教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

このブログでの取り扱い番組のリストは以下です。

番組リスト

4/13 NHK 歴史探偵「戦国の忍び」

八王子城で見つかった忍びの武器

 忍者と言えば黒装束で闇に紛れて屋敷などに忍び込み、密かに諜報活動を行ったり、場合によっては要人暗殺・・・なんてイメージがあるが、それは実際は江戸時代の忍びのイメージから来ているという。今回はもっとリアルに戦国自体の忍びについて調査する。

 戦国時代、多くの大名が忍びを抱えており、関東の覇者だった北条氏も配下に忍びを抱えていた。今回、その北条氏の八王子城で忍びの武器と思われるものが発見されたという。

 見つかったのは陶器製のマキビシ。マキビシと言えば鉄製の尖ったトゲのついたというイメージだが、実はそれは江戸時代のものであり、戦国時代のものは今回初めて見つかったという。ポイントは4つのトゲが正四面体型に配置されていること。こうすれば絶対にトゲの1つが上を向くことになる。

 

 

手に入れられるもので工夫して戦った忍び

 材料はその辺りの土を焼いたものであるという。では実際にこのようなマキビシが武器として効果があったのかを確認するために番組では地元の陶芸家の協力を得て再現している。すると当時の兵のほとんどが裸足か草履だったということを考えると、十分に進行を阻止するだけの能力を持っていることが判明した。またその気になれば誰でも作れるので量産できるのもポイントだという。つまりは忍びの者が指導して、戦いに備えて非戦闘員が量産したという可能性も考えられるという。八王子城が秀吉に攻められた時、兵の大半は小田原に行っていたために、このような武器で城を守ろうとしたのではという。

 さらに岩槻城の近くでは石製の手裏剣が見つかっているという。これは六角形をした石で、この付近では取れない緑泥石片岩でできている。この石の入手方法だが、近くの寺には緑泥石片岩の供養塔があり、これらを崩して作ったと考えられるという。緑泥石片岩は薄く剥がれやすいので金槌で打ち割る方法で成型できるという。

 さてこのマキビシの使い方だが、通路にばらまくのではなく並べたのではないかという。さらには相手を転倒させるための球も含めて通路に並べたと推測できるという。番組ではわざわざ八王子城で実際に実験していたが、草鞋で突入してきた軍勢は、マキビシが足に刺さって大変だったとか。要はそこで敵兵を足止めして、そこに弓矢などで集中攻撃をかけるという戦術である。

 

 

忍びのミッションに関する古文書

 また忍びの仕事の記録も残っている。北条氏康の忍びに対しての葛西城を乗っ取るようにという指令書が残っている。上杉に取られた葛西城を取り返すための指示だったという。この文書には「家紋を付けずにやって来るように」との指示があり、忍びが参加していることを伏せていたのだろうという。そして報酬は莫大なものだったという。そしてその忍びは本田殿と書かれているが、葛西氏本田を拠点とした武士だという。番組では末裔を訪ねているが、忍びの記録は伝わっていないとのこと。ただ屋敷の周辺に忍びの訓練に使ったのではと思われる地形があるという。

 なお葛西城については遺構は全く残っていないが、水堀に囲まれた堅固な城であったと推測できるという。これを落とす戦略だが、夜間に陽動作戦を実施して、攻城の本軍と連携して城を落としたと推測できるという。なお夜間戦闘は実に大変で、真っ暗の中で物音を立てずに敵地に潜入するということはかなりの特殊スキルだという。

 

 

 以上、戦国の忍びについてなんだが、陶器製のマキビシというのは面白かったが、だからどうなのってのが本音だな。マキビシって何も鉄製だけでなく、実際に自然のトゲのある草なんかも使用したと言われているから、陶器製のものが出てきても不思議でないと言えば不思議でない。どちらかと言えば、武器が不足している中でありもので工夫するという柔軟性が忍びの戦いの本領だったようである。

 もっともこのように忍びの術を使って徹底抗戦した八王子城であるが、衆寡敵せずで秀吉の大軍の前にあえなく落城して、城内の女性たちは滝に身を投げたといわれている。なおこの滝を訪れたことが私はあるのだが、ここは心霊スポットとして有名とのことだが、正直なところ私は全く何も感じなかったし、何も見えなかった(「あっ、ここ何か嫌」という感覚さえしなかった)。むしろもっと心霊スポットとは無縁のところの方が何かの存在を感じることが多いのに。

 

 

忙しい方のための今回の要点

・八王子城で忍びが使用した武器と思われる陶器製のマキビシが見つかった。
・これは身近にあるもので作れる武器で、武器が不足する中で防戦のために作られたものと考えられる。
・また同様に薄く割ることができる緑泥石片岩で作った手裏剣も発見されている。
・戦国の忍びはその土地の武士などで戦国大名に雇われ、潜入しての陽動作戦などを行って莫大な報酬を得ていたという。


忙しくない方のためのどうでもよい点

・一般的に北条が抱えていた忍び集団と言えば風魔というイメージがありますが、今回はその名は一切出て来ませんでしたね。この風魔というのもイマイチ正体がはっきりしないんですが、この辺りも今後の研究で明らかになるだろうか?

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