教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

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1/24 NHK-BS 英雄たちの選択「幕末の冒険者・ジョン万次郎」

幕末に活躍した土佐の漁師出身の万次郎

 今回の主人公は漂流民としてアメリカに渡り、そこで勉強して日本に戻ってきた男。ジョン万次郎こと中濱万次郎である。

ジョン万次郎こと中濱万次郎

 

 

漁で遭難し、アメリカの捕鯨船に救助されて渡米する

 万次郎は土佐の漁師だったが、14才の時にはえ縄漁に出てそこで嵐に遭遇する。6日の漂流の後に伊豆諸島の無人島の鳥島に漂着する。流れ着いた5人はそこで過酷なサバイバル生活を送ることになるが、143日目にようやく沖を行く帆船に救助される。彼らを助けたのはホイットフィールド船長が率いるアメリカの捕鯨船のジョン・ハウランド号だった。

 しかしすぐに日本に送り届けてもらうことは無理だった。鎖国政策下の日本では、外国船が近づくと問答無用で砲撃を受けたし、何とか帰り着けても外国人との接触が明らかとなれば死罪の可能性があった。やむなくひとまず次の寄港地まで船に乗ることになった。万次郎は英語とクジラ漁を習得していった。アメリカ流の捕鯨術は万次郎にとっても興味深いものだった。ホノルルに着いたところでホイットフィールド船長は万次郎にアメリカに連れて行って教育を受けさせたいと提案する。万次郎はそれを承諾して、一人船に残るとアメリカに向かう。この頃から万次郎はジョンマンと呼ばれるようになったという(船の名前と万次郎の名をつなげたらしい)。

 ニューベッドホードについた万次郎は、ホイットフィールド船長の家で居候しながら、まずは英語の読み書きから小学校で勉強を始めた。苦労した万次郎だが、熱心に学習に取り組み、航海術の専門学校にも入学して優秀な成績を修める。そして再び捕鯨船に乗って3年4ヶ月に渡って世界を又に捕鯨に従事する。

 漁を終えて帰ってきた万次郎にホイットフィールド船長からある提案がもたらされる。それは自分の姪と結婚して家業の捕鯨を継いで欲しいというものだった。しかし万次郎は帰国を諦めていたわけではなかった。ここで万次郎の選択である。アメリカに残るか、日本に戻るか。ゲストの意見は分かれたが、万次郎の選択は日本に戻るであった。

 

 

日本に戻って開国のために活躍する

 万次郎が日本に戻ることを決めた理由の1つには、当時の日本が漂着した捕鯨船員などがかなりひどい扱いを受けていたことが外国でも問題視されていたことなどから、仲間たちのためにも日本を開国させたいという考えがあったという。

 ちょうどその頃、アメリカではゴールドラッシュが起こる。万次郎もこれで一財産を得て日本に帰る資金を調達する。ホノルルに渡るとかつての漁師仲間と合流し、琉球を目指すことにする。上海に渡る商船に同乗して、日本の近くで小型ヨットで琉球に上陸する。こうして1851年1月、万次郎は琉球への上陸を果たす。事情聴取を受けた万次郎はそこで最新のアメリカ事情を報告、これに島津斉彬が興味を示し、人を送って船の建造法などを学ばせたという。おかげで万次郎は捕らえられることもなく土佐に帰ることが許される。

 ペリーの黒船来航で、アメリカの事情に通じている万次郎が幕府に呼び出される。万次郎は老中阿部正弘らの前で漂流民に対する扱いを改善することや、アメリカは日本との親交を求めていると訴える。万次郎をこのままにしておくのは勿体ないと考えた阿部正弘によって万次郎は幕臣に取り立てられることになる。そして翌年に日米和親条約が締結され、万次郎の目的は達成される。しかしその裏では徳川斉昭の強い反対で万次郎が通訳として交渉に参加することが拒絶されるなど、攘夷派と開国派のつばぜり合いが繰り広げられていた。攘夷派は万次郎をスパイとして疑っていた。しかし万次郎は英会話の指南書を作るなど活発な活躍を行う。また万次郎は写真技師なども行っていたとのことである。彼は咸臨丸に通訳として同行した時に写真術を習得して、機材も購入したのだという。しかしその後、派遣先のロンドンで病になり帰国、71才で没するまで公の職に就くことはなかったという。

 

 

 以上、日本の開国にも後見した人物の物語。ただやはり庶民の出身だったと言うことで、身分制社会の中ではやはり公の活躍は制限された部分もあるようです。もっとも下手すれば罪人として処罰される可能性もあったわけですから、それが許されてある程度活躍出来たのは幸運であったと言うべきでしょう。まあそもそも漂流して無人島に流れ着いて、そこから無事に帰還出来ただけでも強運の持ち主ではあったようです。

 なお万次郎については、英語は堪能だったのだが日本語の方が土佐弁のバリバリだったので、そっちの方に難があったなんてエピソードもあるようです。なお万次郎が作ったという英会話の指南書は、音をカタカナで記している奴で「What time is it now?」に「掘った芋いじくるな」と読みが書いてあると言われる奴です。しかし万次郎が耳で直接に聞いて覚えた音に基づいているので、実際には下手に英語をかじった奴がわざとらしい巻き舌で発音するよりも、万次郎式カタカナ英語の方がネイティブには通じるとか。そう言えば「シンゴジラ」でもアメリカネイティブ設定でわざとらく「ガッジーラ」って言っていた石原さとみの英語はネイティブにはチンプンカンプンで、アメリカ上映の時には彼女の台詞だけ字幕がふってあったとか(笑)。

 

 

忙しい方のための今回の要点

・土佐の漁師だった万次郎は、14才の時に漁で遭難して無人島に漂着、そこでアメリカの捕鯨船に救助される。
・学習意欲が旺盛な万次郎を見たホイットフィールド船長は、彼にアメリカに言って教育を受けることを提案、万次郎もそれを承諾して、ホノルルで仲間と別れるとアメリカに上陸する。
・ホイットフィールド船長の家に居候した万次郎は、まずは小学校での英語の読み書きから勉強し、最後は航海術の専門学校で優秀な成績を修めることになる。
・その後、捕鯨船に乗船して3年4ヶ月に渡って世界を巡る。彼の働きを見たホイットフィールド船長から姪と結婚して家業を継いで欲しいと提案される。
・しかし万次郎はゴールドラッシュの採掘に参加して資金を作ると、ホノルルの仲間たち日本に帰国をする。彼は日本に漂着してひどい扱いを受けている捕鯨船員達のために日本を開国させたいと考えていた。
・琉球に到着した万次郎は取り調べでアメリカの事情などを報告、島津斉彬が感心を示すなどをしたことから処罰されることなく土佐に帰還する。
・やがてペリー来航で万次郎は幕府に呼び出される。そこで万次郎は漂流民に対する扱いを改めるべきであることと、ペリーの意図は友好を結ぶことであることなどを老中阿部正弘らに訴え、阿部正弘は彼を幕臣に取り立てる。
・やがて日米和親条約が結ばれ万次郎の目的は達成される。もっともアメリカのスパイであることを疑われた万次郎は、その席には参加していない。
・その後の万次郎は英語の指南書を出版したり、写真技師として活躍したりなどしたが、派遣されたロンドンで病を患って帰国した後は、71才で没するまで公職に就いていない。


忙しくない方のためのどうでもよい点

・それにしても万次郎は運があったというか、タイミングがちょうど良かったというのはあるようです。これが数年早かったら、帰国したら罪人として捕らえられて処刑される可能性がありましたから。ちょうど日本が開国間近で、とりあえず海外の事情に通じている者を欲していたというニーズにちょうど合致していたようです。

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