教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

このブログでの取り扱い番組のリストは以下です。

番組リスト

11/1 NHK 歴史探偵「どうする家康コラボスペシャル 天下分け目の特別調査」

またまた今更ながらの大河宣伝企画

 もうどうしようもなくなっているあの失敗大河を、それでもなんとかしないといけないNHKのしわ寄せがまたもこの番組に・・・。前回は普通に歴史番組していたと思っていたのに、それが絶対には続かないのがこの番組。

 というわけで、今回はスタジオに本多正信役の松山ケンイチ氏と大久保忠世役の小手伸也氏が登場するのだが、これが番組として全く何の意味も持たないことはとりあえず番組が終わったらハッキリすることなんだが、今回は探偵としても3人登場するとのことで、これがまた本当に登場するだけで無意味なんだよな・・・。

 

 

伏見城の戦いの詳細

 まずは井伊直政役の板垣李光人氏が登場だが、どうにも井伊直政のイメージとはかけ離れたナヨイ今時男子。で、彼が訪問するのが関ヶ原の合戦の時に鳥井元忠が立て籠もった伏見城。で、お城と言うことならと千田氏まで登場するのだが、当の伏見城跡は今は明治天皇の墓所になっているので内部には入れず、遺構も残っているのは石垣の断片だけという状況で現地訪問の意味はほぼなし。なお例の赤色地形図で見ると、一応曲輪の痕跡は残っているようである。それはともかくとしてかなり大規模な城であり、そもそもは豊臣秀吉の権威の象徴のような城であったから、ここを攻めるということはそれだけでも大義に反するという意味になり、家康はあえてここに元忠を囮として残すことで石田勢を誘ったのだろうとのこと。

 なお家康は軍のほとんどを率いて越後に向かっているので、元忠の軍勢は2300に対して、包囲する三成軍は4万。もう玉砕は確実であったのだが、元忠が与えられた任務は時間稼ぎ。そこで少ない軍勢では守り切れない周辺の曲輪は放棄して、本丸近くまで敵を引き付けて徹底抗戦するという戦術をとる。その結果として10日間を稼ぎ、そのために西軍は東進することが出来ず、回り回ってそれが関ヶ原の家康の勝利につながったという話である。という伏見城の戦いを紹介。なおイケメンの板垣李光人君は頷いていただけ。

 

 

関ヶ原の合戦では活躍していないホンダム

 次に登場するのは機動武士ホンダムこと本多忠勝役の山田裕貴氏が、関ヶ原合戦での本多忠勝の大活躍の跡をたどるべく関ヶ原古戦場を訪問している。で、岐阜関ヶ原古戦場記念館(私が以前に関ヶ原を訪問した時には、ちょうどオープンの直前で見学出来ず)を訪問して、当時の布陣などを確認している。それによると忠勝の陣はかなり奥。関ヶ原で最前線で大活躍していたというイメージがあったらしき山田裕貴氏はいささか拍子抜けしている。

 忠勝がこの位置に布陣していたのは、彼は軍目付という各武将の働きを監視する役割を果たしていたからである。というのもこの戦いに参加した武将の大半は豊臣方の武将であり、忠勝の役割は万一彼らが寝返りでもした場合に備えるということもあったからだという。その頃、徳川軍の本体は秀忠が率いて中山道を進軍中であった。忠勝はそれの到着を待ってから戦うという意見だったらしいのだが、秀忠軍は途中で真田に引っかかってしまい、待てど暮らせど到着せず、結局は家康が手元の軍勢だけで戦うことになってしまったのが実態と言うことである。

 その結果として戦いには勝ったが、前線で活躍したのは旧豊臣恩顧の大名ばかりだったので、彼らを加増せざるを得なくなるという計算違いが家康には発生したという。そこで彼らに加増する代わりに西国に追いやるという方法を取ったという。というわけで関ヶ原の合戦はすべて家康の目論見通りに言ったわけではないという話。

 

 

秀頼の天下人戦略

 最後は千姫役の原菜乃華氏が登場して、大坂の陣での秀頼に迫るという内容・・・なんだが、原菜乃華嬢って美人なのは間違いないんだが、存在感については先の2人よりもさらに薄く、本当に顔見せぐらいの意味しか持っていない。

 で、内容は秀頼は秀吉にならって巨大な方広寺の建設など寺社の整備に力を入れて、天下人たる存在感を示そうとしていたという話。しかし結果としてはその方広寺の梵鐘に刻んだ文言が家康から因縁をつけられる原因となり、結果としては豊臣家の滅亡につながってしまう。

 ということで最後には原菜乃華嬢の「(秀頼は)立派なリーダーシップを持った方で、千姫もどんどんと惹かれていったと思う」というお約束通りの優等生的なコメントを得て完了である。なお秀頼凡庸説に関しては、やはり後世に徳川氏が広めたものであるとも言われている。実際に家康が秀頼と対面したことで豊臣家を滅ぼすことを決意したとされているが、その理由はまず秀頼の容貌が秀吉とは似ても似つかず、秀吉の血を引いていないことが確実であることを確認したのと、秀頼は予想以上に器量があり、自分のバカ息子の秀忠(後に治世の才は発揮したが、少なくとも戦に関しては完全に無能だった)を上回ると感じたからという話もある。


 以上、この期に及んでの今更の大河宣伝企画であるが、ここまで必死になるほど今の大河のコケっぷりは決定的ってことだろう。しかし今更この番組で宣伝したからと言って、では見てみようとなる者が何人いるか。なお今回は歴史番組として見たら、特に取り上げるべきないようもないという毎度のこと。

 

 

忙しい方のための今回の要点

・今回は今更ながらの大河宣伝企画である。
・最初は伏見城の鳥井元忠は三成軍を惹きつけるための囮であり、元忠は玉砕を覚悟の上で三成軍を10日間足止めし、それが関ヶ原の勝敗にも影響した。
・関ヶ原の合戦では猛将本多忠勝は後方に陣取っているが、それは前線の豊臣方大名の万一の裏切りなどに備えてのものであった。本来は徳川本軍の到着を待ちたかったが、その本軍は真田に足止めされてしまったという事情が効いている。
・秀頼は秀吉にならって巨大方広寺を造営するなどの天下人戦略をとっていたが、結局はその方広寺の梵鐘の銘文が家康から因縁をつけられる原因となり、滅亡することになった。


忙しくない方のためのどうでもよい点

・この番組って、たまに歴史番組らしいしっかりした内容があるんだが、それがせいぜい1ヶ月から2ヶ月に1回って割なんだよな。そして他の番組の宣伝が半分ぐらい。本当にNHKの番組制作能力の低下を痛感させられる。

次回の歴史探偵

tv.ksagi.work

前回の歴史探偵

tv.ksagi.work