなり整備されていて見学しやすそうだな」と感じる道筋だが(私の目にはまるでハイウェイのように映る)、山城初心者なら「ひどい山道」って感想だろう。

 

 

胸壁を用いての機動戦

 ここで土方は新政府軍を待ち受けたのだが、ここに彼が設置したのが胸壁に散兵抗。要は土を掘ってその土を手前に積んで弾除けの土塁にしたというわけである。ここで上から待ち受ける土方勢は谷筋を進んでくる新政府軍に比べるとその時点で圧倒的に有利である。この跡が150年後にもほぼ手つかずで残っているというのが驚きである。

 当然のことながらこのような胸壁は一カ所ではない。このような胸壁を尾根筋に多数作ったわけである。で、その数をまたも千田さんが問うんで来そうな赤色立体地図を作成しているが、13カ所も見つかったという。そしてその配置は十字砲火が出来ることを考えてのものになっている。土方はこれらの胸壁を敵の動きに合わせて兵を移動させて十字砲火で狙い撃ちしていたわけである。

 これらの設備を土方は新政府軍の上陸地点が分かってから作っているので、2日で作成している。なぜこんなことが出来たといえば「土方(ひじかた)だったから」って番組では言っているが、これって実は放送禁止用語である別読みを指してるんじゃないかって気がしてならないが(わざわざここで「土方」って文字を大出ししてるし)、まあそれは放置しておく。分かる人だけ分かれば良いって小ネタだろう。そう言えばもろに「土方歳三は土方だった 多摩川の河川敷で土砂を掘っていた」と歌う「大嘘新撰組」って歌が山本正之の曲であったな・・・。この曲がふざけた笑えるものなのに、よく聞いていると実は切ないという。

 

 

土方が近代指揮官に脱皮した経緯

 ただ剣豪のイメージがある土方がなぜこのような近大戦術に長けていたかだが、実は土方は銃の重要性に気づいており、新撰組を近代的な軍隊に再編成しようとしていたという。しかし鳥羽伏見の戦いでは兵器の差で敗北したという。土方らが使用していた旧型のゲベール銃と違い、新政府軍が使用していたミニエー銃は、ライフルリングのある新型の銃であり、ライフルリングで弾丸を回転させることによって銃弾の直進性を高めてあり、命中精度が劇的に向上しており、ゲベール銃が100メートル以内ぐらいしか有効に使用できないのに対し、ミニエー銃は300メートルでも十分に命中させられるという。これだけの兵器の違いがあれば戦術云々のレベルでなく敗北を強いられることになったのだという。

 鳥羽伏見で惨敗した土方は旧幕府軍の精鋭である伝習隊と合流する。土方はここでフランス人の軍事顧問から近代戦術の基本を学ぶ。こうして近代戦の指揮官への道を歩み出したのだという。この時に土方は剣や槍は戦場では役に立たないと言いきった。攘夷論者でありながら、異人から学ぶ柔軟性を有していたのだという。

 

 

二度にわたって新政府軍を撃退したものの、五稜郭の戦いで戦死

 この戦いで600人の敵軍を130人で迎え撃つことになった土方は、まず二股口の先の天狗岩に一部の兵士を送り込んで攻撃させ、これを敗走させることによって敵を二股口に引き込み、ここで十字砲火を浴びせたのだという。新政府府軍は大混乱に陥り大損害を出す。土方は敵の動きに合わせて自由に動き回る散兵を用いて敵を翻弄したという。しかしこの戦術を有効に活かすには指揮官の高い能力と、将兵との信頼関係が重要であるという。この攻撃に対して新政府軍が急遽建設した胸壁も残っているという。土方はこの日、3万5千発の銃弾を浴びせて、新政府軍を撤退に追い込んでいる。

 その一週間後、どうしても二股口を落とそうと新政府軍は1000人に増員して押し寄せてくる。これを土方は増員した300人で迎え撃つ。この時に新政府軍は南側に回り込んで胸壁に対して横からの攻撃を試みる。土方は逃げようとする部下押しとどめると、事前にこの攻撃に備えた胸壁からの迎撃をさせたという。これは半年前に敵の奇襲で壊滅的打撃を受けた敗戦から学んだものであるという。結局は新政府軍の奇襲は失敗する。土方は時には剣を抜いて兵士を鼓舞し、また陣地を回って酒を振る舞うなど兵士との信頼関係も結んでいたという。

 しかし別の方面が新政府軍に突破され、絶望的な五稜郭の戦いの中で土方は敵に攻撃をかけてそこで戦死する。そして幕府軍も降伏する。

 

 

 以上、イケメン土方について。大河ドラマがちょうど五稜郭の戦い終了のところなのでそれに合わせて持ってきた内容でしょう。新撰組はそもそもは武士に憧れた剣豪集団だったのだが、それだと近代戦では何の役にも立たないことを感じて、そこでさっさと銃撃戦中心の近代軍隊に切り替えていったという柔軟性はなかなかに頭の切れる人物であったということを感じさせる。

 日本では賊軍の方にこのような柔軟性のある戦術家がいたというのに、だんだんと軍隊自体が思考硬直に陥っていって、ついには第二次大戦でのどうしようもない大敗北に結びついていくんだから、どうも日本においては平時における組織構造に問題があるように思えてならない(上に対する忖度力だけで無能ほど出世してしまう)。

 土方がもし生き残っていたらという話があるが、彼のようなタイプは結局は生き方を失ったのではという気はするな。最後には土方は明らかに死に場所を探していたってところがあるから。土方を初めとして新撰組ってそもそもは武士でないんだが、最後まで一番武士としての生き方ってのにこだわったのは彼等だったんだよな。この辺りが世襲の馬鹿息子共と違うところ。

 

 

忙しい方のための今回の要点

・土方歳三は5倍の新政府軍と戦った二股口の戦いで、野戦陣地である胸壁を利用した巧みな近代戦術で、圧倒的多数の新政府軍を2度に渡って撃退している。
・土方は尾根筋に13カ所にも渡って配置した胸壁を使っての機動戦を実施し、敵軍を寄せ付けなかった。ここには彼の高い近代戦指揮官としての能力を示している。
・土方はこのような近代戦指揮官としての戦術を、伝習隊に合流してからフランス人の軍事顧問から学んだと見られる。これは攘夷論者でありながらも、異人から学ぶべきことは学ぶという土方の柔軟性を示している。
・しかし結局は別方面が突破されたことにより、土方は撤退に追い込まれ、絶望的な五稜郭の戦いの中でかれは戦死している。


忙しくない方のためのどうでもよい点

・土方が単なる剣豪バカではなかったというのは最近専ら強調されているところです。鬼の副長と恐れられていた土方ですが、特にカリスマだった近藤が亡くなってからは、部下をまとめるためにその心を掴むということにも気を使った節も見られます。まあ部下にとっては頼れる上司だったんでしょう。

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