教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

このブログでの取り扱い番組のリストは以下です。

番組リスト

4/5 NHK 歴史探偵「江戸の将軍たち」

家康が江戸城に施した統治のための仕掛け

 この番組、3/1は大奥コラボ、3/8は家康の肖像画、3/15はVRでの安土城などと番組タイアップ企画やら、今までの焼き直しなど内容的に「しょうもない」のが続いたのでしばらく無視してたんですが、「にっぽん!歴史鑑定」が終了するなど歴史番組が完全に先細りが明確になってきているご時世なので久しぶりに扱うことにします・・・とは言うものの、今回も無理矢理に大河の家康に接続しようとしたが、ネタがないのでオムニバスという「あまり面白くない」内容です。

 まずは本命の家康からだが、家康がどのように江戸の町を設計したかについて紹介。家康は江戸城を中心として、その近いところに譜代大名の屋敷を置き、しかも防御の拠点となる箇所には特に信頼を置ける大名(内藤家長など)を、外様はその外に特に関ヶ原以降に服従したような大名には内堀の外という距離のあるところに屋敷を置いたという。という既に知られている話が登場。今の東京の町の中に当時の石垣の一部が残っているという話は面白かったが(私が知らない)、それ以外は特に新鮮味なしである。

 

 

綱吉の仕掛けと吉宗の策

 次は5代将軍の綱吉の話だが、彼は江戸城で年に30回以上の儀式を行って大名を参加させたが、そこでは大名の格によって大広間での座席なども厳密に決まっており(これも外様などは遠く)、嫌でも大名間の序列を痛感させられることになっていた。この序列には朝廷からの官位が影響しているので、官位を上げようと思うと推挙の権限のある将軍に忠誠を示す必要があるという仕掛けになっていた。伊達重村はライバルであった島津と争うために幕府の土木工事を積極的に請け負う(350億円使ったとか)、やっと昇進できたとか(当時の武士ってやっぱり見栄だけで生きてるな)

 8代吉宗と言えば目安箱が知られているが、そこにも仕掛けがあったらしい。それを紹介してくれるのは徳川宗家19代目当主の家広氏。彼が出してくるのは目安箱の鍵。将軍はこれを肌身離さずに伝えてきたのだという。目安箱は将軍自らが箱を開けて中身をチェックする。そして年間230通ぐらいあったという訴状の内容はまとめて記録して、役人の不正の訴えなどについてはお庭番に調査をさせて処分を下したという。郡上一揆では藩が強引に年貢を引き上げようとして老中にワイロを送っていたことが告発され、老中が罷免されて郡上藩はお取りつぶしになったとか。目安箱によって吉宗は大名の規律を正す効果もあったのだという。

 

 

 以上、徳川将軍の統治策について。とのことなんだが、完全にオムニバス構成で相も変わらず中身の薄い番組である。次回は唐突にツタンカーメンとのことだが、恐らく皇帝ネロの時と同様に、他の番組を作るための素材の流用だろうと予測する。

 それにしても今の日本って江戸時代よりもレベルが低いんではという気はしていたが、役人の不正がキチンと裁かれていたんだったら、不正役人が開き直った挙げ句にその功績で出世するという今の日本よりは確かにレベルが高い。

 

 

忙しい方のための今回の要点

・家康は江戸の町を作る時に、譜代大名の屋敷を江戸城の周辺に固め、特に防御の要衝には信頼を置けるものを配した。外様大名はその外側で、特に関ヶ原以降に帰順した大名は内堀の外に置かれている。
・綱吉は江戸城で大名を集めた行事を多数行い、その席次は官位などによって厳密に定まっていた。席次を上げるには官位取得のための推挙の権限のある将軍に忠誠を果たす必要がある仕掛けになっていた。
・吉宗は目安箱によって、役人や大名などの不正の告発があった場合、お庭番に調査をさせてそれが真実なら処罰を実行していた。こういう仕掛けで綱紀粛正を図っていた。

 

忙しくない方のためのどうでもよい点

・歴史番組や科学番組などの教養系番組は愚民化政策の中でドンドンと迫害されているが、この番組のように昔から続いている番組も、リニューアルの度に中身のレベルが低下しているというお寒い状況です。
・目下民放ではレギュラーの歴史番組は皆無、NHKでもまともな歴史番組と言えるのは「英雄たちの選択」ぐらいで、それも2回に1回は再放送という状況ですからお寒い限りです。その内に全番組が根絶やしにされたら、このブログも終了でしょうか?

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