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6/19 歴史秘話ヒストリア「信長より20年早かった男 最初の“天下人”三好長慶」

 天下人と言えば、信長、秀吉、家康というイメージであるが、実はそれよりも先に天下人になった人物がいる。それが三好長慶。しかしなぜか今ではその名前は知名度が異様に低く、故郷である徳島でさえ「誰?それ?」という状況。今回はその三好長慶が主人公。

過酷な少年時代

 三好長慶の人生は波乱のものだった。彼の父・元長は室町幕府の実力者である細川晴元の重臣であったが、その勢力を恐れた晴元の策謀によって一向一揆の大軍に攻められて長慶を阿波に逃がしてから自害に追い込まれる。この時、長慶はまだ11歳。

 若くして三好家の当主となった長慶だが、三好家は父だけでなく多くの家臣も失っており弱体化していた。そこで長慶がとった策は、グッと恨みはこらえて細川晴元に仕えること。長慶は細川晴元の忠実な家臣として各地の戦いを転戦する。

力をつけてからついに立つ

 そして18歳の時に越水城の城主となる。ここで長慶は身分にかかわらず実力本位の人材登用を行い、力を蓄えていく。この時に採用された中にあの松永久秀もいたという。さらに長慶は法華宗の本興寺を保護する。本興寺には広く九州まで末寺のネットワークがあった上に、檀家には商人がおり、遥か東南アジアまでの貿易ルートを持っていたという。長慶はこのネットワークで財力を蓄えると共に鉄砲も入手する。当時の三好軍は大量の鉄砲を保持していたというが、これは信長の長篠合戦の25年も前である。さらに弟たちを阿波や讃岐など周辺に養子などとして送り込んで一帯を固めた。

 こうして万全の体制を整えてから長慶はついに放棄する。きっかけは細川晴元が池田の領主を無理矢理切腹させて領地を奪ったことにあった。幕府に対して不信感を募らせる土豪達に、我こそは土豪達の権利を守るものであると唱えたのである。そして長慶は京から細川晴元と将軍義輝を追い出すことになる。

そして天下人に

 しかし京に入った長慶は義輝が差し向けた刺客に命を狙われることになる。それにも関わらず彼は義輝を京に迎えることにする。長慶は幕府や細川家の分裂を収めて天下を鎮めることを願っていたのだと考えられるとのこと。しかしその長慶の願いに反して義輝は反乱を起こす。事ここに至って長慶は足利幕府に頼らないことを決意、義輝を攻めて京から追い出してしまい、自分が幕府に代わって京を治めることにする。

 この時点で三好長慶は天下人になったのだという。当時は天下という言葉は日本全土を指すものではなく、畿内周辺のことを指していたので、幕府を廃して畿内を押さえた長慶は天下人と言うことらしい。そして天下人になった長慶はキリスト教を保護するなどの政策をとっている。また正親町天皇が改元を行った時の後ろ盾を三好長慶が務めることで、名実ともに武士のトップとしての権威を得たという。彼はこの時に天皇から桐の紋の使用を許されている(後に秀吉が使ったあれ)。この辺りは、まさに信長が後にスローガンにしていた「天下静謐」というやつである。

 

運命の暗転と悲しい末路

 しかし彼の運命もやがては暗転する。期待していた息子の義興が22歳で急死してしまうのである。彼は後継者に弟の息子で母の家柄が高い義継を指名するが、家中の分裂を恐れて弟の安宅冬康を謀殺するに及ぶ(もう既にこの頃には三好長慶は病気のせいで正気を失いつつあったとの説もあり)。そして彼自身もその2ヶ月後に病死する。44歳であったという。結局はこの実力者の若すぎる死の後に三好家は分裂、さらにそこを信長につけいられる形になって滅ぼされてしまうのである。

 江戸時代ぐらいには三好長慶あっての織田信長といったような世間の評価だったらしいが、幕末頃には信長ばかりが注目されて三好長慶は役に立っていないという評価になってしまったらしい。しかし実際は三好長慶が畿内周辺を押さえていたから、その三好勢を追っ払った信長が畿内を一気に手に入れられたというようにも考えられる。それに長慶のとった政策は信長にとっても参考にした感はある。やはり評価が低い理由は反乱が相次いだ上に晩年が良くなかったと言うことか。もっとも三好長慶の晩年が良ければ、信長の出る幕はないのだが。信長も結局最後は反乱で命を落としたのだが、あの時代に最初に日本の大枠を平定するものはどうしても力で無理をせざるを得ず、それだけ恨みを買ったりもするので反乱などに遭いやすい運命にあったということも言えるかもしれない。


忙しい方のための今回の要点

・三好長慶は信長に先立つこと20年も前に畿内を押さえて“天下人”になった。
・長慶は最初は幕府や細川家内の対立をまとめて天下を治めることを考えていたが、いつまでも反抗をする将軍義輝に見切りをつけてとうとう足利幕府を排してしまう。
・三好長慶は天皇家からも武士のトップとして認められていた。
・しかしその三好家も、嫡男の義興が22歳で急死、さらに長慶自身も病気の末に44歳で亡くなってしまい、その後の三好家は分裂して信長に滅ぼされてしまう。


忙しくない方のためのどうでもよい点

・乱世の姦雄の一人である松永久秀も、三好長慶の家臣だった時には一応有能な臣下として活躍してるんですよね。この間に彼の中の野心が大きくなったのか、それとも信長は主君として仕えるに値せずと見たのかは分かりませんが、後に彼はとにかく何度も信長には背いています。ちなみに三好長慶の世間的な評価がイマイチな理由の一つは、松永久秀の悪評の一部が反映してしまっているような気もします。