教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

このブログでの取り扱い番組のリストは以下です。

番組リスト

7/12 NHK 歴史探偵「南北朝の若君たち 北条時行と北畠顕家」

南北朝を駆け抜けた若君二人

 今回は南北朝時代の若君に注目しようというややミーハーな企画。1人は現在「暗殺教室」で有名な松井優征がコミックにしたことで有名な北条時行。

     
北条時行を主人公とした松井優征の作品

 なお時行については今まで他の番組でも扱われている。

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 もう一人は南朝方で活躍した無敵の貴公子・北畠顕家である。以前の大河ドラマでは後藤久美子が演じて話題となっており、明らかにイケメン設定である。

 

 

北条再興のために奔走した北条時行

 まず北条時行だが、活躍時には10才と言われている。鎌倉幕府の執権の北条氏の生まれで、義時から8代目ということになる。しかし後醍醐天皇が討幕の兵を上げたことがキッカケで鎌倉幕府が滅亡する。しかし生き延びた時行はその2年後に鎌倉を奪還している。時行を支援したのが諏訪氏で、諏訪大社の神官でもあった諏訪氏は時行を匿っていた。諏訪氏は信仰で固まった集団でもあり、また武芸を誇っていた集団でもあったという。そして時行が中先代の乱で鎌倉を奪還している。

 しかし鎌倉奪還の9日後、豪雨のために鎌倉の大仏殿に避難した軍勢が、大仏殿の倒壊に巻き込まれて500人の犠牲が出る。このことが時行軍の士気を失墜させ(神の軍勢のはずなのに、なぜ仏罰のようなものを受けたのか)、ここに尊氏の軍勢が攻撃をかけてきたことで時行軍は連敗、奪還後24日で鎌倉を取り戻される。この時に時行は逃走して行方不明となる。

 

 

後醍醐天皇のために命を懸けた北畠顕家

 一方の北畠顕家であるが、建武の新政において東北に派遣されたのが北畠顕家だった。顕家は実は公家の出身で舞の名手だったという。その顕家の元に後醍醐天皇から尊氏討伐の命が下る。顕家は京までの800キロを22日という驚異的なスピードで移動した(秀吉の中国大返しよりも早いという)。この移動を可能としたのは南部馬の能力だという。南部馬は絶滅したとのことだが、復元された模型によると在来馬よりも大きな馬だったという。そして京に駆けつけた顕家は尊氏軍を撃破して京を奪還する。この時、顕家16才だという。

北畠神社に立つ北畠顕家像

 勝利した顕家は再び東北に戻る。東北では後醍醐天皇に反発した武士たちの蜂起が続いていた。顕家は要害である霊山に拠点を築いて東北を平定するべくそれらと戦っていた。しかし顕家が東北に戻って7ヶ月後、再び後醍醐天皇から尊氏討伐の命が下る。九州で再起した尊氏が再び京を奪取したのである。しかし顕家は尊氏方に付いた武士の反抗で鎌倉まで到着するだけでも130日を費やしてしまう。しかし鎌倉に到着した顕家は杉本城に立て籠もった尊氏軍に苦戦することになる。その時に駆けつけたのが北条時行だという。こうして二人は尊氏打倒で手を組むことになり、3日の攻防で鎌倉を落とす。

 しかし尊氏に付く武士は増えていた。彼らの頑強な抵抗で顕家の京への進軍は難航する。それだけ後醍醐天皇から武士たちの心は離れていたのである。ようやく堺に到着した顕家は、後醍醐天皇に政治を改めるべきという手紙を書いてから最後の戦いに向かう。顕家はこの戦いで21才で命を落とす一方の時行はその後も戦い続け3度鎌倉を落とすが、顕家の死から15年後に命を落とす。享年28才。

 

 

 以上、南北朝の若君二人のエピソードだが、確かに松井優征が目をつけてコミックの主人公にしたのが良く分かる。特に鎌倉を前に苦戦する顕家の元に、軍勢を引き連れた時行が駆けつけるなんて展開は、もろに「燃える」少年漫画の王道展開である。私は松井優征のこの作品は読んでいないが、まあ私がシナリオを書くのなら、時行が行方不明になっていた時代に顕家と知り合っているという展開にするだろう。

 ただ確かに二人とも打倒尊氏では共通かもしれないが、そもそも時行は北条の再興が目的なわけだから、鎌倉幕府討伐を呼びかけた後醍醐天皇は仇の一人であり、後醍醐天皇を戴いている顕家とは根本的に相容れないはずの立場ではという疑問もあるのではあるが。

 

 

忙しい方のための今回の要点

・南北朝時代に奔走した二人の若君、北条時行と北畠顕家に注目。
・北条時行は執権北条氏の末裔だが、鎌倉幕府滅亡で逃走、諏訪氏に匿われて10才の時に諏訪の軍勢を率いて鎌倉の奪還に成功する。
・しかしその後、尊氏に追われて一時期消息不明となる。
・北畠顕家は後醍醐天皇の家臣で、東北に派遣されていた。尊氏の裏切りに対し、後醍醐天皇から尊氏討伐の命を受けて東北から駆けつけて尊氏軍に勝利、尊氏を九州に追い落とす。
・しかしその後、尊氏は勢力を回復して京を攻略。顕家は後醍醐天皇の命で尊氏と戦うべく京を目指すが、尊氏に味方する武士たちの抵抗で進軍に苦闘。また鎌倉攻略では尊氏方が籠もる堅城杉本城の攻略に難航する。しかしそこに時行が合流して鎌倉攻略に成功する。
・その後、顕家は京を目指すが尊氏に味方する者が多いことから苦戦。堺から挑んだ最後の戦いで命を落とす。
・時行はその後も鎌倉奪還を目指して戦い続けるが、顕家の死から15年後に命を落とす。

 

忙しくない方のためのどうでもよい点

・まあこの時代に絵になる人物ではあるとおもう。特に顕家の場合は明らかに美少年設定なので(時行は資料が少なすぎる)。

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