教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

このブログでの取り扱い番組のリストは以下です。

番組リスト

5/4 BSプレミアム 英雄たちの選択スペシャル「ツタンカーメン 秘宝に隠された真実」

20世紀最大の発見

 今回は世界史スペシャル版として時間枠を拡大してツタンカーメンについて扱うようです。ツタンカーメンの墓が発見されたのが1922年なので、ちょうど今年が100周年記念と言うことらしい。そう言えば、他の枠でもツタンカーメンを題材にした番組があったような。

 20世紀の最大の発見とも言われ、考古学会などをも騒然とさせたのは、それまでのエジプト王の墓は盗掘などで荒らされて副葬品のの類いなどはほとんど残っていなかったのに対し、ツタンカーメンの墓はほぼそのまま状況で、黄金マスクなども発見されたからである。

 ツタンカーメンの黄金マスクは10キロの金で出来ているという。金はエジプトでは不滅の意味を持ち(錆びない金は全世界的に不滅の象徴)、神々の体も金で出来ていると信じられていたという。来世での復活再生を願ってのものだという。近年の調査では顔とその他で金の性質を変えていることまで分かったという。なお背後に刻まれたヒエログリフには復活の呪文が記されているという。

 

 

エジプト最盛期に混乱の仲で即位した少年王

 エジプトの歴史は周辺諸民族との争いの歴史でもあるが、紀元前1650年頃には異民族にナイル川下流域を支配されてしまう。チャリオット(戦車)を駆使する異民族に対して軍事的に劣勢に陥ったのだという。エジプトの再統一は紀元前1570~1293年頃で第18王朝になった時代である。テーベ(現在のルクソール)を拠点とし、チャリオットを駆使して異民族を放逐、シリアにまで版図を伸ばした。最大の版図はツタンカーメンの祖父のアメンヘテプ3世の時代である。大量の金によって周辺諸国との交易を強めたという。このことにより、各地の貴石などもエジプトに集まったという。アフガンからもたらされたラピスラズリも見つかっている。

 それを受け継いだのが息子でツタンカーメンの父であるアメンヘテプ4世。彼は異端の王と名高いのであるが、それは彼が宗教改革に乗り出したからである。彼はそれまで多くの神々を否定し、太陽神であるアテンを唯一の神とするとしたのである。当時のエジプトではアメン神の信仰が強まると共に神官団の力が強まっていたという。そしてアメンヘテプ4世の時代にファラオと神官団の対立が決定的となり、アメンヘテプ4世は神官団と決別し、自らの名もアクエンアテン(アテン神に有益なものという意)に変更したという。そして各地の神殿を閉鎖して神像を破壊した。さらに都をテーベから内陸のアケトアテンに移す。荒れ地に人工都市を築いたのである(日本の奈良時代から平安時代にかけても似たようなエピソードはあるな)。しかし改革を完成を見ずに彼はこの世を去る。その結果、多くの恨みを買ったアクエンアテン王の棺は名は削られ顔の部分は削られている。これはファラオに対する反感が高まっていたことを反映しているという。そんな混乱の中でファラオに就任したのが10才の少年王であるツタンカーメンである。

 

 

父の強硬路線を修正し、国内の融和を図る

 少年王ツタンカーメンの時代は実質的に貴族や重臣達に支配された時代だという。特に後見役を務めて「神の父」の称号を持つアイに、大将軍であるホルエムヘブが国王代理として実質的に政治を司っていた。ツタンカーメンには父の混乱を鎮めることが求められた。ツタンカーメンの玉座には父に与えられたツタンカーテンという名と、ツタンカーメンの名の両方が記されているという。彼はアテン神だけでなくアメン神をも信仰したということを示しており、父のアテン神を唯一神とする体制を撤回したことになる。しかしそれだけだと再びアメン神の神官達の介入を受ける。そこで国家神をアメン神だけでなく、ラー・ホルクアクティ神、プタハ神を加えた3つの神を国家神にした。そして各地の神殿も復興させたという。

 ツタンカーメンの墓から発見された大量の副葬品は、当時のファラオの生活を知る手がかりにもなったという。ツタンカーメンの妻であるアンケセナーメンはツタンカーメンの義理の姉に当たるが仲は睦まじかったことが覗えるという。来世でも夫婦で仲睦まじく暮らしたいという願望が副葬品に見て取れるという。また当時のエジプトは製鉄の技術がなかったが、隕鉄を加工して作られたナイフなども発見されている。

 

 

20歳での突然の謎の死とその後の混乱

 しかしツタンカーメンは20才で突然に死を迎える。その死は多くの謎に満ちている。その死因についてはミイラの分析から、最初は撲殺を疑われたが、後の調査でこれは否定されている。次にマラリア原虫のDNAが検出されたことから、マラリアで死んだのではとされたが、マラリアは当時のエジプトでは非常に多い病気であり、幼少期にかかっただけでDNAは残るので決定打にはなっていない。最近注目されているのは左足の怪我の痕跡である。大腿骨に交通事故の際によく起こる骨折が見られ、チャリオットから落ちたのではと推測されるという。ただその場合、事故なのか他殺なのかが謎である。

 またツタンカーメンのミイラには心臓がないという謎がある。当時のミイラは心臓は復活に重要と考えられており、もし心臓のミイラが作れない時には心臓スカラベと呼ばれる代用品を埋め込むのだが、ツタンカーメンの場合はいずれも見つからなかったのである。そのことからツタンカーメンは復活が望まれていないということで、他殺説が浮上することになったという。 もっとも心臓がないということに関しては、磯田氏は「出土後に誰かが触った可能性がある」という。実際に大戦のドサクサ紛れに装飾品の類いが盗まれるなんてことは起こっているらしい。

 ツタンカーメンの死後、エジプトは混乱する。ツタンカーメンには後継者になる子供がいなかったからだ。アンケセナーメンとの間には死産した双子のミイラが残っているという。アンケセナーメンはヒッタイトの王に王子をエジプト王に迎えたいと手紙を送り、ヒッタイトの王は王子を送ったが、エジプトに向かう途上で暗殺されたという。結局はアイが後継となったという。アイはアンケセナーメンを共同統治者とすることで自らの権威を高めた。そしてアイの次にはホルエムヘブがアイが任命した後継者を押しのけて政権を簒奪する。そして彼はツタンカーメンの父であるアクエンアテン以降の系譜をなきものとして歴史から抹殺したという。自らの簒奪を偽るためだろうか。そのためにツタンカーメンは歴史の闇に葬られることになっていたという。なお磯田氏はホルエムヘブは大坂城を埋めた家康だとしているが、これが説得力がある。

 

 

 以上、ツタンカーメンについて。彼の早すぎる死の後にエジプトが混乱したり、彼の父の代で宗教改革の国内対立があったりなど周辺にはきな臭さを感じさせるのだが、不思議と彼自身はあまりきな臭さを感じさせない。当初は彼の周辺のきな臭さから暗殺説が有力だったのだが、近年では撲殺ではなかったという時点で暗殺説は弱まっている。ゲストの酒井美紀が「暗殺されたとは考えにくい」と感想を言っていたが、今回聞いている限りではそもそも暗殺されるべき理由はあまりない。実際に暗殺された可能性があるとしたら、それまでは周辺から立てられた傀儡王だったツタンカーメンが、20歳ぐらいになって自ら親政を打ち出した場合ぐらいだろう。もしそうだったとしたら、やはり一番に疑われるのは後に簒奪を行ったホルエムヘブが筆頭だろうが。まあその辺りも今後の更なる調査で分かってくるだろうか。

 

 

忙しい方のための今回の要点

・100年前、その墓が見つかったツタンカーメン。黄金マスクや多くの副葬品などが見つかり、20世紀最大の発見と言われた。
・ツタンカーメンは3000年前、エジプト第18王朝のファラオである。
・ツタンカーメンの祖父のアメンヘテプ3世の時代にエジプトは最大版図を誇り、黄金で多くの国と交易を行っていた。
・ツタンカーメンの父であるアメンヘテプ3世は、力を増してきたアメン神の神官と対立、彼らを排除するために太陽神であるアテン神を唯一神として定め、他の神を廃する宗教改革を実行する。自身もアクエンアテンと改名し、さらに都をテーベから移す。しかし彼の改革は多くの反発を招き、また彼も改革の途上でこの世を去る。
・ツタンカーメンは10歳でファラオに即位する。彼はかつての多神教制に戻すと共に、アメン神だけでなく、ラー・ホルクアクティ神、プタハ神を加えた3つの神を国家神にすることで神官の勢力を抑える。
・ツタンカーメンの時代にエジプトは繁栄し、また彼も妻のアンケセナーメンと睦まじい生活を送る。しかしそのツタンカーメンは20歳で突然にこの世を去る。
・彼の死因については当初は撲殺説が言われたが精密分析の結果否定された。マラリア説、チャリオットから転落したという説などがあるが真相は不明である。また謎として彼の心臓が残っていないということがあり、これが他殺説が出る理由ともなっている。
・彼の死後は後見人のアイがアンケセナーメンと共同統治を行う形になる。しかしその後、アイの後継者を排除して、大将軍のホルエムヘブが王位を簒奪すると共に、アクエンアテン以降のファラオを歴史から抹殺、このことによってツタンカーメンは幻の王となっていた。


忙しくない方のためのどうでもよい点

・なんかドロドロしたものが存在したことを思わせるのだが、詳細は不明です。なおツタンカーメンとアンケセナーメンの間に死産の双子があったようだが、やはり近親婚などで問題が出ていたのではという気がします。これは各地の王族で多発した弊害です。血の尊さなんて言っていたら、血が淀んで病人が多発するんです。

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