教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

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11/22 BS-TBS にっぽん!歴史鑑定「ラスト・サムライ 新撰組 土方歳三」

武士を目指していた土方歳三

 今回は新撰組の鬼の副長こと土方歳三について。

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土方歳三

 土方はそもそも多摩の豪農の家に末っ子として生まれたという。両親が早くして亡くなったので年の離れた兄に引き取られ、商人としての修行に出たが続かず、親戚の家に入り浸っている内に剣の修行などをするようになったという。幕末頃になると各地の治安の悪化に対応するため、豪農に名字帯刀を許すようになっていたので、彼らと武士との間には境が大分なくなっており、実際に武士を目指す者なんかも出ていたという。そんな中で土方も武士を目指すようになる。

 そんな頃に後の同志となる近藤勇や沖田総司と出会っている。そして1862年に将軍家茂が京に上洛する際の警護の人員を募集した時に、土方は彼らと共にそれに応じる。土方が29才の時である。土方らは京都で会津藩の松平容保に預けられ、芹沢鴨の一派と共に壬生浪士組が編成される。

 

 

新撰組が結成され、存在感を増していく

 家茂の上洛が無事に終わった後も引き続き浪士組は京に残ることになる。そして八月十八日の政変で攘夷派の長州藩や公家達が京都から追放される。この時に御所の警護に当たった浪士組は功が認められ、新撰組の名が与えられる。これはかつて会津藩で結成していた剣客集団の名で、容保が期待を込めて与えた名だという。

 しかしこの時の新撰組は芹沢鴨と近藤勇の2人が局長であり、両派の派閥抗争が始まっていた。土方は近藤を中心とした組織して固めるつもりであったが、芹沢が邪魔だったという。また出自や背景がバラバラな隊士をまとめるために鉄の掟を定めるが、これに従わずに好き勝手をしていたのが芹沢鴨であった。商人を脅して金品を巻き上げるなどやりたい放題だったために、容保も激怒、近藤に芹沢の処分を命じる。そこで土方が芹沢を宴に誘い出して酒を飲ませ、寝入ったところを仲間と共に襲撃する。近藤をカリスマにするために土方は自ら汚れ役を買って出たのだという。

 そして新撰組の名を世に知らしめたのが池田屋事件である。これで尊王攘夷派の孝明天皇奪取の陰謀を阻止したことで新撰組は京の治安を守る警察組織の役割を果たすようになる。

 

 

新撰組の近代軍隊化を進めていた土方

 そんな中、京を追放された長州藩が主導権を取り戻そうとして禁門の変を起こす。この戦いは会津藩や薩摩藩の反撃で長州が敗北するが、この時に長州が御所に向かって発砲したことに孝明天皇が激怒、長州征伐が行われることになる。この時、土方は新撰組を軍隊組織として再編して、長州征伐に参加することを目論んでいたという。

 しかし新撰組は京の治安維持を命じられたために長州征伐に参加することはなかった。ただこの頃から土方は新撰組の洋式化を進めていたという。

 1867年6月、新撰組全員が幕府の直参として取り立てられることになる。土方が願っていた武士になれたのである。しかしその半年後、その幕府が消滅してしまう。それでも新撰組の幕府への忠誠は変わらず、鳥羽伏見の戦いで新政府軍と衝突するが、旧幕府軍はわずか三日で敗走してしまう。この時に土方は最早銃や大砲の時代であるということを痛感したという。

 

 

盟友との別れからその最期まで

 江戸に入った新撰組は洋式化をさらに進め、土方が髷を落として洋装するようになったのはこの頃だという。しかし急進的な改革は永倉新八や原田佐之助ら古参メンバーの脱退を促してしまう。そして流山にいた土方らは新政府軍に包囲されてしまう。この時、土方は切腹しようとする近藤に、出頭して自分達は徳川の脱走兵を鎮圧するための部隊だと言い張って欲しいと依頼する。この時の近藤は偽名を名乗っていたので、捕まっても処刑されないと土方は考えていたのだという。そうして近藤は出頭し、土方は隙を見て脱出、勝海舟に近藤を救出するための文書を作成してもらう。

 しかし土方の目論見は崩れる。敵の中に元新撰組の隊士がいたことで、出頭してきたのが近藤であることがすぐにバレてしまったのだという。近藤は罪人として斬首される。武士として切腹しようとした近藤をとどめ、結果として罪人として処罰されることになってしまったことが土方にとっては大きな悔いになる。

 その後、土方らは奥羽越列藩同盟と共に新政府軍と戦うが、これも瓦解、徹底抗戦していた会津藩も降伏、土方は榎本武揚と共に蝦夷地に渡って抵抗を続ける。しかしこれも新政府軍の攻撃を受け、土方は乱戦の最中に銃弾に倒れるのである。

 

 

 と言うわけで今まであちこちの番組で散々放送された土方歳三のダイジェストというところでした。元々武士でなかった男が、そこらの武士よりもむしろ武士であることにこだわり、武士として一生を全うしようとしたという話でもある。

 結局のところ、こういう融通の利かない一途な男は、明治に生き残っても対応できたとは思えず、結果としてはあそこで死なざるを得なかったのだろう。実際に最後の頃の土方を見ていたら、明らかに死に場所を探していたように思われ。悲しい男ではあるが、結果としてそのことによって名は残した。

 

 

忙しい方のための今回の要点

・土方歳三は豪農の家の末っ子に産まれた。当時は治安の悪化のために豪農が名字帯刀を許されて地域の治安維持に当たることが増えていたことから、武士を目指す者も増えていたという。
・土方も武士を目指して武芸の鍛錬に明け暮れ、そんな時に近藤勇や沖田総司と出会う。
・幕府が将軍家茂の上洛に合わせ、警護のための浪士隊を募集したことから、土方は近藤らと共にそれに応じ、それが後の新撰組につながる。
・土方は新撰組を近藤を中心とした組織として固めるために、近藤と対立していた芹沢鴨を討つなどの汚れ役も自ら買って出ている。
・また土方は新撰組を近代的な軍隊として再編することを進めており、鳥羽伏見での敗戦でさらにそれに拍車をかける。
・しかし盟友近藤勇が罪人として処刑され、旧幕府軍も瓦解する中、榎本と共に蝦夷地に渡るが、最後は戦いの中で命を落とす。


忙しくない方のためのどうでもよい点

・土方歳三は最後まで戦い抜いたと言うことと、やはりルックスが良かったことで新撰組と言えば土方が主役として扱われます。そう言えばこの手の番組で近藤勇が主人公として取り上げられた事がないな。

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