教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

このブログでの取り扱い番組のリストは以下です。

番組リスト

5/9 BSプレミアム ヒューマニエンス「"友情"集団で生きるための発明」

社会を築くために人が発明した「友情」

 人が協力するために築いた関係が友情というもの。これは人類が円滑に集団生活をするために「発明」したものだという。

 血縁関係以外の相手にも場合によっては命を懸けて尽くすというのが友情だが、これは人間以外の動物にはかなり珍しいという。例えばゴリラなどでは血縁を中心とした群れをなし、その集団を離れるとその関係性は切れるという。また他の集団との交流はない。しかし人は目的に応じて様々な集団をなし、しかもメンバーがその集団内を自由に移動して社会をなす。そのような複雑な社会を作るために人が発明したものが友情だという。

 しかしその友情を育むためには訓練が必要だという。それは相手の心を推し量る共感力。4~5才の子供に他者の気持ちが理解出来るかというテストを行った。それは愛ちゃんが人形を赤い箱に入れて部屋を出る。その後に入ってきたさっちゃんが、その人形を取り出して青い箱に移す。その後で部屋に戻ってきた愛ちゃんはどっちの箱を探すかというストーリーである。当然愛ちゃんは人形が移されていいることを知らないから赤い箱を探すはずなんだが、そこで人形が移されている青い箱を示す子供が多いという。6人にテストしたところ赤い箱と答えたのは2人で、この年齢ではまだ相手の立場に立って考えるということが難しいのだという。相手の気持ちが分かるようになるには長い訓練が必要で、兄弟などがいる場合は生活の中で訓練できるが、いないときには人形と対話するとか、頭の中に友達を作り上げて会話するなどがあるという。このような空想の友達は一種のシミュレーションだという。このような空想の友達を持つのは4才がピークで、その後はリアルの友達が出来ていくことで減少するが、9才でもまだ持っている子供もいるという。なお空想の友達とは「名前をつける」「人格を作り上げる」「対話をする」という特徴がある。

 

 

親友を生むための同調

 親友という存在があるが、親友とは人生のある時期を共にすごし、信頼関係を得た友人だという。親友を作るために必要なのは「新しい経験を共にすること」だという。その信頼関係がどのようにして出来るかを実験しているが、面識のない2人に人差し指を相手の人差し指に向けて止めてもらうということをすると、2人の指の動きはバラバラだという。しかしこの後にタッピングを1分間合わせるように意識して行ってもらうと、次には指の動きが同期するようになったという。タッピング程度の作業でも同調効果があり、さらには互いの信頼を高める効果もあったのだという。だから一緒にスポーツなどをすると友情が高まるということになるという。

こういうのも同調にはなるらしい

 友情と裏表の関係にあるのが孤独だが、例えば子育ての最中に群れから離されたら何が起こるか、それがマウスの研究から見出された。その研究によると視床下部にあるアミリン細胞がアミリンを作り出し、子育て行動を促すのであるが、そのアミリンは孤独を感知するのにも働くことが分かったという。それによると隔離されたマウスはアミリンが6日間で減少していき、アミリンがなくなると孤独を受け入れる様子を示したという。では人間の場合はどうかだが、孤独を感じるのは前帯状皮質の背側部であることが分かったという。またこの場所は身体の痛みを感じる部位でもあり、孤独は痛みとして感じられるのだという。そして痛みを感じることによって集団で生きるように促し、それによって生存を有利にするようになっているのだという。

 では友達が何人いるかという話になるが、今の若者に聞くと数十人という答えが返ってくるのだが、日本の若者は他の国の若者に比べて圧倒的に孤独を感じている者が多いという。それは友達との関係性が変わってきているのだという。実際にこの10年間で友達と意見が合わないときは徹底的に話し合うという比率が減少しているという。また友達よりも母親に悩みを相談するという者が増えているという。この辺りの関係性の変化はSNSの普及なども影響しているのではという。

 

 

 科学というよりも心理学的な問題が入ってきているので、正直なところシックリと理解しにくいところが多かったのが今回。しかもどうしても心理学的な話は各人の主観がかなり入ってくるので、今回は番組ゲストの対人観の披露のようになり、聞いていても「確かにそうかもな」とか「いや、それは違うだろう」というレベルの感想ばかりになってしまった。

 ちなみに私は性格的にマメさがないのと、コミュ障に近い部分があるのでリアルで友達と言える人物で顔が浮かぶのは数人で、しかもその中でも定期的にコミュニケーションを取っている者はほとんどいないという、友達を持っていないに近い人間になります。しかもその友達というのはほとんどが子供の頃からの友達なので、いわゆる大人になってからの友達って皆無だなということに気付いたりする。大人になって住む世界が仕事場中心になると、同僚はいても友達というような関係の者はいないなということになってくる。

 そんな私でもSNSでの知り合いと言えるような人物なら数十人ぐらいはいるわけである。そう考えてみると、今時の若者の感覚が何となく理解できたりするわけである。とにかく現代は砂浜でどつき合って友情を深めるというような暑苦しい時代ではないということである。まあ私の場合でも、リアルでどつき合いしたことはないが、やや思想が右翼がかった友人と思想でどつき合いして友情深めた経験はある。まあ彼とは大学進学の時に別れてそれっきりで、最後の別れの時には「互いに極端に走りすぎてどこかで木刀と鉄パイプでどつき合うことになるのだけは避けよう」と言い合って別れたのだが(笑)。おかげで私はその後は思想的には極端に走ることはなく、中道路線を進んでいるんだが。

 

 

忙しい方のための今回の要点

・友情というのは、人が高度な社会を形成するために発明したものと考えられるという。人の集団はゴリラなどの血縁中心の集団とはかなり異なるものである。
・ただし友情を育むには他者に共感するという訓練が必要である。兄弟がいる場合にはその関係から学んだりするが、それがない場合は人形に名前をつけて話し掛けたり、空想上の友達を作ることでシミュレーションしているという。
・また特別な友達が親友であるが、親友となるためには「新しい経験を共にすること」が必要だという。行動を同調させることは互いの信頼関係を強める効果があるという。
・一方の孤独であるが、脳の研究の結果、人が孤独を感じる脳の部位は痛みを感じる部位と同じであることが分かった。つまり人は孤独を痛みとして感じているのだという。
・なお最近の若者の友達感覚は変化してきており、全体的に浅い付き合いが増えて本音でぶつかり合うことがなくなっているという。


忙しくない方のためのどうでもよい点

・友達を作るには共感力が必要というのは良く分かる。すると一人っ子が増えたことがコミュ障が増えた原因ではないかという仮説が出てくるわけである。ただ近年はSNSなどでやたらにコミュニケーションが求められるのが、それに疲労するという感覚を生んでいる気も私はする。実際に私が友人が少ないのも、自分がすることがありすぎて他人に構っている余裕がなかったという理由が多かれ少なかれある。

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