アルバニアのオスマントルコの交易都市
ヨーロッパ南東部のアルバニアでは、オスマン帝国が築いた二つの交易都市が世界遺産となっている。
千の窓の町ベラット
一つは赤い屋根の住宅が斜面に並ぶベラット。国土の7割が山岳地帯のアルバニアでは町は渓谷沿いに栄えてきた。ベラットは町の中央に高さ100メートルほどの小高い丘があり、その上に赤い屋根の家が建ち、城壁がグルリと取り囲んでいる。これはベラット城と言い一周1.5キロ。山全体が難攻不落の城である。2400年前には既に賑わいがあったという。ここでは今も多くの人が暮らしている。石造り建物の間を細い路地がつなぐ今の街並みになったのは15世紀にオスマン帝国の支配下に入ってからだという。
ベラットの町はアドリア海に続く交通の要衝で渓谷沿いの斜面にも町が作られた。そこには赤い屋根に白い壁で同じ窓がいくつも並ぶために「千の窓の町」と呼ばれているという。これらは元々は交易商人の家だという。狭い土地に家がひしめいているので坂か続く狭い道では今でもラバや馬が使われている。この地は地震が多いために1851年に町が地震で壊滅した時に一階を石造りに二階を軽い木造にするようにしたのだという。木造は窓を大きく出来るし、床を張り出すことが出来るので、二階が迫り出した家が並ぶことになったのだという。
石の町ジロカストラ
ベラットから海に出ると塩田が広がる。これらの塩は内陸地域では黄金に勝る価値もあった。それを運ぶ交易ルートにある石の町がドリノ渓谷のジロカストラである。3世紀頃から交易都市として栄えてきた。この町を見下ろす高台にある要塞がジロカストラ城である。オスマン帝国が築き、500年前に今の形となったという。
周辺の町は石の町と呼ばれており、斜面に石造りの家が階段状につながる。グレーの屋根は板状の石を並べたものである。平らの土地もあるのにこんな斜面に町を築いたのは、かつて川沿いの平地にローマ時代のハドリアノポリスという町があったのだが、これが3世紀頃に川の氾濫で壊滅し、人々は水の来ない位置に移り住み、それが斜面の町のジロカストラになったのだという。
街並みの中に4階立ての塔のような家があるが、これは成功した町の有力者の住居だったという。この高さは富の象徴であると共に、4階には窓を開けて風通しを良くした天井の高い夏の住居、3階は熱が逃げにくいように天井を低くして二重窓に暖炉を儲けた冬の住居だったのだという。このような塔の家は20軒ほど残っているという。
忙しい方のための今回の要点
・アルバニアではオスマントルコが築いた2つの交易とし、ペラットとジロカストラが世界遺産となっている。
・ベラットは城壁に囲まれたベラット城を中心に斜面に赤い屋根の同じ窓の家が並んでおり「千の窓の町」と呼ばれる。この街並みは1851年の地震で町が壊滅した後、一階を石造りにして、二階を軽い木造で統一したことで成立した。
・一方のジロカストラはオスマントルコが築いたジロカストラの要塞を中心とする石の町である。斜面には石造りの壁に薄い石で葺いた屋根の住居が並ぶ。
・ここの川筋の平地にはローマ時代の斗氏が会ったのだが、3世紀に川の氾濫で壊滅、人々は水の来ない斜面に住居を構え今の町が出来たのだという。
忙しくない方のためのどうでもよい点
・同じ国の交易都市で、しかも共に城を中心とした町なのであるが、こうも対称的な街並みになるとは興味深いところである。それにしても驚くほどに街並みが揃っている。日本ではどうやってもなかなかにこういう町にはならない。
・そんな中で金持ちは高い塔のような家を作って自己主張するというのが興味深い。やっぱり偉くなると人を見下ろしたくなるようだ。
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