教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

このブログでの取り扱い番組のリストは以下です。

番組リスト

8/30 BSプレミアム 英雄たちの選択「どうした?石川数正~なぜ家康の忠臣は出奔したのか~」

必死の大河連動企画です

 現在大苦戦中の大河ドラマの宣伝のために、既に「歴史探偵」は全面的に宣伝に投入されているが、この番組まで大河ドラマの進行と合わせた企画である。最早NHKは手段を選ばないようになってきている。さすがに家康扱ってあの視聴率ではまずいんだろう。

 さて大河の方では石川数正の出奔のエピソードが登場するようだが、未だにこの事件は謎が多いとされている。石川数正は家康の人質時代から仕えてきた一番の忠臣なのだが、なぜか突然に一族を連れて秀吉の元に出奔してしまう。その真相については秀吉から調略された、家臣団の中で浮いてしまって居場所がなくなった、戦を回避するためにやむなく秀吉に下った、家康から送り込まれたスパイなどなど諸説あるが、未だに真相は謎が多い。

長篠合戦図屏風の石川数正

 番組ではまず、石川数正が築いたという松本城を大河で石川数正を演じ、この番組のナレーションを務めている松重豊氏が訪問しているが、そこに現れるのがお城クンこと千田氏である。例によって千田氏がハイテンション気味で松本城の天守の防御施設を紹介している。なお数正の肖像画は残っていないが、合戦図屏風の類いにはしょっちゅう出ているらしい。数正の活躍と言えば今川と交渉して嫡男の信康を奪還したことが有名だが、まさに歴戦の勇士である。また外交担当として秀吉との折衝に当たっていたのも数正である。

 

 

小牧・長久手の戦いで堅実に功績を挙げる

 そうしていた時に発生したのが小牧・長久手の戦いである。圧倒的に劣勢だった徳川軍だが、秀吉の別働隊を叩いたことで有利になる。なおこの時に数正は適切な読みによって小牧城を死守する。武力で家康を下すことは難しいと思った秀吉は信雄と講和に持ち込むことで家康の戦いの大義名分を消滅させ、家康は秀吉と講和することになる。秀吉はその後に勢力を広げると家康に対する包囲を強める。最前線の岡崎城を守っていたのが数正であり、数正が手がけた岡崎城は本丸にまで敵が迫られても徹底抗戦出来るような構造になっているという。

 武力では制圧は難しいと見た秀吉は権威で従えることを目指す。秀吉は征夷大将軍を狙ったが、家康に負けたことでそれは叶わず、結局は関白になることにした。そして家康に人質を出すことを求める。家康家臣団は秀吉との手切れを主張するが、ここでそれに反対したのは数正だという。しかし家康も不快感を示しており、数正は家臣団からも浮きつつあったという。また秀吉は数正に書状を送るなど懐柔の姿勢を示していた。しかし一方秀吉は家康に対して信州から攻め込む準備も進めていたのである。

 

 

秀吉の攻撃直前に出奔する

 そして数正はついに妻子を連れて秀吉方に走ることになる。数正は徳川の軍事・外交などすべてを知り尽くしている。家康はこれらをすべて改める必要に迫られたのである。で、数正の出奔の理由だが、1.徳川を見限った 2.徳川を守るために戦を回避させようとした を挙げている。これについては番組ゲストは全員一致で2。なお私も同じく2である。

 今年4月、数正出奔の一ヶ月前に織田信雄が記した文書が公開されたが、そこには家康が数正を派遣して秀吉と交渉させるのは良いことだということが記してあるという。つまり家康も少なくとも1ヶ月前までは和議の交渉を続けていたということである。また足弱な妻子を連れての逃避行に対して追っ手をかけたようすもないことから、家康も了解してのことではと言う。

 なお秀吉の家康討伐は天正の大地震で秀吉側が大被害を受けたことで立ち消え、秀吉は家康を懐柔することになる。そして家康は秀吉に臣従して関東に移封、その後に石川数正は松本の8万石の大名となる。その後、数正は何らの真実も明かすことなくこの世を去る。

 

 

 以上、裏切り者と罵られることも多かった石川数正について。数正は身体を張って戦いを止めたというのは現実的なところだと考える。実際のところ、そのぐらいの大技でも駆使しないと脳筋の三河武士団を抑えることが出来なかったのではと思われる。実際のところは家康自身が秀吉には勝ち目がないと考えていたのだが、回りの脳筋軍団が揃って徹底抗戦だったら、さすがに家康としても抑えが利かないというのが本当のところだろう。三河武士団は忠義が篤くて結束が固いというのは後の世の創作であって、実際の三河武士団のまとまりというのは意外と脆かったので、家康が弱腰で頼りにならないとなったら見限られる可能性まである。そこで数正がスケープゴートになることで三河側には「さすがに情報がツーツーでは戦いようがない」と思わせ、秀吉側とは妥協点を探ったと言うところだろう。後の日本のあり方をも変えたなんてことも言っていたが、確かにここで秀吉と家康が全面衝突していたら、家康が滅亡するのは確実であるが、当の秀吉の方も弱体化する可能性があり、そうなったら伊達や島津など腹に一物ある連中がゴロゴロしてるわけだから、下手したら戦国時代パート2なんて可能性もあったわけである。

 

 

忙しい方のための今回の要点

・石川数正は家康の人質時代からの腹心であり、今川から嫡男の信康を奪還する際などに活躍した。また小牧・長久手の戦いでも別働隊を家康本隊が攻撃に出陣した後の小牧城を死守している。
・小牧・長久手の戦いの後に秀吉と講和した家康だが、秀吉は徳川攻略の準備を進め、家康に対して重臣を人質に出すことを要求してきた。これに対して家康の家臣達は秀吉との戦いを主張、和睦を主張する数正は浮いた存在になってしまう。
・そんな中、数正が突然に秀吉の元に出奔する。ただしこれについては、秀吉との間の戦いを回避するために家康も了解してのものであった可能性もある。


忙しくない方のためのどうでもよい点

・数正は恐らく、自分が後に裏切り者と罵られることになっても家康を守ろうとしたのでしょう。実際に江戸時代には裏切り者として散々罵られていたようですから。こういう役割は本当の忠臣でないと難しい。家康も心の底で「すまない、数正」と思っていたのではということも考えられる。

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