北海道と北東北に残る縄文人の痕跡
今回は先週に続いて北海道・北東北の縄文遺跡群を紹介。一万年も続いた縄文時代であるが、この地域の遺跡が世界遺産になった理由について紹介。世界遺産になっているのは北海道・北東北の17の縄文遺跡である。
秋田県の鹿角にはこの地域でしか見られないストーン・サークルの大湯環状列石が見られる。この地には大小二つのストーンサークルがあり、4000年前に作られたものだという。これらは墓を連ねたものであるという。周囲には儀式に使われた建物も建てられている。これらの石は7キロ離れた山から運ばれている。これらの石が川で転がると角が取れて丸くなり、縄文人は緑色を帯びた石を好んだという。大きいのものは200キロを越えており、多くの人が集まって運んだと考えられている。また出土品からこの頃から既に数が認識されていたことも分かっているという。
北海道と北東北を縄文人は行き来していた
三内丸山遺跡は5900年前に縄文人が定住を始めた土地である。ここでは巨大な掘っ立て柱建造物の跡が見つかっており、大型の竪穴住居の跡も見つかっている。巨大な建物には栗の木が用いられており、これらは縄文人が持ち込んで植えたものだという。多くの栗が出土しており、これらは人間が植えたことは間違いないという(人間がいないくなるとブナやドングリが増える)。栗の木の伐採には石斧が使われており、三内丸山の石斧はアオトラ石と呼ばれる石が使われているが、この石は津軽海峡を渡ってきたものだという。
縄文時代には既に北海道と北東北では交易があり、縄文人は津軽海峡を越えていたという。北海道の大船遺跡では大型の住居跡があるが、柱は栗の木が使用されている。しかし北海道には栗は自生しておらず、縄文時代に本州から持ち込まれたのだという。また土器も北海道のものと北東北のもので極めて類似しており、同じ文化圏であったことが分かるという。この地域の縄文人は農耕をせずに定住をするという生活形態で1万年この地で暮らしてきたのだという。そのような縄文人の姿を伝えるのがこの地の遺跡だという。
青森の津軽半島にある日本一古い縄文遺跡が大平山元遺跡である。この遺跡は1万5000年前の縄文時代の始まりを教えてくれる。ここで見つかった小さな土器片は、北東アジア最古のものだという。土器は移動には適さないので定住につながったという。また鏃なども見つかっており、こうやって文化の花が開いたのだという。北海道の垣の島遺跡は6000年に渡って断続的に人が居住してきた。ここでは粘土板に足がたがついた石版が見つかっているが、これはなくなった子供の足形を親と共に葬ったものだという。
また三内丸山では2000点以上の土偶が見つかったが、その多くは十字型の板状土偶だという。このような土偶は時代が進むと共に複雑化していったという。
忙しい方のための今回の要点
・秋田の鹿角には大湯環状列石というストーン・サークルが存在するが、これは墓の集合体だという。
・三内丸山では栗の木が栽培されたことが分かっている。また栗の木を伐採するのに使用された石斧の石は北海道のものであり、この時代に北海道と北東北では交流があり、同一文化圏に属することが分かっている。
・北海道の大船遺跡の大型の住居では栗の木が柱に使用されているが、この栗は本州から北海道に持ち込まれたものだという。
・大平山元遺跡は日本一古い縄文遺跡であり、1万5000年前のものである。ここでは北東アジア最古の土器片が見つかっており、土器の仕様が定住につながったとされている。
忙しくない方のためのどうでもよい点
・知れば知るほど縄文時代って想像以上に豊かなんですよね。それにしても北海道から北東北のエリアに居住していたってことは、当時は今よりも温暖だったってことなんでしょうかね。
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