教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

このブログでの取り扱い番組のリストは以下です。

番組リスト

5/6 NHK-BS 英雄たちの選択「スペシャル 日本史サバイバル! 近衛家と細川家の戦略」

摂関家として続いてきた近衛家と幕府管領末裔の細川家

 今回はスペシャルとのことで拡大版で近衛家と細川家という武力などで秀でているわけではないが、巧みに権力の中枢で生き残ってきた旧家の生存戦略について紹介するという企画。番組自体は近衛家21代の近衛家煕と肥後細川家5代の細川綱利が双六の勝負をしながら互いの家について語るという趣向にしてあるが、まあ正直なところこれはどうでも良いような演出である(笑)。

 近衛家の祖は藤原鎌足につながる。後に藤原家が五摂家に分かれると近衛家はその筆頭となる。そして後に近衛文麿も輩出する。一方の細川家は室町時代に将軍を補佐する管領として台頭し、戦国時代には幽斎や忠興が巧みに生き残り、江戸時代には熊本藩の藩主となり、後に首相の細川護煕を輩出している。この両家が長くに渡って存続できた方法は両家に伝わる秘宝が物語るという。

近衛家の祖は遠く藤原鎌足に遡る

 

 

両家の権勢を支えた秘宝

 近衛家の秘宝は陽明文庫に伝わるという。それは御堂関白記藤原道長の日記であるが、そこには宮中での行事の詳細などが記録されているのだという。この日記には道長の簡単に見せるなとの注意があり、近衛家はここに記された情報に基づいて宮中での行事を取り仕切ることで摂関家として重要な役割を果たしたのだという。

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 一方の細川家の秘宝は永青文庫に伝わる錦の御旗であるという。室町時代に後小松天皇から賜ったものであるという。細川がこれを賜ることになったのは、義満の時代に力を持っていた斯波氏に代わって細川頼之を管領に任命したことによるという。細川家は斯波氏ほど力がなかった上に忠誠度が高かったので、若き義満にとっては都合が良かったのだという。しかしこれに対して斯波氏を中心とした勢力が蜂起、細川頼之と弟の頼有は四国に落ちていくことになる。だが成長して力を持った義満は力のある大名をつぶすべく、まずは山名をつぶすために細川に要請をして、この時に義満が家格の低い細川家のために錦の御旗を賜れるように手を回したのだという。そして武力に長ける頼有が見事に義満の期待に応え、これ以降頼之の子孫が管領になり、頼有の子孫が肥後細川家につながったという。

 つまり両家共にナンバー2の位置を固めることで生き残ってきたのだという。さらに両家共に公家や武家の枠を超えて活動しようとしていたという。

 

 

武家と接近した近衛家と朝廷に接近した細川家

 近衛家には武家の作法に従った起請文が残っているという。戦国時代16代近衛前久は上杉謙信や織田信長に接近、自ら軍を率いて戦おうとし、17代の近衛信尹は4才の頃から父と共に諸国を流浪し武家に囲まれて過ごした。しかし18才で京に戻ると公家の作法が分からなくて苦労することになったという。それでも関白を目指した信尹だが、秀吉が関白の座を奪ったことで絶望することになる。薩摩に流されるがそこで武家との交わりを持ち、後に許されて京に戻ってからも近衛家のあり方を考えることになったという。そして天皇家と結びつきを強くするべく、天皇家から養子を迎えて近衛家を継がせることにする。前代未聞の英断で近衛家を残そうとしたのだという。

 一方の細川家は幽斎が清原家に養子に入り、和歌の才を磨いていったという。そして公家とのつながりを強める。室町幕府滅亡で信長を主君と仰ぐことになるが、その中で幽斎は古今伝授を授かることになる。関ヶ原の戦いで西軍に包囲されて死を覚悟することになるが、古今伝授が絶えることを懸念した後陽成天皇が和睦の勅命を下し、幽斎は降伏して西軍は兵を引くことになる。幽斎は公家の教養をサバイバルに活かしたのだという。

古今伝授継承者であることで生き延びた細川幽斎

 

 

江戸時代以降はそれぞれの生き方を探る

 また両家とも生き残りにソフトパワーを活用したという。近衛家では当主家煕自身が描いた絵画が残っている。家煕は武家の支配下で宮廷文化の再興に力を入れたという。大手鑑という筆跡集を作って書の文化の普及に努め、茶会の作法を変えて公家の雅な茶の湯を確立するなどの変革も行ったという。雅な文化を都の中で広げることで近衛家の声望を高めたのだという。

 一方の細川家には忠興と忠利の文が大量に残っているが、手紙を使っての情報収集に力を入れていたという。しかし忠利の子の光尚が31才の若さで病気で亡くなってしまい、その子の綱利は数え8才で、細川家は改易の危機を迎えることになってしまう。しかし家老達が江戸で工作に走りまわり、家光は細川家の存続を決めたという。細川は島津の抑えとして重要であり、幕府としてもつぶすわけにはいかないという事情を読み切っていたのだという。


 以上、決して強い家というイメージがないにも関わらず、永らく生き延びてきた両家の戦術について。なんだが、何か今ひとつまとまりのない内容に、余計な寸劇によってさらに焦点ボケの印象もある。

 

 

忙しい方のための今回の要点

・近衛家と細川家という名門旧家の生き残り戦術を紹介。
・近衛家は平安時代に摂関政治で権力を握った藤原道長の末裔である。道長が残した御堂関白記には宮中の行事の詳細などが記されており、このような情報を持つことが近衛家の優位を保つのに役立った。
・一方細川家は室町幕府の管領を務めた名家である。元々はそう強い家でもなかったが、義満に信頼されて錦の御旗を下賜されたことで室町幕府ナンバー2の座を手に入れた。
・戦国時代になると近衛家では17代の近衛信尹が武士に接近して自ら軍事力を有しようとした。しかし秀吉に関白位を奪われたことで絶望する。その後は天皇家との結びつきをさらに強めるべく、天皇家から養子を迎えて近衛家を継がせる。
・細川家は細川幽斎が信長に仕える。幽斎は和歌で才を発揮し、公家の間で伝えられていた古今伝授を授かることになる。関ヶ原の合戦で西軍に包囲された際には、古今伝授が絶えることを懸念した後陽成天皇の和睦の勅命で命が助かっている。
・江戸時代以降は近衛家は雅な京文化の担い手として、細川家は情報収集能力によって生き残り、今日に至る。


忙しくない方のためのどうでもよい点

・共に名門の旧家として、今でも隠然たる影響力を持っているようです。細川護煕なんていかにも「お殿様」って雰囲気で浮き世離れしていたところがあったが、要はああいう空気は千年単位で御先祖から醸成されてきたってことのようで。
・まあいずれにしても、由緒正しいプロレタリアートの子弟である私には、こういうのは無関係だわ。

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