教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

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番組リスト

1/20 BSプレミアム ザ・プロファイラー「電気の魔術師 ニコラ・テスラ」

時代の先を行きすぎた天才

 今回は交流送電システムを開発し、エジソンとの電気の送電システムを巡る交流と直流の電流戦争で勝利して電気の魔術師と呼ばれた天才発明家テスラである。しかしあまりに時代の先を行きすぎたテスラは、やがて社会から無視されて孤独な最期を迎えることになる。何やら最近になって急に脚光を浴びるようになった印象のあるこのテスラについて紹介。

 テスラはクロアチアの田舎町で五人兄弟の次男として生まれる。父は司祭で文才があって博識、母は読み書きは出来ないが記憶力が抜群で手先が器用な女性だったという。彼はこの母親から天才の要素を引いたとされる。彼は3才の時に飼い猫の背中をなでた時に静電気による火花を見て、これで電気に対して興味を持つきっかけとなったという。4才の時には玩具の水車を作り、いずれはナイアガラの滝に水車を作ることを夢見たという。

 テスラ一家に衝撃を与えた事件は神童と呼ばれた兄が7才で事故死したことだった。この後、両親の期待を一身に受けることになったテスラは勉学に励み優秀な成績を収める。彼は頭の中で思考実験できる才能があったという。19歳になるとオーストリアの工科大学に進学する。当時は蒸気機関の時代で、電気の存在は知られていたが、実用的なモーターの開発がネックとなっていた。ここでテスラはグラムによる発電機の実演を見て衝撃を受ける。これはモーターにも発電機にもなる装置だったが、モーターとして使用した時にはブラシの部分で火花が出て傷むことが問題だった。しかしテスラはこれを改良できたら実用的なモーターになると考える。テスラは大学を中退してこの問題の解決に取り組み、6年後に交流モーターの原理を思いつく。この時のテスラは25歳だった。

 

 

エジソンと袂を分かつと送電システムで対決する

 新しい交流モーターのアイディアを携えて28歳でアメリカに渡ったテスラは、紹介で発明王エジソンの元で働くこととなる。これはテスラにとっては大きな刺激となる。この頃エジソンは送電事業に乗り出していたが、直流送電は距離が増すと電圧が低下するために発電所が多数必要となる問題があった。これに対してテスラは電圧の変換が容易な交流送電を提案する。高電圧で低ロスに大量の電気を流し、使用する手前で電圧を落とすシステムである。しかし既に直流送電に乗り出していたエジソンはこれを否定する。やむなくテスラはエジソンの発電機の改良に乗り出すが、エジソンが約束していたボーナスを支払わなかったことからテスラは会社を去る。

 その後テスラは自ら会社を立ち上げ交流方式の実現に取り組み出資者を募る。その時に実業家のウェスティングハウスが彼の事業に目をつける。電力事業に乗り出したが軌道に乗っていなかったウェスティングハウスは一発逆転のチャンスをテスラのアイディアに見たのである。資金援助を受けたテスラは数ヶ月後に交流発電所を建設、交流方式は低コストで建設可能と言うことで出資者が続々と集まり、数ヶ月で25箇所の新規発電所の建設計画がまとまる。

 これに焦ったのがエジソン。既に直流発電システムに乗り出していたエジソンにとっては死活問題だった。そこで彼は交流のネガティブキャンペーンに乗り出し、交流で生物が殺せることを訴える。これに対してテスラは交流の安全性を訴える公開実験を実施する。このアピールが功を奏して数ヶ月後には交流発電所は1100箇所に拡大する。追い詰められたエジソンは起死回生に電気椅子まで開発するが、シカゴ万博で交流システムが採用されたことで争いの決着がつく。さらにテスラは子供の頃に夢見たナイアガラの滝による発電を実現する。テスラこの時40才。

 

 

しかし無線の開発でマルコーニに敗北する

 異常な潔癖症であるテスラとは生涯独身を貫き、ホテル生活を送っていたという。テスラはさらに無線通信の開発に注力するようになる。テスラは無線通信だけでなく無線通電も同時に行うことを考えており、これを世界システムと名付けていた。しかしこれはあまりにも斬新であった。そんな時にテストの研究室が全焼する事故があり、研究が1年中断されることになる。1年後、巨大アンテナを立てて安全性のテストを行う。しかし実用化のためにはもっと大型のシステムを開発する必要があり出資者を募る。そこにJ.P.モルガンが現れる。彼は30万ドルの支援を約束する。

 資金を得たテスラは巨大システムの開発に乗り出す。しかしシステムが巨大すぎたために途中で資金が尽きて完成はズルズルと伸びていく。その内にイタリアのマルコーニが世界で初めて遠距離通信に成功したというニュースが飛びこんでくる。しかもマルコーニのシステムはアンテナ以外は非常に小型のものだった。知らせを受けたテスラは助手に「私の特許を17も使っている。やらせておけばいい。」と語ったという。無線通信と無線送電を一挙に行うことを考えていたテスラにとっては、無線通信のみに絞ったマルコーニのシステムは大してものと感じていなかった。しかしスポンサーのモルガンは違っていた。マルコーニのシンプルなシステムに対してやたらに巨大なテスラのシステムに疑問を感じ、段々と支援に消極的になってくる。テスラは支援の継続を要請するが、モルガンは支援の打ち切りを決定する。しかもマルコーニは後にノーベル物理学賞を受賞することになる。無線システムでテスラは完全に敗北する。

 

 

マッドサイエンティスト扱いされた不遇な晩年

 資金の尽きたテスラは研究所を閉鎖せざるを得なくなる。しかしテスラのアイディアは尽きなかった。第一次大戦中は無線誘導ミサイルや対潜水艦レーダーのアイディアを発表するが誰も理解できず実用化はならなかった。その後は殺人光線や地震発生装置などもはや荒唐無稽というレベルのアイディアとなりついにはマッドサイエンティスト扱いとなり出資者もなくなり、元いた高級ホテルを追い出されて安宿を転々とすることになる。ついには秘書に対して給料を支払えないからその代わりにとエジソンメダルを渡そうとまでしたという。秘書たちは「そんな大切なものは受け取れない」と驚いて受け取りを拒否し、テスラに逆に少額の金を渡したという。

 やがてエジソンが亡くなる。またマルコーニもこの世を去る。発明家の時代の終了であった。晩年のテスラの心を慰めたのは近くの公園の白い鳩だったという。その鳩が亡くなったときにテスラはもう自分の生涯の仕事は終わったと悟ったと言い残している。そして1943年1月7日、ホテルの一室で誰にも看取られず86才の生涯を終える。

 

 

 天才には違いないのだが、経営の点で失敗して後はジリ貧になったという典型的な「天才の失敗」のパターンを踏んだ人物のようである。それとあまりに時代の先を行きすぎていたために回りの誰も付いていけなかったというのが大きい。テスラのような天才の傍らには、彼の天才的アイディアを凡人にも理解できるように翻訳したり、さらには実行面での問題を解決したする補佐役が必要だったのだが、そういう人物を得られなかったのが彼の悲劇だろう。彼がそういうタイプの妻を持っていたらという話もあったが、確かにそれが一番万全なパターンだが、妻でなくても信頼できるビジネスパートナーがいれば良かったのだが、彼に親友がいたという話が全く出てこないところから見て、彼は人付き合いには問題があったのだろうと推測できる(本人自身が面倒に感じていた可能性があると思う)。まあ往々にして天才は孤独になるものである。

忙しい方のための今回の要点

・後に電気の魔術士と言われることなるテスラは、幼い頃から天才的な素質を見せていた。
・25才で彼は交流モーターの原理を考えつき、アメリカに渡るとエジソンの研究所で働くことになる。
・しかし送電システムで直流方式を推すエジソンと意見の対立などがあり、結局はそこを去って自ら交流発電システムの実用化に乗り出すことになる。
・彼のシステムに実業家のウェスティングハウスが目をつけて出資する。資金を得たテスラは数ヶ月で交流発電所を建設する。低コストの交流発電所建設には多数のスポンサーが付くことになり、エジソンによるネガティブキャンペーンも跳ね返して、結果的には交流方式が勝利を収めることになる。
・テスラは次に無線通信に乗り出すが、同時に無線送電の実用化も狙っていた。スポンサーとしてモルガンを得て実用化に乗り出すが、無線送電も狙っていたことからシステムが大型化、途中で資金が尽きて停滞する中で、マルコーニが小型システムによる長距離無線通信に成功、モルガンが支援を打ち切ったことでテスラは事業に失敗する。
・その後のテスラは第一次大戦中に無線誘導ミサイルや対潜水艦レーダーなどのアイディアを出すが、先進的すぎて誰も理解できずに実用化されず、段々とそのアイディアも殺人光線など突飛すぎるものになり、マッドサイエンティスト扱いされるようになっていく。そうしてスポンサーもなくなって資金も尽きた中で86才で誰にも看取られずにこの世を去る。

 

 

忙しくない方のためのどうでもよい点

・明らかに一度は頂点を極めたのだが、その後の落ちっぷりが悲惨というところがあります。しかもそれでアイディアが尽きたとか、能力の限界が来たというのでないところに一種の悲劇性がある。また晩年の彼については詳しく知る者もほとんどいないだろうことが、神秘性を増すことになって今になって彼が創作の世界なんかでも注目される理由になっているのだろう。もっともテスラがここで急に注目されている一番の原因はイーロン・マスクだろうけど。
・私は以前から「世間よりも半年先を行けば最先端だが、1年以上先を行けばただの変人」と言っているんだが、彼の場合は1年どころか数十年先を行っていたんだから、そりゃ世間から見たら最早狂人だわな。生きている内に一度だけでも評価されたことがあるだけ、まだマシなのかもしれない。

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