教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

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番組リスト

8/17 BSプレミアム 英雄たちの選択「流転!足利義満が愛した秘宝」

今回は変化球で美術品が主人公

 今回はこの番組にとっては異例の回。この番組は「英雄たちの選択」というだけあって、歴史上の重要人物の歴史的選択に注目する番組なんだが、今回は主人公は人ではなくて牧谿の作である「瀟湘八景図」について。だから当然のように主人公の選択はない(笑)。美術品が主人公と言うことでまるで「美の巨人たち」のようであるが、一応歴史番組であるこの番組では、権力者との関わりの点で注目していく。

 

 

足利義満のコレクションとして始まった「瀟湘八景図」

 「瀟湘八景図」は南宋の山深い水辺の8つの風景を描いた水墨画の最高傑作である。そもそもこの絵を日本に持ち込んだのは室町幕府の三代将軍足利義満である。金閣寺の北にはその頃には天鏡閣という豪華な二階立ての建物があり、ここは豪華な美術品で飾り付けられた会所であり、そこに展示されたという。義満の思惑は日本国王になりたいというものであり、そのために唐物を集めて天皇や公家に見せつけようとしていたのだという。義満のコレクションで最も重視されたのが牧谿だという。その代表作が瀟湘八景であり義満が生涯手元に置いたとされている。幽玄なその風景は禅の精神と合致したものであるという。

 もっとも瀟湘八景図は最初は2巻の巻物であり、狭い部屋で個人的に鑑賞するものだったという。しかし義満はこれを天鏡閣で展示して多くの者に見せるのに都合が良いように切り離して豪華な掛け軸として装幀されたという。そして1408年に後小松天皇を迎えた北山殿行幸で天鏡閣に展示されたのだという。貴重な中国の美術品をズラリと並べた展示は義満の権威を十二分に示すものだったという。しかし義満はこの2ヶ月後に51才で病でこの世を去る。

 

 

世の動乱と共に、今度は織田信長の手に

 その後の瀟湘八景図は流転の運命を迎えることになる。足利家の秘宝の東山御物として代々の将軍に引き継がれだのだが、幕府の権威が失墜していく中で金に困った八代将軍の義政が売却してしまう。これが瀟湘八景図の流転の運命の始まりだったという。

 その後、瀟湘八景に関わる権力者として登場するのが織田信長である。1573年、妙覚寺で催された茶会で瀟湘八景の一品が展示されたという。この絵は朝倉氏が所蔵していたことが知られていたものであり、信長がこれを展示するのは朝倉氏を本当に滅ぼしたということを証明するものであったという(朝倉氏攻略はあまりに電光石火であったために真偽に疑問を持つ大名もいたようである)。また信長は最初にかけていた絵の上から、途中でもう一枚の絵をかけるという荒技も行ったらしい(通常は絵が傷むからタブー)。信長の演出とも言えるが、田舎者の信長は絵の価値をそう感じていなかったのではという話もある。実際にその後、瀟湘八景は羽柴秀吉、荒木村重、丹羽長秀、稲葉一鉄といった家臣に分け与えられたというから、信長が執着していなかったのは間違いない。

 

 

松平忠直の運命を変え、吉宗が再編成する

 信長が本能寺の変で倒れると再び瀟湘八景は流転の運命を辿る。そして江戸幕府成立、この時に大坂の陣で越前藩主の松平忠直は、戦での働きの恩賞として名物初花の茶入れと牧谿の瀟湘八景の1つの「平沙落雁」を与えられた。しかし忠直はこの恩賞には非常に不満で、怒りのあまり茶入れを破壊してしまったという。忠直は恩賞として領地などを望んでいたのだという。無骨者の忠直は絵画や茶道具に価値を感じていなかったのだろうし、戦いで家臣に多くの犠牲も出した忠直としては、これでは家臣に報いることが出来ないという思いがあったという。結局その後の忠直は鬱々として酒浸りになり、参勤交代に応じなかったり家臣を手討ちにしてしまったりなどした挙げ句に改易配流を命じられることになる。

 その後、瀟湘八景に強い関心を示したのは吉宗だったという。改革の中で学問を復興することを目指し、宋代の中国を見本として文化を花咲かそうとしていたという。その中で瀟湘八景図に注目したのだという。各大名家に散らばっていた瀟湘八景図を元の形で鑑賞したいと考え、狩野派の絵師に各大名家の所有する八景図を模写させ、それらを巻物の形に再編成したという。こうして300年の時を経て、瀟湘八景図が元の巻物の形に戻ったのだという。なおこの時に「平沙落雁」の絵が注目されることになったという。家督相続でお家断絶の危機に瀕していた津山松平家が、吉宗に「平沙落雁」を見せる時に忠直が大坂の陣の活躍で賜ったという由来を書き添えたという。するとそれを見て感激した吉宗から「永く家に秘蔵すべし」という言葉をもらい、これで津山松平家は存続できることになったのだという。

 

 

 以上、数奇な運命を経た瀟湘八景について・・・とのことなんだが、何かいかにも唐突なので、NHK絡みの展覧会で展示されるとか、これに関する番組があるのかと調べてみたが、私の調べた範囲ではその情報は出てこなかった。これが「歴史探偵」なら間違いなく、NHK主催の展覧会か特別番組があるところだろうが(笑)。

 瀟湘八景は流転の運命を遂げたが、それでも今日にまで残存しただけマシな経過を辿っている。例えば狩野永徳の作品などは権力者である豊臣秀吉と近すぎたが故に、多くが秀吉と運命を共にしてしまっていて、意外に残っていない。瀟湘八景もある意味では義政がとっとと売り払っていなかったら、三好とのドタバタの合間で消滅してしまう可能性もないではなかったような気がする。また信長が執着して手元に置いていたら、恐らく本能寺で信長と運命を共にしたろう(多くの茶器はここで消滅している)。信長が絵画に価値を感じていなかったらしいのは幸いであったというところか。秀吉も信長から受け取っていたはずだが、それが秀吉と運命を共にしたという話がないところを見ると、キンキラキンの豪華絢爛な作品が好きな秀吉には、水墨画のわびさび幽玄などという情緒は理解できず、さっさと家臣にでも与えたのではないかと推測する。

 実際にザッと画面を通して見ただけでは、恥ずかしながら私にも「水墨画の最高傑作」と言われるまでの価値は分からなかった。多分かなりのマニアの「分かる人には分かる」という価値の作品のような気がする。まあそもそも禅の精神とか言うものがかなりマニアックなものではあるが。

 

 

忙しい方のための今回の要点

・瀟湘八景は日本の国王を目指していた足利義満が自身の権威を天皇や公家に示すために、中国から輸入した牧谿による水墨画の傑作である。
・元々は巻物の形であったが、展示に相応しいように義満が8つに分けて軸装して掛け軸の形に変更した。
・その後、足利家コレクションの東山御物として代々伝えられたが、8代将軍の義政が金の調達のために売却してしまう。
・戦国期には信長がこれを集め、自身の権威を示すために茶会などで用いた。なお信長は後にこれらの作品を秀吉ら有力家臣に与えている。
・江戸時代には大坂の陣で大活躍した松平忠直が恩賞として瀟湘八景からの一品「平沙落雁」を与えられたが、恩賞に領地を望んでいた忠直はこれを不服として、以降は酒浸りになって参勤交代を怠ったり家臣を手打ちにしたりなどの乱行で改易配流を命じられることになる。
・後に吉宗は文化の復興のための見本としてこの絵画の復元に乗り出す。各大名家に散らばっていた作品を狩野派の絵師に模写させると、巻物の形に編成、こうして300年を経て巻物の形に複製で再編成されることになる。


忙しくない方のためのどうでもよい点

・それにしても最後までどうにも唐突な印象を拭えなかったな。内容としては個人的にはまずまずの興味はあるのだが、歴史的意味というのがあまり感じられなかった。

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