教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

このブログでの取り扱い番組のリストは以下です。

番組リスト

8/2 NHK 歴史探偵「江戸に届け!真夏の"氷"大作戦」

金沢から東京まで480キロの氷輸送作戦

 今回は夏の風物詩であるかき氷。と言っても今なら製氷機で氷を簡単に作れるが、昔なら夏に氷を調達することは至難の業。それでも天皇や将軍などの特権階級は、夏にかき氷(正確に言うと小刀で氷を削り出していたようだから削り氷)を楽しんでいたとか。清少納言の枕草子にも削った氷にあまづら(ツタの樹液を煮詰めたシロップ)をかけて食べたという記述もあるとか。

平安時代のかき氷(出典:日本かき氷協会HP)

 将軍の元には富士から切り出した氷が献上されていたらしいが、1707年の宝永噴火で富士山に近づけなくなった時、加賀藩が氷の献上を行ったという記録があるらしい。しかし距離は480キロ、これを筵と笹で何重にも包んだ氷を二重の桐の長持ちに入れて、昼夜を問わず4日間で走り抜いて届けたとあるそうだ。と言うわけで、番組ではそれが本当に可能かを再現とのこと。金沢の人力車夫3人(男2人、女1人)が昼夜を問わず走り続け・・・というわけには安全上もいかないので、リヤカー付きの自転車で日中走り続けるというチャレンジを実施、25キロの氷を無事に融かさずに東京に届けられるかの実験である。

 

 

峠で苦戦して、ついにはタイムアップも

 6月中旬に実施、午前8時に金沢城を出発して初日は富山の黒部市まで97キロを爆走。平坦な道は順調に走行できるが、途中には難所の倶利伽羅峠あり。走行30分でいきなりリアカーが破損するなどというトラブルがあったが、一応2時間で倶利伽羅峠に到着、しかしここを超えるのには四苦八苦、結局は漕ぎ手1人に対して、他の2人が助つとに駆けつけて後からリヤカーを押して何とか峠越え。この日は予定より2時間超過で目的地に到着。

 問題なのは2日目、長野の善光寺まで160キロのルートだが、距離が長いだけでなく途中で難所がある。まあかつての命がけの難所の親不知は今はトンネルでくぐれるが、登り坂は結構険しく、結局はこげずに降りて押す局面も。しかし本当の難所は海沿いを離れて山に向かい始めてから、倶利伽羅峠など比にならない急傾斜にさしかかることになる。20キロに渡っての延々の登り坂でとても漕いでは登れずペースは上がらない。結局は善光寺どころか国境の「関川の関所」に到着した時には4時間遅れでとっぷりと日が暮れている状態。これ以上真っ暗な中を走るのは危険とのことで、善光寺には軽トラで輸送することに。

 

 

氷の保管方法とプロジェクト結末について

 ここまで来たところで氷をどうやって確保したかの話になるが、それはわざわざ説明されるまでもなく冬の氷を氷室で保管したということになる。それをわざわざ京に氷を送っていたという氷室神社まで取材に行っている。氷室とは要は地面を3メートルほど掘り下げて(これより深いと冬の温度が上がってしまう)そこに氷を入れて、その上に茅葺きの屋根を被せた上で藁などで断熱及び防水を行ったという。この時のポイントは屋根を尾根などの地形に合わせることで、こうすれば大敵である水の浸入を防げるという。なお平安時代には毎日230キロの氷が献上されたとか。権威の象徴でもあったという。

 さて3日目は目的地は高崎だが、疲労も溜まってきているのと微妙な登り坂でペースは上がらない。ここに立ちはだかる難所が碓氷峠。その上に雨も降り出してかなりの苦戦。登り初めて1時間でようやく県境に到着、その後は下りを突っ走る。そして最終日は登り坂なしの105キロを爆走、無事に東京の旧加賀藩江戸屋敷の赤門に到着で目出度し目出度しという結論。

 これで氷はどうなったかだが、スタジオで梱包を開いたところ25キロの氷は10キロ弱まで減少して無事に届いたという結果に。

 

 

 と言うわけで番組では一大プロジェクトとか言って持ち上げてるんだが・・・正直意味がないよな。ハッキリ言って歴史番組でなくて、バラエティ番組でやるべき内容だわ。とりあえず実験するってのは分からないではないが、自転車使ってる段階で「条件違うやん」という話になる。まあ今回の実験で言えるのは、あのような初歩的な断熱材でも、6月の気象下では4日間氷を保持することが出来ましたということだけ。

 まあこういう内容の意味のなさもこの番組らしくはある。とにかくこの番組になってからバラエティシフトが著しいので。もっともそういう方向性が、私がこの番組がつまらないという最大の理由ともなっているのだが。

 

 

忙しい方のための今回の要点

・古くは平安時代に夏に宮中でかき氷(正確には削り氷)を食べたという記録があり、江戸時代にも富士山から大奥に氷が献上されていた。
・しかし宝暦の噴火で富士に近づけなくなった時期、加賀藩が氷を献上したという記録が残っている。番組ではこれを再現するべく、人力車夫がリアカー付き自転車で氷輸送に挑戦した。
・なおかつて献上された氷は冬に切り出したものを氷室で保管していた。奈良には京に氷を送っていた氷室跡があり、かつては毎日230キロもの氷が朝廷に献上されていた。
・番組のトライは途中で善光寺に到着する前にタイムアップで軽トラを使ったりなどというゴタゴタもあったが、無事に東京に到着。25キロの氷が到着時には10キロ弱に減少していた。


忙しくない方のためのどうでもよい点

・正直なところ、今回はほとんどどうでも良い内容でした。まあ夏休み向け企画かな。

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