日本海海戦勝利のための万全の布石
日露戦争の勝敗を決したと言われる日本海海戦。この戦いは東郷平八郎の東郷ターンで戦術的に勝利したとされているが、実際はそのようなものではなく、やはり勝利のために事前に様々な手配をし、それでも本番になって計算違いが発生したりなどいろいろとあった挙げ句の薄氷の勝利だった。今回はこの戦いに関連した情報戦に注目。
日本海海戦のそもそもの目的はロシアのバルチック艦隊のウラジオストク軍港への入港を阻止することだった。これを許せば日本海の制海権を奪取されて、日本軍の補給路を断たれる可能性があり、そうなると日本の敗北は必至だった。ただバルチック艦隊がウラジオストクに向かうに当たっては対馬海峡、津軽海峡、宗谷海峡の3ルートが考えられ、これらの全てを封鎖する能力が日本にない以上、バルチック艦隊の進行ルートを探知して、そこで全力を投入して待ち伏せするより日本に勝利の方法は存在しなかった。
そこで軍は100カ所以上の望楼(監視所)を設置し、そこに水兵を常駐させて24時間体制で沿岸の監視を行った。ただこれだと日本の近海に艦隊が到着してからしか機能しないので、どうしても海外での監視が必要である。しかし当時は日本人が外国に行くのは容易ではないし、何より日本人がウロウロしていたら非常に目立つ。そこで外国人協力者を募って彼らに情報を収集してもらった。なおその情報を伝えるのに船便で手紙などなら遅すぎて話にならないので、情報伝達には当時イギリスなどが海外に敷設していた海底ケーブル網を利用した(当時は日英同盟が健在)という。
バルチック艦隊発見、しかしここで想定外の事態が
そしてバルチック艦隊がその情報網に引っかかる。5月25日の夜、上海の日本領事館にバルチック艦隊発見の報が港を取り仕切るイギリス人からもたらされる。この情報は直ちに東京及び連合艦隊に送られ、バルチック艦隊のルートは上海から近い対馬海峡ルートだと判断された。
しかしまだ問題があった。対馬海峡と言っても海は広い。レーダーも飛行機もない時代だけに艦隊に気付かないまますれ違ってしまう危険があった。そこでより詳細なルートを探るために当時の最新鋭機器である無線通信機を使用して、船舶でバルチック艦隊を追跡して位置を報告するシステムを敷く。
そしてバルチック艦隊が発見される。バルチック艦隊を完全撃破するために日本軍は西側から距離を取ってUターンをして、併走しながら攻撃を加えるという作戦を立てる。もし敵艦が攻撃から逃れても、日本本土に押し付けられる形になるので、容易に撃破が可能になるという考えであった。
この作戦を実現するには敵艦隊の正確な位置の把握が必須であった。しかしそこに直前になって問題が発生する。バルチック艦隊を追跡していたのは巡洋艦厳島、笠置、和泉の3艦だったのだが、その3艦が報告してきたバルチック艦隊の位置が喰い違ったのである。これは当時の自艦の位置測定が星の位置などの観測によっていたことに原因があった(GPSなんてなかった時代である)。前日に悪天候のせいで星が見えず、位置測定が不正確になったのだという。司令部は大混乱するが、結局は3艦の中で最も階級の高い人物が乗っていた厳島の報告を信用することになったが、結果としてはこれが間違いであったことが後に判明する。なお和泉の将校は「厳島の報告が間違っていることは分かっていたが、階級が上であるので何も言えなかった」と語っているとか。上下関係の厳しい軍隊ならではの問題である。
東郷提督は厳島の情報に従ってバルチック艦隊の西側を通るべく出撃するが、バルチック艦隊は予想に反して正面に現れることになる。いきなり事前に用意していた作戦が狂って混乱する日本艦隊だが、ここで東郷が決断、危険を冒して敵艦隊の目前でターンをして当初の作戦の形に持ち込むことにする。下手をすればターン中に敵艦隊の集中攻撃を受けて壊滅する危険もある賭だったが、結果として日本艦隊はこの賭に勝利してバルチック艦隊を殲滅することに成功する。
情報操作の結果が暴走
要はギリギリの勝利であったのだが、国民に対しては「東郷大将の作戦通りで当然の勝利」というように予定通りのように報されたという。情報操作であった。情報操作は日本が戦争を継続するために戦意を高揚させるべく、当初から実施されていたという。戦場の残酷な現実は伝わらないように隠蔽された。また新聞なども日本にとって好都合な事実を書き立てるほど売り上げが伸びるので、日本が圧勝のように国民に伝わっていくことになったという。戦争の最中に作成された日露戦争を扱った双六では、日本海海戦の勝利(これも現実よりかなり早めに設定してある)の後には日本軍のモスクワ侵攻(到底不可能な作戦である)があって、最後はロシアの降伏となっているという。
こうやって国民には「日本が圧勝している」とのイメージが刷り込まれるのだが、それが後で牙を剥く。実際は日本海海戦に勝利はしても、モスクワ侵攻どころかもう既に国力を使い果たした日本には事実上継戦能力がなく、政府はロシアとの講和の道を探ることになる。しかし日本に敗北したわけではないとするロシアは頑として賠償金は一銭も払わないと主張、結局は賠償金なしで講和を進めざるをえなくなるが、これに対して国民が激怒する(まあ圧勝していたと信じていたのだから当然である)。新聞などにも連日、講和を批判するような記事が掲載されることになる。
それでも現実が分かっている政府はロシアと講和を締結するのだが、それに怒った国民が暴徒と化して日比谷焼き討ち事件が発生することになる。死者17人負傷者は2000人に及んだという。
以上、日本海海戦の裏事情だが、要は日本は絶対に勝利する必要があるので万全の手を打っていたということであり、この頃はまだ日本軍も合理的に判断することが出来たんだなということである。それが第二次大戦の頃にはわけの分からない精神主義に陥り、何でもかんでも精神論で乗り越えられるというアホな考えに取り憑かれるところまで劣化し、結果としてあの惨状になるのだが・・・。
後半の情報操作の部分は「今も同じようなことをやっているのでは」という現場の声が暗に秘められていたような気もしたが、その辺りは行間読みというものである。なお第二次大戦の時も国民を鬼畜米英の方向に煽ったが、その結果として国民が暴走して最後の最後では無謀な戦争を阻止することさえ不可能になった(いくら当時のダメ軍部の中でも、アメリカとの戦争は勝ち目が全くないということが分かっていた者は少なくない)ということが知られており、扇動が命取りになったという分かりやすい例となっている。この時代から日本の民衆は煽りに弱いということだが、まあ今のロシアなんかを見ていたら、何もこれは日本特有のことではないようである。だからこういう煽りを利用する政治家は要注意である。最近では日本では安倍(今は岸田も専ら利用)、世界的に見たら典型的なのがアメリカのトランプである。
忙しい方のための今回の要点
・日露戦争において日本はバルチック艦隊の針路を調べるために、100以上の望楼を全国に設置し、海外では外国人協力者による諜報網を張り巡られた。
・諜報の結果、バルチック艦隊は対馬海峡ルートを取ることが確定したが、さらに正確な位置を調べるために最新鋭の無線を搭載した偵察艦を貼り付かせた。
・しかし位置測定で問題が生じ、各艦の報告が喰い違う自体に司令部は混乱、結局は一番階級の高い艦の報告を信用することにしたが、結果としてそれは間違いだった。
・予想に関してバルチック艦隊が正面に現れたことで、東郷はとっさに敵前回答の大博打を打つ。結果としてはこれが成功してバルチック艦隊の撃破に成功する。
・日露戦争においては軍部は士気の高揚のために情報操作を実施、また新聞社も日本に好都合な記事の方が売り上げが伸びるので、国民は日本が圧勝していると信じ込むことになる。
・しかし現実は日本は国力の限界に達しており、政府は講和に動く。しかしロシアが賠償金支払いを拒絶したことから、勝利を信じ込んでいた国民は講和に反対する。
・それでも政府は講和を強行したが、結局は不満な国民が暴徒化して日比谷焼き討ち事件が発生することになる。
忙しくない方のためのどうでもよい点
・人間は誰でも自分に好都合な情報のみを信用しようとしたがるものです。それだけにいかにも好都合な情報ほど疑ってかかるのがリテラシーの基礎ですが、自分に好都合な妄想レベルの情報で頭がパンパンの奴が少なからず存在するのが現実。
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