ゲノム編集の重要技術クリスパー・キャス9とは
先週の遺伝子に続いて、今回のヒューマニエンスのテーマはゲノム編集。先週は遺伝子の機能や作用について紹介したが、今回はそこに積極的に人が介入しようとする画期的技術かつ、禁断の木の実でもある。
まずゲノム編集に不可欠の技術であるクリスパー・キャス9だが、これは遺伝子の特定の部分を狙い撃ちで切断できる物質である。クリスパー・キャス9はガイドRNAというものがあり、この20個ほどの塩基の並びと合致するDNA配列に結合すると、その部分でDNAを切断するのだという。すると切断された遺伝子は細胞が自動的に修復するのだが、その時に切断箇所に脱落などが起こって遺伝子の変化が生じるのだという。すると元々の遺伝子の働きが変わるというもので、自然界の突然変異もこれと同じメカニズムであり、これを任意に狙い撃ちで起こせるということである。ちなみに塩基20個の配列のパターンは4の20乗で1兆ぐらいあり、ゲノムは30億なので、ゲノムの中から1箇所選ぶなんとことが出来ると言う。特定の遺伝子を狙い撃ちにして働きを停止するのがクリスパー・キャス9の真骨頂のようである。
ゲノム編集の遺伝子治療への応用
これを使った難病の治療の研究が進められている。京都大学の堀田秋津准教授が取り組んでいるのは遺伝性疾患の治療。その1つであるデュシェンヌ型筋ジストロフィーは筋肉が段々と萎縮していく難病である。患者は段々と体が不自由になっていき、最後には内臓の機能まで停止する。患者は筋肉を支えるジストロフィンが作られなくなることで筋肉細胞が壊れて減少するのだという。この遺伝子の異常は8割が親から引き継がれるもので、残りの2割は生殖細胞の段階で突発的な変異として発生しているという。堀田氏は患者から細胞を提供してもらって、この病気の治療の研究をしている。その方法はあえて2箇所の遺伝子を切断するというものだという。患者の遺伝子では大きな欠落のせいでジストロフィンを合成する遺伝子が働かなくなっているので、遺伝子内の二箇所を切断して特定の部位をごっそりと切除すると、前後がつながることで完全では無いもののジストロフィンが合成されるようになるのだという。実際にゲノム編集した細胞ではジストロフィンが合成されているという。この細胞を培養して患者に移植すると治療につながるのではとしている。
ただまだこの細胞をどう患者に移植するかは問題だという(移植した細胞が定着して、さらにはある程度体内で増殖しないと効果がない)。さらにこの切ったことによって別の部分に悪影響があってはいけないので、その確認も必要である。またこれにiPS細胞を適用して、治療済みの細胞を様々に分岐させて移植するという技術も狙っているという。また脂質ナノ粒子を使用して、体内に注射することで体細胞の遺伝子を直接に編集するということも研究中である(これが安全に可能となれば、細胞を移植するよりも簡単かつ効果的である)。しかしこの手法を使用すれば、特定の筋肉を増強するなどの遺伝子ドーピングなどの倫理面の問題が発生する可能性があるという。
ゲノム編集で医薬品開発を推進したり食糧問題を解決する
さらにゲノム編集をもっと身近な医療に使用しようという研究もある。例えばがんに対して、免疫細胞を遺伝子編集で活性化してガンを攻撃する能力を高めるのだという。T細胞の表面の受容体の遺伝子を切除して、代わりに人工遺伝子からより攻撃力のある受容体を合成させるのだという。こうして攻撃力の高いT細胞を患者に投与するのだという。実験によると患者のガンが縮小したという。
またゲノム編集を使用した新薬の開発のスピードアップも試みられている。ゲノム編集で人の臓器を持った動物を産みだすのだという。免疫不全のラットを作り出し、そこに人の臓器の細胞を導入するのだという(拒絶反応が出ない)。そしてこのラットを使用して薬の安全性をテストできるのだという。
さらにゲノム編集を食糧問題の解決につなげようという研究もある。食物アレルギーを防ぐためにアレルゲンとなる物質が合成されないようにゲノム編集をしようというのである。鶏卵においてアレルゲンとなるのはオボムコイドであるが、ニワトリの始原生殖細胞にゲノム編集を施してオボムコイドを合成する遺伝子を停止、この細胞を卵に植え付けて培養するのだという。これでゲノム編集された細胞を持つ雛が生まれるという。こうして生まれた雛を成長させて何度か交配させることで、オボムコイドを合成しないニワトリを誕生させるのだという。同様の手法で、特定の成分が多い(少ない)穀物とか、身の量が多いマダイ、収量が多い作物などが改良されている。外来の遺伝子を持ち込む遺伝子組み換えと違って、自然界でも発生する突然変異の再現なので安全性も高いはずだという(というが、やはり予測不能の有害な変異が発生する危険はあると思うのだが)。
ゲノム編集につきまとう影
しかしゲノム編集には倫理の問題がつきまとう。2018年に中国の研究者がゲノム編集した受精卵からエイズにかかりにくくした子供を誕生させたと発表した。しかしこれは倫理面でのタブーであり、批判も沸騰した。これで懸念されるのはいわゆるデザイナーベビーの問題である。つまりは事前に優秀になると思われる遺伝子加工をした子供たちを生み出すことである。これが問題視されるのは、もろにいわゆる優生思想であり、突き進めれば「遺伝的に劣等な人類は生存するべきでない」という価値に行き着く可能性は非常に強い。さらには番組では明確には言っていないが、優秀な子供を作るつもりでの遺伝子加工が、とんでもない先天的欠陥を持っている子供を誕生させる可能性というのもあり得る。また遺伝の多様性を失う危険もある。
ただ100年後には遺伝病の治療とか、環境の激変への対応などのために受精卵に遺伝子加工をされた人類が誕生するのではという研究者も多いという。番組でも織田裕二氏などからこれがデザイナーされた上流層と自然で生まれた下流層という分断につながるのではという指摘もしていたが、これは私も感じるところ。まさに上流層は機械の体になり、機械の体を持っていない貧困層は虐げられているという999の世界である。
諸々の倫理の壁などがあるが「やれる技術があれば、やるべきでないことまでやってしまう」という人類の習性から考えると、デザイナーベビーの問題は早晩に発生するだろうと思っている。人類はそれは人類の存続をも脅かしかねないから手を出すべきではないという分野にも絶対に踏み込んでいる。原爆とか原発などの核技術がまさにそれである。
ちなみに人のゲノム編集なんて、人間の遺伝子が隅から隅まで解明されたという驕りがないと手を出せる分野ではない。今のところ目的の遺伝子を機能停止するなどと言っているが、そのことが人全体としてどういう影響があるかはまだまだ未知数である。エイズにかかりにくいように遺伝子加工したという子供が、免疫系に他の問題が出て別の病気でやられる可能性なども指摘されていたが、もっと外部的には分かりにくい面で問題が出る可能性もある。例えば異常に攻撃性が高いとか、異常に情に欠けるとかになったらもう分からない。
忙しい方のための今回の要点
・ゲノム編集に使われるクリスパー・キャス9は、ガイドRNAの塩基配列に合致した部分に結合して、DNAをそこで切断する。
・これを利用した遺伝子治療も研究されている。デュシェンヌ型筋ジストロフィーが遺伝子の不良で筋肉のジストロフィンが合成されなくなる病気だが、ジストロフィン合成の遺伝子の一部を切り取ることで、ジストロフィンを合成できるようになるという。
・またゲノム編集で人間の臓器細胞を持つラットを作り出し、それを用いて医薬の研究なども行われている。
・食品の世界でも、アレルゲンを合成しないニワトリなどの研究がなされている。また筋肉量の多いマダイ、栄養成分の多い野菜などの実用化が進められている。
・しかしヒトに対してゲノム編集を行うことは倫理的問題がつきまとう。良かれと思って行った遺伝子編集が副作用を起こす可能性もあるし、デザイナーベビーの問題も存在する。
忙しくない方のためのどうでもよい点
・ゲノム編集に関しての人間への適応は時期尚早って気が非常にしますね。とにかくこの手の技術の応用は驕りがあってはダメ。
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