教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

このブログでの取り扱い番組のリストは以下です。

番組リスト

11/10 NHK 歴史探偵「ハードボイルド!応仁の乱」

足軽はモヒカンだった!?

 今回のテーマは応仁の乱だが、この乱はそもそもグダグダの内に始まり、それが当事者を変更しながらグダグダと続く内に両陣営の総大将がなくなってグダグダになってしまい、そしてグダグダが全国に広がってグダグダのまま社会秩序がぶっ壊れて戦国時代に突入してしまうという経緯を辿っているので、簡単には理解しにくい。そのことは以前の「ヒストリア」でも散々言っているのだが、この番組ではそのグダグダの乱を、この時代の社会変化としての「足軽の登場」に観点を絞って紹介している。ちなみに完全にアウトロー状態の乱を「北斗の拳」に喩えてしまっているのは例の悪ノリであって意味がなかったりするのだが、確かに足軽の無法ぶりはあれに登場するモヒカン軍団そのものである。

   
アマゾンで販売されている足軽装束(笑)
   
実際の装束はこんな感じだったんですが

 

 

 

足軽の強力な武器である槍

 そもそも足軽とはいかなる存在であるかだが、戦いを専門としていた武士と違い、争いで食いっぱぐれた農民とか、乱に乗じて一旗揚げてやろうと考えた輩とかが、まともな武装などはしていないので個々の武力は決して高くないが、ここでポイントとなるのは武器として槍の普及だという。使いこなすのにそれなりの訓練が必要な刀と違い、槍は誰でもいきなり使用が可能であり、しかも鎧を着た相手にでも殺傷力を持つ。この槍を持った足軽が集団戦で取り囲んで敵を攻撃するというのが基本だという。

 番組では例によって侍対足軽の対戦という意味のあるようなないような実験までやっているが、要は1対1で戦うと武術の心得のある侍が槍の懐に飛びこんで相手を倒してしまうが、これが侍対足軽が1対3になると、足軽1人が倒されてもその間に全員で取り囲んで侍を仕留めることが出来るということになる。これが集団戦の効果であり、この頃から日本の戦いのあり方が変わってきたのである。まあ相手がケンシロウだったらモヒカンが数十人集まっても、一瞬で「ひでぶ」か「あべし」で終わりだが、まあそんな無双な者は滅多にいないので、実際には勝負は数で決することになる。

 

 

足軽の報酬は「略奪」だった

 足軽をどうやって集めたがだが、足軽大将が足軽をかき集めて、丸ごと大名に雇われるという形になっていたらしい。実際に骨皮道賢なる足軽大将の記述が記録に残っているそうだが、元々は室町幕府の役人だったのだが、300人の足軽軍団を抱えて傭兵稼業をやっていたらしい。というわけで「世紀末足軽伝説 骨皮道賢」などとかなりの悪ノリが見られるがそれはどうでも良いところ。NHKとしては頑張っているが、残念ながら少しスベっている。

 なお足軽が大量に増えた最大の理由は「給料がいらない」からだという。そして報酬代わりに認められていたのが「略奪」である。まさにモヒカン軍団そのもの。そう言えばラオウが配下に給料配っているシーンなんて見た記憶が無い。

 当然ながら「奪え、殺せ、焼き尽くせ」の世界になるので社会は大いに乱れまくる。その混乱を見かねて「足軽禁止令」を出した寺院まであったらしい。この混乱で生活の糧を失う庶民もいるから、その連中がさらに足軽になってと足軽の拡大再生産が起こることになる。

 

 

足軽への対応が戦国の城郭につながった

 また足軽の登場は京の町にも変化を促すことになったという。そもそも応仁の乱とは京のご町内での争いのようなもので、西軍の陣地と東軍の陣地は400メートルぐらい(新幹線の1号車と16号車の距離と喩えていた)しかなかったという。そこで守備のために屋敷に堀を巡らせ、さらには櫓を設けるなどの要塞化が行われたという(これが後の戦国の城郭に結びついたと容易に推測できるが)。ちなみにこれらの建設に従事したのも足軽なので、彼らの略奪は金品のみならず、建材などにまで及んだという。

 さらにこの頃には飛砲火槍なる武器の記載が文書に見られるという。三眼銃なる鉄の筒を束ねたものに火薬を入れ、それに火を付けて弾の代わりに込めた石が砕けて飛び散るという武器が現在にも残っており、つまりこれが飛砲火槍の正体ではと推測されているとか。こういう武器も拠点防禦に使用されたらしい。

 このような中で都の住人はどうしていたかであるが、乱の終了後も足軽は各地に散って略奪行為を行い、さらには京に戻ってくることもあったのでそれに備えて京の町は堀と城壁で囲まれることになったという。こうして惣構えと呼ばれる防御装置が行われ、これが戦国時代の惣構えにそのままつながっているという。またこれらの足軽を大名は給料を払って配下に組み込むことになり、これが戦国大名の登場につながっていくわけである。

 

 

 というわけで今回は「Youはshock!」のお話でした。まあいささか悪ノリが目立ちましたがまあ許容範囲内か。むしろノリが中途半端なので、もっと徹底的にノった方が良かったのではなどと私などは思ってしまう。わざわざ千葉繁まで起用していたようだからもっと徹底的にやれたような気もする。

 今回の肝は、足軽の登場に注目することで、応仁の乱がどのように戦国時代につながっていったのかを見ていくという観点。この応仁の乱が戦国と直接にどうつながったかについては今まで結構考察が甘かったので(応仁の乱で旧来の秩序が崩壊したので下克上の世になった程度の解説が大半)、それを戦力やら武装の観点から見たのはなかなかに興味深かった。

 というわけで、今回の内容に関しては私は意外と評価していたりするんです。

 

 

忙しい方のための今回の要点

・応仁の乱では今まで武士の争いとは異なり、足軽が大量に動員されることとなった。
・足軽は食いはぐれた農民などが槍などで武装した集団で、集団戦を基本としていた。槍は武術の鍛錬がなくても使いこなすことが容易で、さらに鎧武者に対する殺傷能力も高かった。
・足軽は足軽大将が動員してまるごと大名に雇用される形態となっていた。また給料などはなく、代わりに略奪が認められていた。そのために京の都はとんでもない大混乱に陥ることとなる。
・足軽の脅威を防ぐため、当時の館は堀と城壁で囲まれ、見張と攻撃のための櫓が建つことになる。また防禦のための火薬を使用した飛砲火槍と呼ばれる武器も登場するなど、後の戦国時代の城郭と攻城戦につながっている。
・乱の終結後も地方に散った足軽が京に略奪に戻ってくることがあり、それに備えるために京は堀と城壁で囲った惣構えの防禦をすることになる。


忙しくない方のためのどうでもよい点

・戦争は急激に技術の進歩を促す側面がありますが、この応仁の乱もそうだったようです。特に鉄砲以前に火薬を使用した武器が登場していたというのは驚きです。この三眼銃については原理自体は火縄銃とほぼ同じなので、これは外国から火縄銃が伝わってこなくても、遠くない時期に国内で銃が開発されていた可能性もあるのではという気もします。実際に火縄銃が伝わってきた後、国内でその改良が一気に進むのですが、それもこういうベースがあったからかと納得。

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