パタゴニアの手の洞窟
南米、アルゼンチンのパタゴニア地方の断崖の河岸の中腹の洞窟にはおびただしい手の跡が残っている。
この地は乾燥地帯で枯れた川の跡が塩の結晶として残っている。その近くのリオ・ピントゥラス渓谷には川が流れているが、その両岸には絶壁があり、手の洞窟があるのはその中腹である。手の数は858もある。一番古いものは9300年前に描かれたという。これらの壁画を描いたのは先住の狩猟採集民だったテウェルチェだと考えられている。彼らが描いた手のほとんどは左手である。
この手の描き方がその理由のヒントになる。これらの鮮やかな絵は近くのティエラ・デ・コローレスの赤い土を絵の具として描かれている。この土を水でのばして動物の脂を加えて、これを口に含んで動物の骨をストローのように使って吹き付けたのだという。この時に利き手の右手で作業したので、左手の絵が多いのだという。この吹き付けた絵の具によって年代が推測できるという。また比較的新しい年代のところでは手形だけでなくて絵も描かれている。
人類の拡散とともに広がった手形
不毛の大地のパタゴニアは生きるには過酷だが、その大地は非常に美しい風景をしている。6500万年前はこの地は実は大森林であり、木の化石も残っている。人々はこの厳しい土地で洞窟で暮らして絵を描いていた。この周辺にはここだけでなく、他の地域にも同じような手の壁画が残っているという。周辺にこのような手形は2000以上あるという。
狩猟採取民だったテウェルチェは狩猟のために移動しながら暮らしていた。この地に暮らしている飛べない鳥であるニャンドウは彼らの貴重な獲物で、食糧だけでなく衣類などにも使用されていた。そして一番重要な獲物はラクダ科のグアナコで、これを狩る様子が壁画にも描かれている。テウェルチェはグアナコを余すところなく使用していたという。壁画にはお腹の大きなグアナコの絵が多く、干ばつで減ったグアナコの繁殖を願ったものだろうという。
実は手の壁画はアルジェリアやフランス、コロンビアなど世界各地で見られるものである。これらは人の生きた証であるという。そうやって歴史を紡いできた人類だが、テウェルチェは19世紀に西洋人に虐殺されてもうこの地にはいないという。人は消え、手形だけが残ったのである。
忙しい方のための今回の要点
・南米、アルゼンチンのパタゴニアには858もの手形が残る洞窟がある。
・これらを描いたのは狩猟採集民だったテウェルチェの先祖だと考えられている。
・手形は左手がほとんどだが、これは水で溶いた赤い土に動物の油を加えたものを口に含み、右手でもった骨をストローのようにして吹き付けたからだと考えられている。
・この地の狩猟採集民はラクダ科のグアナコを大切な獲物としており、干ばつでグアナコの数が減った時にその回復を祈ってお腹の大きなグアナコの絵を多数残している。
・同様の手形は実は世界各地で見つかっており、人類の移動と共に世界中に広がりつつ、この南米まで到達したと考えられる。
・しかしテウェルチェは19世紀に西洋人に虐殺されて今はこの地におらず、この手形の目的は不明である。
忙しくない方のためのどうでもよい点
・結局はサラリといかに西洋人が攻撃的で野蛮かって話も入ってましたね。特に南米は西洋人による侵略や虐殺抜きには歴史を語れない地ですから。
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