教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

このブログでの取り扱い番組のリストは以下です。

番組リスト

4/20 NHK 歴史探偵「刀剣」

謎の古代刀・蕨手刀

 「刀剣乱舞」などの影響で刀剣展に腐女子が殺到するなど、妙な形で人気となっている刀剣。それが今回のテーマ。

 刀剣と言えば日本刀を連想するが、実際は日本で日本刀が登場したのは平安末頃から。それ以前には日本刀とは異なる古代刀が存在している。そんな古代刀が蕨手刀と呼ばれる刀。これは飛鳥時代には造られていた刀剣で、日本刀の前身となったのではないかとされている。

 番組では群馬の蕨手刀を保有している神社を訪問して現品を確認しているが、かなり太めの片刃の特徴で、柄は手で持ちやすいようになっている。そもそもは山刀や鉈として使用されていたのではと言う。群馬周辺で多く見つかっており、元々馬の産地であったこの地には高い技術を持った渡来人が訪れていたという。またこの地域には製鉄炉の遺跡まで残っているという。

 その後、この蕨手刀は蝦夷に伝わって武器としての進化を遂げたという。この刀を持っていたことで、蝦夷は坂上田村麻呂などの蝦夷征討軍を苦しめることができたのだという。

 さらに蕨手刀をSPring-8で調査するということに同行しているが、断面の調査の結果、蕨手刀の鉄には不純物が少ないこと、さらに日本刀のような折り返し鍛錬をしていないことが分かったという。通常の日本刀は折り返し鍛錬によって不純物を減らすのだが、これをせずしてどうやって不純物の少ない刀を作ったのかは謎であると言う。

 

 

ふなっしー探偵が調査する妖刀村正伝説

 次にいよいよ日本刀に入るが、日本刀と言えば妖刀村正。家康の息子の秀康の切腹に関係したりなど、徳川家に纏わる不吉な影があることから妖刀扱いされているという。家康が「不吉だから捨てるように」という指示を出したという噂があるが、これは嘘で、実際に徳川家も少なくとも2本の村正を所有していたという。なお妖刀村正の噂は江戸時代に広がったのだが、この噂が広がることを黙認したのが吉宗だという。幕府は幕府にとって都合の悪い噂が広がった時には直ちに処罰などを行っていることから、妖刀村正の噂は幕府にとって好都合だったのだという。それは秀康切腹は家康のいわば汚点(父子対立の挙げ句に腹を切らせた)だが、それを村正のせいにすることによって誤魔化すという意味があるとのこと。

 以上の村正の伝説について、なぜか探偵としてふなっしーが調査しているのだが、どうやらふなっしーは刀剣マニアとのこと。梨の妖精が刀剣マニアとは・・・なんかいろいろと謎の多いキャラである。しかし佐藤二朗氏も言っていたように、調査が進むにつれてふなっしーがマジモードになってしまって、ふなっしーのキャラを忘れていた節がある。

 

 

古の日本刀復活にかけた刀鍛冶の執念

 最後は刀剣の復活にかけた刀鍛冶の話。それが水心子正秀。戦国時代が終わって江戸時代となると、武器としての刀の必要性が減り、装飾品的な刀が増えてきたという。実際にも若い頃には流行の波紋の派手な装飾性の強い刀を製造していたという。しかしそれに本当は満足していなかった水心子は鎌倉時代から続く刀鍛冶を訪れては古の技を学ぶために入門していたという。しかし秘伝の一部は既に絶えてしまっていたことが分かり、彼は自らその復活に挑んだという。彼が目指していたのは鎌倉時代の強い刀。流行の華やかな刀は折れやすくていざという時に命を守ることができないのだという。

 難関は刀の材料である鋼作りだった。彼は古い刀を何百も集め、それを折って断面からその性質を見極めようとしたという。その結果、古の刀には特殊な素材が使用されていることが分かったという。それは一般的に刀に使われる玉鋼に卸鉄を混ぜて使用するのだという。水心子はこの配合について研究したのだという。その結果、ついに目指していた昔の作風の復活に成功する。そして彼のすごいところは、その技を惜しみもなく多くの刀鍛冶に指導し、それどころか自身の研究結果を本にまとめて出版したのだという。秘伝は隠す刀鍛冶にとっては異例のことであった。こうして日本の刀に新たな潮流が生まれ、水心子以降の刀は新々刀と呼ばれているという。彼は時代を切り拓いたのである。

 

 

 以上、刀についての諸々オムニバス。いずれもネタとして面白いが、一本で番組にならないレベルのネタを並べたという印象。

 正直なところ、私は刀剣の趣味はないので、刀を見ても「これは反りが強いな」「この波紋は派手だな」とかのレベルのことしか分かりません。刀の種類にしても時代劇の影響で拝一刀が使用していた同田貫を知っている程度。ちなみに同田貫はいかにも質実剛健の実用に徹した雰囲気のある刀でいかにも拝一刀向きという印象。ちなみに当時小学生だった私は「どうたぬき→胴タヌキ」と聞いてどういう意味なんだろうかと疑問を感じていた。とにかく丈夫で重たいので振り回すのには半端ない腕力が必要な刀ということは聞いていたので、タヌキのように胴がずんぐりとしている太い目の刀なんだろうかなんて勝手に想像していた。なお今調べたところによると同田貫というのは肥後の地名だそうな。

 古代刀の話も出ていたが、そもそも昔の刀は反りのない直刀であって、いわゆる草薙剣などもそうである。さらに時代を遡るとそもそも鉄剣でさえなくて青銅剣になるので強度は低下する。昔からのそのような流れがあって刀剣類の傑作と呼ばれる日本刀の登場になったわけである。

 

 

忙しい方のための今回の要点

・日本刀の登場は平安時代以降であり、それ以前には様々な古代刀があったが、その中の一つである蕨手刀を紹介している。
・蕨手刀は群馬を中心に見つかっている古代刀であり、そもそもは山刀や鉈として使われたが、それが蝦夷に渡って武器として進化、朝廷の蝦夷征討軍を苦しめることになったという。
・妖刀村正の伝説が有名であるが、村正は秀康切腹に使用されるなどしたことから徳川家に仇なす不吉な刀とされる。この噂が広がったのは江戸時代であり、吉宗はその噂の流布を黙認しているという。それは秀康切腹は家康の汚点であり、それが村正の呪いに責任展がされるのは好都合だったからだという。
・江戸時代になると装飾性を重視した刀ばかりになるが、その中で水心子正秀は鎌倉時代の実用的な刀の復活を目指して研究を重ねる。彼はその製法を多くの刀鍛冶に伝えたことで日本刀に新たな潮流が生まれ、彼以降の日本刀を新々刀と呼ぶという。

 

忙しくない方のためのどうでもよい点

・失われた技の復活にかける水心子の執念はなかなかすごかったです。どんな技術も途絶えてしまうと復活は大変なんです。そう言えば途絶えてしまった首里城の赤瓦の技術は、誰か復活させないんでしょうか? どうも現地の瓦職人は匙を投げたようですが。

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