教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

このブログでの取り扱い番組のリストは以下です。

番組リスト

1/31 NHK-BS 英雄たちの選択「徳川家康 金銀王への道~金銀で読み解く戦国ニッポン~」

鉱山を求め続けた家康

 いろいろな視点から歴史を眺めてきたこの番組だが、今回は金銀という視点から戦国時代を読み解く。戦国日本を押さえた天下人徳川家康は金銀王であり、当時の世界有数の金持ちでもあったという。

 そもそも家康と金銀との出会いは最初に今川家の人質時代に触れた、今川氏が作らせた蛭藻金という金貨であったろうという。今川氏はこれを軍資金として使用していた。桶狭間の合戦で今川義元が亡くなったことで家康は自立するが、その時から金銀を産する鉱山を求め始める。家康のライバルであったのが武田信玄だが、その無類の強さは甲斐の黒川金山や湯之奥金山などで産出する金による経済力によるものであった。それが武田家滅亡、本能寺の変で領主不在となった甲斐を家康が支配することで、家康は念願の金山を入手すると共に、技術者である金山衆もその配下に加えることになる。

 しかしその金山も秀吉による関東への国替えで手放すことを余儀なくされる。家康の新領地である関東にはめぼしい金山はなく、生野銀山を直接支配し、石見銀山の銀を毛利氏から上納させていた秀吉との経済力は開くばかりであった。当時は石見銀山を持つ毛利の方が強いと見られていたという。

 

 

時代を動かした石見銀山

 石見銀山は1527年に博多の貿易商によって発見されたが、朝鮮から伝わった銀を鉛との合金にして抽出する灰吹き法によって劇的に産出量が増加などによって、日本は世界有数の銀産出国となっていた。石見銀山は大内氏、尼子氏、毛利氏などの間で激烈な争奪戦が繰り広げられた。それらの銀はヨーロッパ人をも惹きつけた。ポルトガルからの銃の伝来も、銀を手に入れるために売り込まれたものであるという。彼らは日本で入手した銀で中国で絹織物や陶器などを仕入れて帰ったという。世界の物品を購入するために諸大名は鉱山開発に力を入れた。そして秀吉はそれらから一部を上納させることで圧倒的な財力を確保したのだという。

 関ヶ原の合戦で勝利して覇者となった家康は石見銀山を直轄地にしたことを始めとし、全国の鉱山を支配下に収める。そして大久保長安を鉱山奉行に起用する。長安は石見銀山で新しい方法による採掘を行って新たな鉱脈を見つけるなどを行う。そして金銀の採掘量は全国で激増する。

 

 

銀産出増加のための家康の選択

 しかし家康は中南米で日本にはない技術で銀の採掘量を激増させているという情報を入手していた。彼は難破したスペイン船に乗っていたフィリピン綸旨総督ロドリゴ・デ・ビベロと面会、帰国に必要な船を与える代わりに新技術の提供と鉱山技師50人の派遣を求める。これに対してビデロはスペイン人が発見する鉱山の銀の3/4をスペインのものとすることや、技師を置く鉱山にキリスト教の教会を建てて宣教師を置くことなどを求める。庫の提案を受けるべきか否かの家康の選択である。

 これについてゲストの意見は分かれるが、受けるという者でも技術だけ手に入れてから後はのらりくらりでかわすなんてセコい意見(笑)もあった。で、私の意見だが「条件が悪すぎるので拒絶」である。別にスペインに限らず他のルートでも技術の入手は可能であろうというもの。

 そして家康の選択であるが、キリスト教は受け入れられないと拒絶する。その上でオランダと交渉する。オランダはスペインの領土的野心を訴えて、自分達は布教はしないと約束する。そして家康はオランダを通して生糸などを入手することが可能でなると共に、水銀アマルガム法などの新精錬技術も入手していたという。これで全国の銀の収量は激増する。やはり家康、かなり強かである。その上で家康は豊臣家を滅ぼすことで秀吉が蓄えていた金も入手する。こうして膨大な金銀を確保した家康は、これを用いて貨幣を鋳造して通貨制度を確立する。これで日本の経済活動が活発となり、貧国であった日本のGDPは江戸時代末期にはアジアトップとなったという。

 

 

 以上、家康の金銀政策について。領土的野心を秘めているヨーロッパ諸国を相手に回して強かな交渉を行ったという巧みさは流石。また最終的に天下太平の下で内政を重視して日本の経済力や教育を強化したという辺りは後まで影響することで、おかげで日本は欧米の植民地になることを回避出来たという話も出ていた。

 もっともそのように強かな政策を行った江戸幕府を否定した薩長政府の末裔である大日本帝国は、決定的な馬鹿をやったせいで今は日本はアメリカの実質的植民地に堕してしまっているのだが・・・。何か日本の外交力って、家康時代どころか、聖徳太子の頃と比べても落ちているようにしか思えんのだが。

 

 

忙しい方のための今回の要点

・戦国時代は各地で鉱山の開発が進んだ時代であった。
・そのキッカケは石見銀山の発見で、灰吹き法によって銀の産出量が飛躍的に増加し、これが各地の大名の鉱山開発を促すことになった。
・秀吉によって鉱山のほとんどない関東に領地替えされた家康は、なかなかその恩恵にあずかれず、全国の鉱山から金銀を上納させていた秀吉との経済力の差は広がるばかりであった。しかし関ヶ原の合戦の勝利で、石見銀山を始めとして全国の鉱山を自らの直轄支配下に収めることになる。
・さらなる産出量の増加のために、家康はスペインから銀の精錬の新技術の導入を交渉するが、スペインは銀の3/4を収めることとキリスト教布教を求める。
・スペインの領土的野心をオランダから聞いていた家康はこれを拒絶。結局は貿易愛としてキリスト教を布教しない約束をしたオランダを選び、精錬技術もオランダから入手、銀の産出量が増加する。
・さらに豊臣家を滅ぼしたことで秀吉が蓄えた金も接収、それらを元に貨幣を鋳造して、通貨制度を確立することで日本の経済力を高めることに成功する。


忙しくない方のためのどうでもよい点

・戦国時代の領土取り合いも最終的には経済戦だからね。毛利は石見銀山を取られたことが決定打になり、家康に屈せざるを得なくなります。特に江戸時代初期は幕府の経済力って圧倒的なんだよな。その後に綱吉の頃のバラマキでかなり幕府の財政は悪化するが。

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