教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

このブログでの取り扱い番組のリストは以下です。

番組リスト

1/19 NHK 歴史探偵「本当に鎖国だったのか!?」

実は結構海外と交流していた鎖国下の日本

 江戸時代の日本は鎖国で完全に国を閉ざしていたと一般的に思われているが、実際のところは限定された形で外国との交易なども行っており、日本は諸外国と全く無関係を通したわけではない。そんな日本の外国との窓口となっていた4つのルートを紹介すると言うことらしい。

 最初に登場するのは当然ながら長崎。長崎は出島でオランダ人との交易などを行っていた。そこで通訳として活躍していたのが阿蘭陀通詞であるということで、出島まで取材に・・・となっているのだが、これが全く無意味というのがこの番組らしいところ。さらに阿蘭陀通詞について一渡りの紹介があった後で、「わげもん」なるNHKのドラマの宣伝が入るというのが、まるで民放なみの下品な作り。どうも最近のNHKは悪い意味で民放に倣うようになってきた。まあ番組内容の信憑性も民放なみに低下してきているという指摘もあるし。

 

 

四苦八苦してロシア語を習得した阿蘭陀通詞

 それはともかくとして阿蘭陀通詞とはつまり通訳なんだが、それが大事件に巻き込まれることになったという。その事件とはフェートン号事件。イギリスの軍鑑が長崎に入港したという大事件である。この時に長崎奉行はうまく交渉が出来なかったとして切腹をさせられたのだが、英語が出来なくて意思疎通が出来なかった阿蘭陀通詞にも非難が集まったという。その結果、阿蘭陀通詞たちにはオランダ語のみならず英語、フランス語、ロシア語も学ぶことを命じられたという(かなりの無茶ぶりである)。しかし英語とフランス語は出島のオランダ人から教わることが出来たが、問題となったのはロシア語だという。

 そんな時に国後島でロシア船が捕らえられるという事件が発生、艦長のゴローウニンが捕縛される。ロシアの情報を得る絶好の機会と阿蘭陀通詞の馬場佐十郎が派遣されるが、馬場が辛うじて習得していた挨拶レベルのロシア語では情報を引き出すことは出来なかったという。馬場は途方に暮れるが、その時にゴローウニンの方から馬場に話しかけてきたという。ゴローウニンの方もこのままでは埒があかないので何とか馬場と意思疎通をしたいと考えたのだという。2人はオランダ語-フランス語辞典を使って、馬場がオランダ語、ゴローウニンがフランス語が出来たためにこれで何とかコミュニケーションをとり、ゴローウニンは馬場にロシア語を指導したという。そして1年後に交渉が実ってゴローウニンは帰国、馬場は江戸で外国語を教えることになったという。

 

 

北方ルートに南方ルート、対馬ルート

 次に登場するのは蝦夷地。蝦夷錦と呼ばれる華麗な装束が江戸時代に日本で大流行したという。蝦夷錦は京都の山鉾にまで使用されているという。しかし蝦夷錦の原料である生糸は寒冷な蝦夷地では作ることが出来ず、蝦夷地での生産と考えるのはおかしいのだという。そこで蝦夷錦の年代測定をしたところ、1650年頃に成立したものと考えられ、これは清朝が成立した頃であり、清で作られたものと考えられるという。蝦夷錦の流入ルートは実は間宮林蔵が調査しており、その結果デレンという清支配下のユーラシア大陸の町で他民族の交易が行われているのを確認している。つまり清朝で作られた蝦夷錦がアイヌを経由して日本に入っていたのだという(実のところは松前藩にアイヌが収奪されていたと言うことのようだが)・・・とのことなんだが、あの龍の模様が入った衣装を見れば、その時点で中国製ってのは一目瞭然なんだが・・・そもそも龍は中国における皇帝の印であるし。説明が回りくどすぎる。

 3つ目は薩摩。薩摩は琉球を経て海外と交易を行っていた。なおサツマイモは薩摩ではカライモ(唐芋)と呼んでおり外国産である。ちなみにサツマイモの原産地は南米とのことなので世界を回って薩摩にたどり着いているのだという。薩摩はこのような貿易を行っていた(これらは実質的には密貿易であるんだが)

 最後は対馬。対馬は韓国と交易を行っていたという。ただし韓国の船が対馬にやって来るという形でなく、対馬の人間が韓国内に設けられている倭館という日本人町(面積は出島の25倍)を通して交易を行っていたのだという。ここに対馬の男性500人(対馬の男性の20人に1人だという)が駐在して交易を行っていた(当時は韓国も鎖国していたので、それを回避するメカニズムでもあったという)ので、日本には交易品だけが到着していたという。なお当時は海外に渡った日本人は死罪のはずだったが、対馬の人々は海外の事情を調査するという条件で韓国への渡航が認められていたのだという。

 

 

 と言うわけで、鎖国と言っても海外との交易も行っていたら情報収集もやっていたという話。一昔前は鎖国の日本は海外情勢に全く無知で、黒船が来航して慌てふためいたとされていたが、近年の研究では実は幕府は事前にペリー艦隊の来航の情報を掴んでいたということも知られてきている。どうもこの辺りは、明治新政府が自分達の正当性を主張するために幕府を実際以上に無能だったことにしたネガティブキャンペーンの一環だったような気もする。

 で、今回の内容だが、正直なところ相変わらずあまり新味がない上に、作りの上で全く無駄な部分も多数、少ない中身を無理矢理に水増ししたと言う印象で、要はドラマの宣伝をしたかったから強引にでっち上げた感が半端ない。以前から歴史探偵になってから番組のレベル低下が著しいと感じてはいたが、さらにそれを思わせられる内容であった。その上にいよいよもって佐藤二朗の不要感が高まっている。この番組、根本的に刷新するべきであると私は感じている。

 

 

忙しい方のための今回の要点

・江戸時代鎖国状態だったとされる日本だが、実はいくつかのチャンネルで海外との交易などは行われていた。
・代表的なのは長崎で出島を通してオランダとの交易が行われていた。ここで活躍していたのが阿蘭陀通詞と呼ばれた通訳だが、フェートン号事件発生以降、オランダ語のみならず英語やフランス語にロシア語の習得も命じられることになる。
・英語とフランス語は出島のオランダ人を通して習得できたが、ロシア語習得は困難であった。そんな時にロシア船が捕縛され、現地に派遣された阿蘭陀通詞の馬場佐十郎は、散々苦労した挙げ句に艦長のゴローウニンからロシア語を習得する。
・また蝦夷地を通した交易ルートも存在し、江戸で大流行した蝦夷錦は実は清朝で生産されたものがアイヌを経由して国内に輸入されたものであった。
・さらに薩摩は琉球を通して海外と交易していたし、対馬は韓国に倭館と呼ばれる日本人町を作って韓国と交易しており、幕府は海外の情報を入手する条件でそれを認めていた。

 

忙しくない方のためのどうでもよい点

・最近は「徳川幕府のままで明治維新を迎える」という仮想世界ものが流行していると聞くが、実際に明治維新を迎えるためには薩長政府である必然性は皆無だったんだな。まあ幕府があのままでドラスチックな改革が出来たかの問題はあるが、慶喜がもっと積極性のある人物だったら、徳川幕府のままの明治維新というのはあり得たかもしれない。
・そうなっていたら日本の政体は、天皇という存在がある立憲君主制の下に将軍と呼ばれる大統領が存在するという制度になっていたかも。恐らく大統領が選挙で選ばれるようになるまでにドタバタが生じたろうな。

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