教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

このブログでの取り扱い番組のリストは以下です。

番組リスト

5/10 BSプレミアム 英雄たちの選択「牧野富太郎~苦難突破のオタク魂~」

日本植物分類学の父・牧野富太郎

 今回取り扱うのは、日本の植物学の基礎を作り上げ、連続テレビ小説の主人公のモデルとなった牧野富太郎。まあNHKには多い「ドラマの予習」の一環である。

牧野富太郎

 牧野富太郎と言っても今日では一般に圧倒的な知名度があるというわけでもないことからか、番組は最初は牧野がいかに偉大な業績を上げたかを紹介している。牧野富太郎は日本の植物分類学の父と言われている。彼は自ら精密なスケッチを残すと共に生涯で40万点もの植物標本を集めた。中でも現在は絶滅危惧種となっている水草・ムジナモの研究では世界的に評価を受けた。食虫植物であるムジナモの花は幻の花と言われているが、真夏の短時間にだけ開くその花の開花の様子を富太郎は詳細に観察して記録に残している。また牧野の標本は現在東京都立大学牧野標本館に保存されており、絶滅種や絶滅危惧種も含むこれらは、日本の姿を伝える唯一無比の資料となっている。最新技術で標本のDNAを解析することで、植物の環境への適応の研究なども出来ると言う。

 

 

小学校中退の学歴で研究者に

 牧野富太郎は日本の植物学会で非常に大きな役割を果たしたのであるが、高等教育は受けておらず、学歴は小学校中退だという。高知県佐川町の裕福な造り酒屋に生まれた富太郎は両親が早くして亡くなったことから祖母に育てられている。物心着く前から植物にひかれた富太郎は近所の山で観察や採集に没頭した。10歳になると寺子屋で秀でた勉学の才を示し、12歳で小学校に入学するが授業のレベルの低さに絶望して2年足らずで中退する。富太郎が望めば高価な本でも祖母が買ってくれたことから、富太郎は独学で植物学について学んでいく。本に記されている顕微鏡図を見て、自分もそれを見たくなった富太郎は19歳で上京してヨーロッパ製の顕微鏡を購入する。それは家一件分もする高価な物だったという。

 東京の文化に触れたことで故郷を離れる決意をした富太郎は明治17年、植物研究の最高峰である東京大学理学部植物学教室を訪問する。彼が持参した植物画や標本に教授の矢田部良吉が興味を示し、教室への自由な出入りが許されることになる。これは学歴のない富太郎には願ってもない好待遇だった。彼は学生と共に植物誌(データベース)を作り始める。その成果は1888年(明治21年)に富太郎が発刊した「日本植物志図篇」で発表される。この中でもコオロギランの研究は高く評価され、また新種の発見など多くの成果を上げる。しかしこのことが矢田部に疎まれて教室から追い出されることになる。教授にとっていつの間にか富太郎はライバルになっていた。窮地の富太郎はコオロギランの研究を高く評価してくれたロシアのマキシモヴィッチを頼ろうとするが、生憎と彼はインフルエンザで急死していた。30歳を目前に富太郎の研究者生命は危機を迎える。

 

 

妥協しない研究のせいで莫大な借金を抱える

 この2年前、富太郎は和菓子屋で働く壽衛と結婚した(これが浜辺美波か)。しかし結婚後、故郷の造り酒屋の経営が悪化して金を自由に使えなくなる。しかし富太郎は13人も子供を儲けたので家計は火の車だった。1891年に矢田部教授が職を免じられると、その2年後に富太郎は助手に就任して植物学教室に復帰する。月給は15円(今の30万円ほど)だがこれでは生活にも研究活動にも全く足りないにも関わらず、富太郎は借金をして全国各地に植物採集の旅に出て、大量の植物を自宅に送ってきた。壽衛と子供たちは総動員で標本作りの下準備を行ったという。富太郎は金がないにも関わらず、研究には金に糸目をつけなかった。

 1916年、富太郎54才の時には借款はとうとう3万円に膨れあがっていた。月給は35円に上がっていたが、到底返済できるはずもなかった。ここで富太郎の選択である。標本を高価で買い取ってもらえる可能性のある外国に売るか、それとも借金を全て公表して寄付などを募るかの二択である。これに対してのゲストの答えは後者が圧倒的だったが、私も同様に考える。まあ今ならクラウドファンディングでも実施するところだろう。で、富太郎であるが、彼が選んだのも後者である。新聞などで現状の苦境を紹介してもらったところ、2人がスポンサーに名乗り出た。1人は財界の大物で鉱山王の久原房之助、もう1人は神戸の資産家の御曹司で京都帝国大学の学生だった池長孟である。新聞社の仲介で池長と話し合いが持たれ、池長は標本10万点を3万円で購入して池長植物研究所を設立、その上に富太郎に毎月の研究費が支払われることになった。富太郎は「終生忘れることの出来ない恩人」と語ったという。

 関東大震災をキッカケに郊外(練馬)に引っ越した富太郎だが、その頃に富太郎はそのズボラな性格のために東大から追い出しがかかったことが新聞に報道される。しかし富太郎は「私がズボラに見えるときは、必ず一方で持ち前の凝り性を発揮している時だ」と笑い飛ばしたとか(典型的なオタクの性分である)。富太郎は各地で植物採集会を開いて愛好家と交流し、それらの愛好家からも標本が多数送られたという。1939年77歳で東大講師を辞任した富太郎は、その翌年に植物研究の集大成の牧野植物図鑑を完成させる。練馬の自宅跡は今は記念庭園となり、内部には書斎の一部が保存されているという。牧野富太郎が亡くなったのは94才である。

 

 

 オタクを極めて大偉業を成し遂げた人物である。確かに日本の植物誌を一から作り上げるなんてことは、研究者というよりも植物オタクと言うべき人物でないととても実現不可能であろう。研究者なんかを志す人間は多かれ少なかれオタク気質ではあるが、牧野はその中でもかなり強烈なオタクである。ズボラだと批判されたことに対して「自分がズボラな時は他のことに打ち込んでいる時だ」という反論などまさにオタクそのものである。彼は研究に対しては金をケチってはいけないという考えを持っていたと言うが、それがまさにオタクの行動原理そのもの。彼はそれを終生貫き通せたのだから幸せな一生と言うべきだろう。

 まあ彼がそのような幸せな人生を全うできたのは、家族の理解が大きいだろうことは想像に難くない。困窮の中で彼が送ってくる植物を標本にする作業にせっせと励んでいた妻子には感嘆するのみ。通常は妻子から一番最初に文句が出て、このようなオタク人生は全うできないものである。実際にオタクとしての人生を貫くか、それとも家族を取るかの二者択一を迫られて、後者に妥協を強いられるのが大抵の世のオタク諸君だろうと思われる(もしくは家族を諦めてオタク道を極めるという強者も極一部にはいるが)。

 磯田氏が「憧れる」というようなことを言っていたが、確かにオタク気質の強い磯田氏としては牧野は一つの理想型のように感じられるだろう。もっとも世の一般的なオタクからは、自身のオタク的興味の延長で飯を食えている今の磯田氏も、既に「憧れる」立場になってはいるのであるが。

 

 

忙しい方のための今回の要点

・日本の植物研究において偉大な功績を残した牧野富三郎であるが、彼は高等教育を受けておらず最終学歴は小学校中退である。
・土佐の造り酒屋に生まれた牧野は、幼少時より植物に興味を示していた。学業は優秀で創設された小学校に入学するものの、教育レベルの低さに失望して中退、後は独学で植物学を学んでいくことになる。
・実家が裕福であるため金には不自由しておらず、当時家一軒分の価格の顕微鏡を購入したりなど、研究につぎ込む金には糸目をつけなかった。
・上京した牧野は、当時の日本の植物研究の最高峰である東京大学理学部植物学教室への出入りを許され、学生と共に植物誌の製作を始め、「日本植物志図篇」を刊行して高い評価を受ける。
・しかし彼の評価が上がったことで教授の矢田部良吉に疎まれて、植物学教室への出入りを禁じられることになる。
・牧野はこの2年前に壽衛と結婚、しかしこの頃には実家の造り酒屋の経営が傾いたこと、13人も子供を儲けたこと、牧野が全国に植物採集のために出向く旅費などで生活は困窮する。矢田部が職を免じられた後に東大の助手になるが、その給料では全く足りず、借金を重ねる状況となる。
・牧野が54才の時、借金はついに年収の70倍の3万円に及び、10万点の植物標本を海外に売却するかどうかの選択を迫られる。この時に牧野は新聞で自身の窮状を公開して支援を募る。その結果、神戸の資産家の御曹司だった池長孟が支援を実施する。
・池長の支援で牧野は研究を続け、77才で東大講師を辞任した翌年に、研究の集大成である牧野植物図鑑を完成させる。


忙しくない方のためのどうでもよい点

・朝ドラの方はほとんど見たことがないですが、残っている写真を見る限り牧野富太郎は醜男ではありませんし、奥方の方も綺麗な方のようですので、神木隆之介と浜辺美波というキャストも「美化が過ぎる」ということもないようです。大河ドラマの渋沢栄一の時は「あのキモ親父(渋沢の女癖の悪さは有名)が吉沢亮は美化が過ぎる」という批判もありましたが。
・ちなみに私だったら、嫁が浜辺美波だったら迷わずに妻子のためにオタ生活捨てますね(笑)。
・なお矢田部については「辞職」でなくて「免職」になってるのですが、調べてみると派閥争いとかいろいろあった上に、矢田部自身も少しあれなところがある人物だったようです。まあ牧野もやはり出禁食らった恨みもあって、いろいろ辛口なことを言っている模様。

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