教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

このブログでの取り扱い番組のリストは以下です。

番組リスト

1/13 BS-TBS にっぽん!歴史鑑定「謀反人か?名将か?明智光秀の真実」

 大河ドラマ放送開始を控えて、完全に明智ウィークと化してしまっているが、この番組もまた明智光秀。と言っても今更新事実などは登場する余地もない(笑)。

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明智光秀の年齢は?

 まずはお約束の光秀の前半生から。まず光秀の年齢は信長の6歳上といわれているが、これは100年以上後の軍記物による話なのであまりあてにならない。これ以外にはさらに一回り上で本能寺変の際には67歳だったという記述が17世紀の歴史書である「当代記」に記されているとか。しかし流石にこれは高齢過ぎるだろうという気もするのだが、静岡大学の小和田哲男氏によると、徳川家康や毛利元就は70過ぎまで活躍していたのだがら、明智光秀が67歳で天下を狙うというのもあり得ない話ではないという。

 

美濃で産まれて全国を流転して朝倉氏の元へ

 生年だけでなく産まれた場所もハッキリしていない。美濃であることは間違いないとされるのだが、自称明智光秀生誕の地は数カ所ある。最近ではその中で可児市にある明智城が本命視されている。明智氏は美濃の土岐氏に仕えており、土岐氏は頻繁に京と行き来をしていたので、美濃には京からの先進的な文化が入ってきており、明智光秀もそれらの教養を身につけることが出来た。しかし土岐頼芸が斎藤道三に追放されると、明智氏も道三に仕えることになる。だがその道三が息子の義龍に討たれ、明智氏も道三の味方であるとして攻撃を受ける。明智城は3000人の兵に攻撃されるが、これに対して守兵は870人ほど。多勢に無勢で明智城は落城、城代だった光秀の叔父の光安は光秀に明智家再興を託して逃がしたとのこと。光秀はこの際に妻の煕子を背負って逃亡したという・・・とのことなのだが、実際には城兵870人に攻め手が3000人と言えば、堅固な城であればギリギリ守れないこともない数字ではある。ただ明智城は丘陵上のさほど要害とも言えない城であるし、城兵も先の合戦に出て実はもっと少なくなっていたのではという気もする。

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可児市にある明智城

 この後、光秀は全国を流転したとも言われているが、その消息は不明である。その後、朝倉氏に召し抱えられたと言われているが、これも詳細は不明。鉄砲の腕を買われて採用されたというエピソードもあるらしいが眉唾物らしい。最近言われているのは城下で寺子屋の教師をしていたとか、医師をしていたなどという話(NHKはこの説を採っていた)。ただ何にしろどこかの段階で朝倉の家臣にはなったらしい。

 

将軍義昭との出会いで信長と関わることに

 そこに将軍義昭が転がり込んでくる。義昭は朝倉義景に上洛を促すが、腰の重い義景は一向にそれに応えない。そこで義昭は日の出の勢いだった信長を頼ることを考えるが、信長とのパイプがないために話の持っていき方に困っていた。その義昭に光秀は「信長の正室に縁がある」と持ちかけたらしい。光秀は信長の正室だった帰蝶(お濃)と従兄弟だったという話もあるという。

 義昭と信長の利害は一致、信長は義昭を奉じて上洛する。そして光秀は義昭と信長の二人に仕える形になったのだという。信長にすれば光秀は義昭を監視するのに最適の人材だったとか。しかしやがて義昭と信長が対立するに及び、光秀は明確に信長に付くことになる。

 

信長の家臣として活躍する光秀

 信長の家臣となった光秀は、新参者として浮いた存在だったという話もあるようだが、信長の下で光秀はメキメキと頭角を現す。朝倉攻めでの撤退戦では秀吉らと共に殿を務め(これは後に秀吉がすべて自分の手柄のように捏造している)、比叡山の焼き討ちで信長の信頼を得て志賀の地を与えられ、信長の家臣の中で最初に築城を許されたという。なお比叡山の焼き討ちに対しては、光秀は反対していたというのが今までの説だが、最近の説ではむしろ積極的に根回しをして取り組んでいたということになっている。ただこの番組では実は比叡山焼き討ちは今まで言われている大虐殺ではなく、警告のために山火事を起こした程度という説もあるとしている。比叡山大虐殺否定説である。うーん、しかしこの時に比叡山の伽藍がかなり焼けたのは間違いないらしいのだが・・・。

 志賀の地を得た光秀は次に信長に丹波攻略を命じられる。丹波は旧幕府方の勢力なども残存する困難な地であったが、光秀はこれを4年で攻略し、信長から丹波の地を与えられることになる。この時に光秀が定めた家中法度には信長に対しての感謝を忘れるなという類いの事を書かれているらしいが、それが本能寺の変の1年前である。

 

本能寺の変は鬼退治?!

 さて本能寺の変だが、この番組では3分程度で決着をつけている(笑)。小和田氏によると、この頃から信長は自分を天皇より上に置くなどかなり驕慢な態度が増えていて暴走気味になっており、光秀にすると「世に徒なす鬼を討つ」という鬼退治だったのではとしているのだが・・・桃太郎侍かいっ!! で、斉藤利三は犬か?

 

 鬼退治はドッチラケであったが、まあ意訳をすれば、急激な革新を進める信長に対しての守旧派の抵抗という線か。そういう解釈の仕方をすれば従来言われていた説の内の一つである。

 さすがにこれだけ明智光秀の番組が相次ぐ、もう新事実なんかも出ようがないですし、新しい切り口なんかもありません。だからこの番組では本能寺の変は放っといて、それまでの経緯に力を割いたようですが、残念ながらそちらの方も目新しい話はありません。目新しい話を挙げていたのは、光秀は認知症だったというNHKの「偉人たちの健康診断」ぐらいか。もっともあれはあまりに突飛すぎて眉唾以前の問題であるが(笑)。

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忙しい方のための今回の要点

・明智光秀の没年は55才と言われているが、これは資料の信憑性が疑われている。中には67才と記す資料もあるとのこと。
・光秀は美濃で生まれたのはほぼ間違いがなく、美濃の明智氏は土岐氏に仕えていたが、その後に道三の家臣となった。しかし道三が息子の義龍に討たれたことで、明智城が義龍に攻められて落城。光秀は妻子を連れて逃亡することになる。
・その後、朝倉の家臣になったところに将軍義昭が転がり込んでくる。光秀は義昭と信長を仲介したことで、両者の家臣になるが、その後に両者が対立した時に明確に信長に付く。
・信長の下で光秀は金ケ崎の撤退戦や比叡山攻略で功を上げる。なお比叡山焼き討ちは光秀は信長の意を受けて積極的に動いていたというのが近年の説。ただ比叡山では大虐殺はなされていないという説もあるとか。
・その後丹波攻略で功を上げた光秀は丹波も与えられる。
・本能寺の変については、急激に驕慢となっていた信長を除くための「鬼退治」だったとしている。

 

忙しくない方のためのどうでもよい点

・さて件の大河ドラマはこの週末から始まるそうですが、どうなるでしょうか。実際に今回のこのネタでコケるようなら大河はもう終わりでしょう(来年度は脚本三谷幸喜とのことで今から全く期待できないことが確定)。それだけにNHKもあの手この手で宣伝に必死のようですが。
・とにかく「江」の時のように、第1話でひどすぎて見るのをやめるという事態にならないことを祈ります。ここのところ、「江」「花燃ゆ」「西郷どん」がそのパターンでしたから。

 

前回のにっぽん!歴史鑑定

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