教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

このブログでの取り扱い番組のリストは以下です。

番組リスト

8/6 TBS系 世界遺産「アンデスの交易路!1万年続く虹の道」

アンデスの通路であるウマワカ渓谷

 アルゼンチン北部のアンデス山脈に14色の山と呼ばれるカラフルな山脈がある。その脇を通るのがウマシカ渓谷・・・じゃなかった、ウマワカ渓谷である。昔からアンデスの交易路として多くの人々が通ってきた。


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 高度6000メートル級の山が連なるアンデス山脈。その脇を流れるのが標高2000メートルのグランデ川。この川が削り出したのが南北155キロに及ぶウマワカ渓谷である。他よりも平坦で歩きやすいことから人が行き交う通路となった。渓谷から見える山肌には七色の丘と呼ばれる地があり、その麓には先住民の小さな町がある。ここをリャマを連れて人々は行き交ったのである。

 もっともカラフルな山が14色の山。酸化した鉄の赤、変色した石灰岩の黄色、火山性鉱物の緑など様々な色が層をなしており、アンデス山脈が隆起した時に波状の地形となった。

 

 

人類最古の通り道は侵略者をも運んできた

 この渓谷はかつて人類が世界に広がっていく時に通ったルートでもある。そしてその後も交易ルートであった。途中で横にそれると南米で3番目に大きい塩湖であるサリーナス・グランデスがあり、ここで取れた塩もこのルートを通って運ばれた。高地では塩は貴重である。先住民は塩を運んで生活していた。5世紀頃になると渓谷沿いの高台にプカラと呼ばれる居住地を作って定住した。その跡が今も残っているが、最盛期には2000人以上が暮らし、段々畑で農業もされていたという。このような町が渓谷沿いに数十箇所も存在した。800年前の区画整備された大規模な畑の跡も残っている。大量の石で区切られているが、この石は畑の湿度を保つ効果があったという。各区画には灌漑用の水路が通され、新種改良用の農業試験場まであったという。そこでキヌアなどの研究もされていたという。また穀物の貯蔵庫も存在した。また輸送手段としてのリャマも育てられていた。交易では銅や青銅などの金属がこの地にもたらされたという。

 この地はいつ頃から使われていたか。1万年前には人々が行き交っていたという。7000万年前の壁画の残る洞窟もある。見つかった女性のミイラは海側にしかない装飾品を身につけており、当時から交易があったことが分かる。そしてこの道は侵略者であるスペイン人も通ってきた。植民地となった後はキリスト教に改宗され、土着の神々は悪魔として封印された。しかしこれらの神はカーニバルの際に悪魔として復活して地元に伝わっているという。

 

 

忙しい方のための今回の要点

・アルゼンチンのアンデス山脈に、グランデ川が削り出した南北155キロに及ぶウマワカ渓谷が存在する。
・ここは比較的平坦なため、太古から人類の通り道であり、最初の人類もここを通って南米に広がった。今でもここは重要な交易路である。
・アンデス山脈には14色の山と呼ばれるカラフルな山があるが、これは様々な種類の岩石の層が、隆起に伴って地表に現れたことによって出来上がった。
・ウマワカ渓谷の脇に南米3番目の塩湖のサリーナス・グランデスがあり、ここから取れた塩が昔から原住民によって運ばれていた。
・5世紀になると渓谷近くの高地にプカラと呼ばれる居住地が数十箇所も作られた。
・高地では区画整備された段々畑で農業も行われており、大規模な灌漑設備の跡も残っている。
・スペインに侵略された後には住民はキリスト教に改宗され、現地の神は悪魔として封印された。しかし今でもカーニバルの際に悪魔としてかつての神々が登場する。


忙しくない方のためのどうでもよい点

・ここもスペインに侵略された土地なんですよね。細かくは触れていませんが、相当の略奪やら殺戮もあったと思いますよ。南米はアフリカと共に野蛮や欧米人に搾取されまくった土地ですから。

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