教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

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11/1 BS-TBS にっぽん!歴史鑑定「渋沢栄一の従兄弟 尾高惇忠と富岡製糸工場」

初代富岡製糸場場長になった尾高惇忠

 今回の主人公は尾高惇忠。大河ドラマに出てくる栄一の頭でっかちの兄貴である。田辺氏が「私も演じたことがあるので他人とは思えません」なんて過去形で言っているが、いや、あんたはもう収録終わったかもしれないが、現在放送中だから・・・とツッコミ入れたくなったが、リアルタイムで言っちまうと他の局の番宣になるからまずいのか? だけどそもそも尾高惇忠なんて主役で扱われるほどの大者でないので、明らかにあの番組への便乗なんだが。

 尾高惇忠は学問を身につけていたので、17才で私塾を開いて近隣の子供たちに学問を授けていた。その生徒の一人が渋沢栄一だったわけである。惇忠は「知行合一(知識と行為は一体だから、学んだ学問は実践すべしという意味)」を掲げていたという。

 惇忠が官に奉仕することになったのは、備前堀事件がきっかけだという。利根川から水を引く備前堀が浅間山の噴火で埋まってしまった時、新政府は利根川の氾濫を防ぐために別の水路を引こうとしたのだが、惇忠が備前堀の必要性を政府に訴えて政府がシン水路計画を中止したという件だという。この時の惇忠の訴えが理路整然として理に適っていたものなので、このような人材は政府に登用すべしとなったのだという。

 そして先に民部省に入っていた渋沢栄一が任されていた製糸場の建設について、養蚕にも通じている惇忠を起用することを考えたのだという。大河ドラマでは栄一が惇忠を民部省に引き込んだことになっていたが、この辺りは捏造っぽい。

 

 

製糸場建設に奔走する惇忠

 惇忠はお雇い外国人技師のブリュナと共に立地を調査して、富岡を選定する。その理由は周辺で養蚕が盛んだったこと、広い土地があったこと、用水が確保できたこと、石炭が近くで産したことなどだという。

 しかしいざ建設が始まったところで苦労することになる。フランス人設計士の書いた設計図は巨大な木骨レンガ造りであったのだが、当時の日本ではまだレンガやセメントの製造方法が知られていなかった。そこで惇忠は栄一に相談したところ、栄一は周辺の瓦技術を使えばレンガの国産化は可能なのではないかと考えたという。またセメントはなかったが、日本には漆喰があったのでそれをセメントの代わりに使ったという。また骨組みに使用する巨大な木材の調達の問題があったが、惇忠は樹齢500年の妙義神社の御神木に目をつけ、反対する神主や氏子たちに製糸場建設の必要性を訴えて説得したという。

 こして明治4年7月に富岡製糸場が完成、惇忠は初代場長に就任する。当時では最先端の巨大な機械製糸工場だったという。

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富岡製糸場(2013年撮影)

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繰糸所

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繰糸のための機械

 

 

工女集めに苦戦したが、ホワイト職場で優秀な工女を育成する

 しかし工場建設は終わったが、実際の稼働までに3ヶ月もかかってしまうことになる。それは工女を募集したのに集まらなかったからだという。全国各地から15~25才の若い女性を集めることにしたのだが、フランス人の飲む赤ワインが生き血だと誤解され、異人は若い娘の生き血をすするとの噂が流れてしまったのだという。惇忠は募集条件は30才までにして、食事支給や毎日の入浴など好待遇をアピールしたのだが、それでも工女は集まらなかった。そこで惇忠は14才の娘のゆうを呼び寄せて工女の第一号にしたのだという。これに刺激されて周辺の若い女性が工女に応募し、やがて全国から集まるようになったのだという(この辺りは大河ドラマでもやっていた)。

 製糸工場と言えば「ああ、野麦峠」などで知られるように女工哀史の世界で超絶ブラックというイメージがあるが、最初の官営工場である富岡製糸場は1日の勤務は7時間45分で休憩もあり、8月は労働環境が過酷になるので昼休みは4時間もあり、日曜祝日休みに夏休みや年末年始休暇もあるちゃんとしたホワイト職場であったという。また工女は能力給で技量に応じて月給は上がり、当時の女性の仕事場としてはかなり好待遇であったという。またた惇忠は教育の場も設け、習字や裁縫なども習わせるなど花嫁修業にもなるともてはやされたという。そしてここで経験を積んだ工女達は故郷に戻って民間製糸場の指導者となったのである。惇忠は巣立っていく工女達に「繰婦は兵より勝る」と言い、彼女たちのモチベーションを高めたという。

 

 

富岡製糸場の黒字化に奔走するが、政府方針に反して辞職することに

 富岡製糸場が生み出した生糸はウィーン万博で進歩賞牌を受賞するなど品質も認められ、日本の生糸輸出に貢献することになる。しかし富岡製糸場は巨額の赤字を抱えて惇忠は頭を悩ませることになったという。創業から3年で22万(今の価値で44億円)の赤字だったという。この赤字の原因の大きなものはお抱え外国人の給料だったという。そこでブリュナとの契約が切れたところで新たな外国人は雇わずに日本人だけで工場を運営することで経費削減したという。さらに繭の相場の値上がりを予想して繭を大量に仕入れてから高値で売りさばいて赤字脱出に成功したという。

 しかしこの後に惇忠は場長を辞すことになる。これは惇忠が繭の生産量を増やすために、それまでは春蚕という春に孵化した蚕から年に一回繭を取っていたものを、涼しいところで保管した卵を夏以降に孵化させる秋蚕に目をつけてこの普及に乗り出すが、それが病気防止のために春蚕しか認めていなかった政府の方針に反することだったという。しかし惇忠は生糸のためにクビをかけて秋蚕の普及に乗り出したのだという。また繭を大量に仕入れたことも危険な博打であると政府から強く批判されたという。これが決め手となって場長を辞任することになったという。しかし惇忠の辞任から2年後に秋蚕の飼育が認められることになり、日本の生糸の生産量も増大し、惇忠の正しさが証明されたという。

 

 

 以上、尾高惇忠について。大河ドラマの惇忠はどうも理屈倒れで、知行合一が完全に空回りしている馬鹿兄貴という印象だったが、実際の惇忠はなかなかにして立派な理念を持った人物だったというお話です。富岡製糸場がホワイト企業だったのは多分に惇忠の人間性によるものだったのだろう。

 なお富岡製糸場も後に民営化されるが、そうなった後は他の民営工場なみにブラック職場になったと聞いている。やはり野放しで資本家に利益を追求させるとろくなことにならないというのは古今東西真理である。

 

 

忙しい方のための今回の要点

・備前堀事件をきっかけに民部省に登用された尾高惇忠を、渋沢栄一が製糸場建設に起用しかたのは惇忠が養蚕の知識が豊富だったことによる。
・惇忠はフランス人技師のブリュナと共に製糸場の建設地を富岡に決定すると、製糸場の建築にかかる。しかしレンガやセメントが当時の日本にはなかったために苦労する。
・レンガは瓦職人たちが製造し、セメントの代わりに漆喰を使用。また建物の骨格となる木材には妙義神社の御神木を使用した。
・当初はフランス人が生娘の生き血をすするという噂が出たために工女が集まらなくて苦労したが、惇忠が自らの娘を工女として採用したことをきっかけに、全国から工女が集まるようになる。
・当時の富岡製糸場はホワイト職場であった上に、惇忠は工女達に教育までした。富岡製糸場で技術を身につけた工女達は、各地で指導員として活躍することになる。
・しかし富岡製糸場は赤字で苦しむことになり、惇忠はお雇い外国人技師の契約が切れた時に新たな外国人は雇わずに日本人だけで運営してコストを削減する。
・惇忠は繭の増産のために秋蚕の普及を目指したが、これが政府の方針に反したのと、製糸場の赤字を解消するために繭の高騰を睨んで大量に繭を仕入れて高騰後に売却するという方法を取ったことが批判を受け、富岡製糸場の場長を辞職する。


忙しくない方のためのどうでもよい点

・まあどんな組織でも、トップがキチンとした理念を持っているかどうかで従業員の処遇が定まるというところがあります。トップが竹中平蔵のような守銭奴だったら、従業員はひたすら搾取されるのみということになる。これからの日本は国が丸ごと、奴らに搾取されることになりそうだが。

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