教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

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8/23 BSプレミアム 英雄たちの選択「江戸経済を立て直せ! 大岡越前 知られざる奮闘」

経済官僚として江戸経済立て直しに挑んだ大岡越前

 大岡越前と言えば数々の名裁きエピソードなどから、裁判官のもしくは警察署長のイメージがあるが、実際はこれらは後の脚色であり、町奉行としての任務には経済の安定化などもあった。実際の大岡は経済官僚という性格が強かったという。

町奉行・大岡越前こと大岡忠相

 その大岡が取り組むことになった当時の日本経済の問題は「米価安の諸色高」だという。諸色とは味噌・醤油や油・薪・塩など諸々の生活必需品である。これらの品は経済の発達と共に消費が増大したのだが、米は新田開発などで過剰生産気味となって価格が下落していたのだという。このことは米で俸禄を受け取って、それを売って金にして生活している武士の困窮を意味する。また武士が困窮して消費が低下すれば、それに関連する産業も低迷することになると経済に悪影響が出ていたのである。

 大岡はまず諸色高への対策として商品ごとに問屋をまとめて仲間という組合を結成させ、仲間で価格を統一させ、値上げをする場合には理由を奉行所に届け出る必要があるようにした。積極的に価格統制に乗り出したのである。また当時の生活必需品のほとんどは商業の中心である大坂から、一大消費地である江戸に輸送された物であった。そこで大岡はその輸送量を詳細に報告させ物流量を把握するシステムを作った。これは商人による買い占めなどの価格操作を防ぐためだという。実際に油が急激に価格高騰した際、油問屋達を問いただして彼らが価格操作をしたとして処罰している。

 

 

金銀交換レートの問題に挑むが激しい抵抗に遭う

 大岡は江戸の経済問題に奮闘する。当時は質素倹約令のために江戸の経済は冷え込んでいた。そこで両国橋のたもとの人通りの多い場所に娯楽施設や飲食店の出店を促し、後に盛り場へと発展する。また大工への仕事の発注も奨励し、旅行を自粛していた者達に家族での外出を促す。このように景気刺激策を取ったものの、米価安の諸色高は解決出来ないでいた。

 そもそも諸色高になるのは大坂から運ばれてくる商品の価格が高いことに理由があった。そしてその背景には金貨と銀貨の交換レートの問題もあった。江戸で大坂の商品を仕入れるためには金貨を銀貨に交換する必要があり、幕府はその交換レートを金1両に対して銀60匁と定めていた。しかし実際には巷では変動相場で交換されており、享保時代にこの相場が崩れて金1両が銀40匁台という強烈な金安銀高が発生、それがさらに江戸の物価を押し上げることとなった。

 そこで大岡は両替店達を呼び集めて幕府の公定レートを守るように言い渡す。しかし両替商達は反抗して江戸の店を一斉に閉めてしまう。金銀の交換が出来なくなって江戸の経済は大混乱に陥る。そこで大岡は金1両を銀54~55匁と妥協案を持ち掛けるが、両替商達はこれを拒絶してストライキは続く。4ヶ月後、ついに大岡が折れて公式レートの強制を断念する。大岡の目論見は頓挫したのである。

 

 

荒療治に出たが、またも抵抗に遭って膠着

 大岡は米価を回復させるための手段として貨幣の改鋳を行うことにする。新貨幣は金銀の含有量を減らすことで通貨の流通量を増やすことを目指した。貨幣の価値が下がることで物価が上昇してインフレになるという狙いである。これによって米価の引き上げを目指した。こうして1736年5月、貨幣改鋳は実施される。さらに新通貨の流通を促すために、大岡は新通貨への交換に増歩というプレミアムを付けた(金貨100両に増歩65両がついて165両と交換、同様に銀10貫目に増歩5貫目で15貫目)。こうして新貨幣が流通することになるが、ここで思わぬ影響として金1両が銀58.5匁だった相場が改鋳直後に49.1匁に大幅な銀高にふれるという事態が発生する。ここで大岡の選択である。両替商達を厳しく統制するか、銀貨の再改鋳などの他の手を打つか。

 これに対してはゲストの意見は真っ二つに分かれたが、大岡は両替商を厳しく統制するという手を打つ。しかし大岡の呼び出しを両替商達は無視して、代わりに手代達を出頭させた。手代達の説明は要領を得ず、これに大岡は激怒して手代達を牢に入れてしまう。両替店は大騒ぎして店を閉める手段に出るが、大岡は徹底抗戦を続けた。両替商達は各方面に働きかける(具体的に金をばらまくのだが)。1ヶ月半後、事態は思いかけない展開をする。大岡が寺社奉行に栄転されることとなったのである。大岡の後を継いだ奉行は手代達を釈放し、両替商達もお咎めなしとなる。その後、4年で銀高は徐々に一応の解決を見、米価も回復して経済問題はひとまずの解決を見る。

 

 

 ということで、要はあちこちに働きかけて大岡を棚上げにしてしまったのだろう。またあまりに過激な策に吉宗がひるんでストップをかけたのではという解釈もなされていた。いずれにしても大岡は功績もあって有能なので更迭するわけにもいかないので、結局は祀り上げたということになる。厄介な人間を現場から外す時の1つの手でもある。

 もっとも大岡が寺社奉行になってから4年後には経済も落ち着いたということであるから、大岡の取った策は基本的には間違っていなかったということだろう。もっともあの時代には先進的に過ぎたのかもしれない。当時に経済学の教科書があったわけではないので、自ら近代的な経済政策に行き着いた大岡は確かに有能だったのだろう。ただ番組ゲストも言っていたが、そこまで両替商を統制しようとするなら、いっそのこと金銀交換を幕府が一手に支配してしまえばということも考えられたのだが、それが出来ないのが武家政権というわけでもある。やはり武士の考えの根本として、商売は卑しいものという考えがあったので、幕府がそこに乗り込むわけにはいかなったのだろう。最も現実としてはこの時代になれば武士も戦士としての戦闘力でなく、官僚としての計算力の方が重要な時代になっている認識はあったはずだが。

 まだそういうように時代がまだ過去の価値観で支配されていたわけだから、この次に登場して商業を重視して日本を重商主義に転換しようとした田沼意次はかなりの先見の明を持っていたと私は考えているのだが・・・。ハッキリ言って経済政策についての理解の深さは、その後に台頭する松平定信などとは雲泥の差がある。この田沼意次という人も未だに正統な評価をなかなか受けていない人物である。

 

 

忙しい方のための今回の要点

・町奉行の職務には江戸の経済政策も含まれており、大岡忠相もその問題に直面することになる。
・大岡が町奉行になった享保期は、「米価安の諸色(味噌や油などの生活必需品)高」という問題に直面しており、それの解決が必要であった。
・米価安は米の過剰供給が、諸色高は大坂から送られてくる商品の価格が高いことが原因で、さらに商品代金の支払いに必要な銀の価格高騰がそれに拍車をかけていた。
・大岡は諸色の輸送量を把握して、買い占めによる価格つり上げを図る問屋を処罰するなどの価格統制策をとった。
・さらに大岡は金安銀高の解消のために両替商達に幕府の公定交換レートを守るように通達するが、両替商達はこれに反発して一斉にストライキを実施、江戸の経済は大混乱に陥って大岡も断念を余儀なくされる。
・大岡は江戸の経済刺激策などを取りながら、米価安を解消するために貨幣の改鋳を決定する。これで米価は上がったものの、その直後に突然に急激な銀高が発生する。
・大岡はこれを抑えるべく再び両替商を集めるが、両替商達は抵抗して代わりに手代を送って来る。これに激怒した大岡は手代達を牢に入れてしまう。
・両替商達もストライキで抵抗するが、今度は大岡も徹底抗戦の構えを見せる。
・両替商達は様々な方面に働きかけ、それが効いたのか1ヶ月半後に大岡が寺社奉行に昇進、後任の奉行は手代達を放免して両替商にもお構いなしの沙汰を下す。
・4年後に銀相場は徐々に元に戻り、一応の経済の安定を見る。


忙しくない方のためのどうでもよい点

・大岡は非常に有能な役人でしたが、この時代の幕府の限界として、日本全体でなくてとりあえず江戸の安定を最優先してるんですよね。そのために幕末になって凶作が続いた時、幕府は大坂の米を江戸に回すように指示を出し、それを見た大坂奉行所の大塩平八郎が激怒して乱につながるんですよね。

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