教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

このブログでの取り扱い番組のリストは以下です。

番組リスト

7/19 NHK 歴史探偵「聖徳太子 愛されるヒミツ」

聖徳太子人気の理由

 日本でかなりの人気を誇る聖徳太子。今までお札になった回数では最多を誇り、某アンケートによると今の日本に必要な人物として、坂本龍馬や織田信長を押さえてトップの座についたとか。とかく伝説が多すぎる聖徳太子であるが、その聖徳太子の人気の秘密に迫るとしている。

聖徳太子像(今は違う人物というのが通説)

 

 

仏教中心の国作りを行い、隋と国交樹立

 まずは文明開化の立役者としての聖徳太子像。聖徳太子は法隆寺を建立したことで有名だが、法隆寺を築いた斑鳩の地は都である飛鳥から20キロも離れている。聖徳太子がなぜこのような地を選んだかだが、実は飛鳥と海をつなぐ航路である大和川に斑鳩は沿っているのだという。使節が大和川を遡れば、まずは河口近くに四天王寺が、そして途中に法隆寺を経て飛鳥の都に入ることになり、日本が仏教を祀る文明国であるとアピールできるという仕掛けだという。

 聖徳太子がここまで考えたのは600年に初めて送った遣隋使の大失敗があった。倭国の使節団から日本の天子のことを聞いた隋の文帝は「(倭国の政治は)道理に合わない」と酷評したのである。そこで聖徳太子は隋が重視している先進の仏教を取り入れ、日本のあり方を根本から変革しようとしたのである。なお聖徳太子の憲法十七条は経典のデータベースと比較したところ、多くの文章が仏教の経典から引用されたものであるという。また在家信者のための経典からの引用が見られ、これは隋の皇帝自身が在家信者であることを考慮したものではと言う。満を持しての607年の第二回遣隋使で隋の皇帝は日本に興味を示し、国交が開かれることになる。

 なお宗教中心の国家というとカルトのイメージがあるが、当時の仏教はいわゆる現在の迷信信仰ではなく、最新技術なども含めた巨大な技術体系でもあり、要は最先端の科学技術を導入したようなものである。

 

 

未だに残存する法隆寺の建設の秘密

 2つめのポイントとして番組は法隆寺に注目している。現在の法隆寺は670年に火事で焼失してから、8世紀初頭までに再建され、それが今日まで続いており、世界最古の木造建築となっている。

法隆寺夢殿の救世観音は太子がモデルと言われている

 法隆寺の五重塔が大地震でも倒壊しなかったのは構造に秘密がある。番組では法隆寺の模型を観察しているが、中央の巨大な心柱は実は各層に接続しておらず、最上部にのみ接続されている。そのために各層が揺れに対してバラバラに動いて振動を相殺する構造になっているのだという。これは現代の柔構造にも通じる優れた建築技術である。

 一方、金堂の建物は創建当初から構造に弱点があるという。屋根が巨大な重量のために下がってきており、それを補強するために柱が付けられている。1300年に渡って補強をしながら今日にまで伝えてきたのであるという。弱点があるが故に逆に手を入れられ続けて存続したと言える。

 

 

全国に広がる聖徳太子伝説

 3つめは聖徳太子の伝説について。法隆寺の夢殿には太子をモデルにしたとされる救世観音像が祀られている。日本では太子信仰は人気を集めてきた。四天王寺では聖徳太子を祀るお堂があり、そこでは聖徳太子の生涯を描いた絵伝が描かれ、聖徳太子の生涯を紹介する絵解きが行われている。そこには例の10人の話を聞き分けたなどの伝説が描かれている。このような太子信仰は全国に広がっているが、特に広げたのが親鸞であるという。

 さらに聖徳太子はもっともお札に起用された人物で、今まで7回登場している。戦後に軍国主義的な人物は禁止された時、GHQに対して聖徳太子は平和主義者であると主張して採用をしたのだと言う。一時は1000円、5000円、10000円が聖徳太子の時代があったらしい(私は5000円と10000円の時代しか知らない)。

 

 

 以上、聖徳太子について。とにかく明らかにおかしな伝説が多い人なので、その辺りを削ぎ落としていかないと実像が見えないというところがある人物である。実際に有名なお札になった肖像画自体がどうやら別人らしいというのが最近の通説だし。また太子ゆかりの地というのが全国各地にあり、本当にそれらを太子が訪れていたのなら、水戸黄門なみに全国を漫遊する必要があり、とても政務なんて行う暇がなかったろうって話もある(笑)。どころか、生誕の地でさえ全国各地にあるし。

 またそれだけ日本に大きな影響を与えた人物であったにも関わらず、息子の山背大兄王は蘇我氏と対立して滅ぼされちゃってんるんですよね。太子は「和を以て貴しとなし」なんて言いましたが、裏を返せばこの時代の日本国内は「和」なんてものとはほど遠かったってことでもあります。

 まあもっとも、ここで太子の一族が絶えてしまったから、太子の存在に泥が塗られることもなくなったとも言えますが。もし太子の一族が後々まで政府の中枢に残っていたら、いずれはその中からは馬鹿も出れば暴虐な者も出ることなり、元をたどれば太子が権力に取り入ったからなんて言われるような可能性もありましたから。伝説扱いされるような人って、最期がかなり大事なんですよね。

 

 

忙しい方のための今回の要点

・未だに非常に人気の高い聖徳太子。その太子の人気の理由に迫る。
・1つは日本の文明開化を行ったこと。第一回遣隋使で散々な失敗をした太子は、隋に先進国と認めてもらうために、当時最新の思想であった仏教を中心とする国作りを進める。
・その結果、第二回遣隋使で隋の皇帝が倭国に関心を示し、隋との国交樹立に成功する。
・また2つめのポイントは現在まで残る法隆寺。現在の法隆寺は8世紀初頭に再建されたものが現存しており、日本最古の木造建造物である。
・五重塔は独得の柔構造になっていて、これが今まで地震で倒壊しなかった理由ともなっている。また金堂などは補強を重ねながら今日まで伝えられた。
・最期に各地に残る聖徳太子伝説。四天王寺を中心に聖徳太子信仰が各地で人気を呼び、太子の生涯を伝える絵解きなどが各地で行われてきた。

 

忙しくない方のためのどうでもよい点

・まあ聖徳太子については多分確かに立派な人だったんでしょうが、どうしても話半分なところもあったりするんですよね。本当に実像が見えない。

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