ヴァスコ・ダ・ガマの通った道
15世紀末からの大航海時代はヨーロッパがアジアに向かって進出を図った時代である。その時代が生んだ世界遺産も存在する。
まずポルトガルの首都リスボンのジェロニモス修道院には大航海時代を代表する英雄、ヴァスコ・ダ・ガマの柩が存在する。その柩には胡椒の実が掘られているが、彼はこの胡椒を求めてインドに向かった。1497年にリスボンを出航するとアフリカ沿いでインドを目指した。長い航海で水が腐ってしまうことに備えて、ワインを運んだという。4ヶ月後に喜望峰にさしかかる。彼は始めてここを超えたヨーロッパ人であり、記念碑も建っている。
インド洋のソコトラ諸島はアラブの商人が寄港地とした島だが、外界から閉ざされて独得の進化をした奇妙な植物が多いことから、インド洋のガラパゴスとも言われている。アラブの商人はこの地に生える奇妙な形の巨大植物竜血樹から、赤い樹液を採取するために訪れていた。この樹液は止血剤になるので高値で取引されたという。
ヴァスコ・ダ・ガマは10ヶ月かけてインド南部に到着する。これでインドとの交易路が開拓された。そしてポルトガルはゴアに拠点を設立する。ここはキリスト教の布教拠点ともなり、ポン・ジェズ教会にはフランシスコ・ザビエルの遺体が祀られている。
ザビエルの布教の道
東南アジアのマラッカ海峡には航路の要衝であり東西貿易で栄えた。海の上にある町ジョージタウンも世界遺産となっている。中国の商人達が桟橋の上に町を作ったのである。沖の船と桟橋の間で物資を運ぶ人達がここに暮らした。
シンガポールは19世紀初頭にイギリスの植民地となった。世界遺産のシンガポール植物園はイギリス統治時代に設立された。ここは蘭の新種の開発でも知られている。
マカオはポルトガルの支配下となった街である。セナド広場にはカルサーダスと言うポルトガル風の石の装飾がある。またタイルによる装飾もあちこちに見られる。ザビエルはここから日本に向かった。ザビエルの地図には日本は銀山の王国と記されているという。これは石見銀山のことである。当時の石見銀山は全世界の銀産出の1割を担っていた。そしてザビエルが伝えたキリスト教が長崎に多くの潜伏キリシタンを産み出し、その遺跡も世界遺産になっている。またザビエルは活版印刷も日本に伝えたという。
忙しい方のための今回の要点
・1947年にヴァスコ・ダ・ガマがインドに向かって出航。10ヶ月かけて喜望峰経由でインドに到着する。
・それ以降、ゴアにポルトガルの拠点が作られる。ここの教会にフランシスコ・ザビエルの遺体が祀られているが、彼はここから日本への布教に向かった。
・東南アジアの要衝マラッカ海峡には東西貿易の拠点となった海上都市が存在する。
・シンガポールは19世紀初頭にイギリスの植民地となり、その時にシンガポール植物園が設立された。
・マカオはポルトガル支配下となっており、ザビエルはここから「銀の王国」日本を目指した。当時の石見銀山は全世界の銀の産出の1割を占めていた。
・ザビエルは日本にキリスト教を伝えると共に、活版印刷も伝えたという。
忙しくない方のためのどうでもよい点
・完全にオムニバスな内容です。この番組も長年に渡って放送されているので、正直なところネタは大分しんどいだろうとは思いますが。
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