教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

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4/13 BS-TBS にっぽん!歴史鑑定「徳川家康の孫娘・千姫の悲劇」

 先週が浅井三姉妹の話だったので、今回の話は特に前半部分がかなり被ってます。秀忠と江の長女で家康の孫娘だった千姫の物語。

 

秀頼と政略結婚をする

 千姫は秀頼と結婚するのであるが、それはそもそも臨終が近くなってきた秀吉が言い出したことらしい。秀頼の今後を案じて何が何でも家康を引き留めたかったのであろう。しかし秀吉はそのまま亡くなり、さらには関ヶ原の戦いがあってから家康は征夷大将軍となることで事実上天下を押さえてしまった。こうなるともうわざわざ千姫を秀頼の元に嫁がせる必要はないようにも思われるのだが、この時点ではまだ家康は豊臣家や恩顧の大名達を宥めておいた方が良いと判断したのだろうというのは、番組御用達歴史学者の小和田氏の見解。

 政略結婚ではあるのだが、千姫と秀頼の夫婦仲は良好であり、淀殿も姪と言うことで大事に扱ったようである。そういう意味で千姫は本当に豊臣家の人間として生活していたらしい。

 

大坂の陣で運命が暗転する

 しかしそれはタヌキジジイのせいで暗転する。19才となった秀頼と面会した家康は聡明そうな秀頼を見て、これはその内にうちのボンクラ息子(秀忠)だと負けるのではと考えて何が何でも自分の目の黒いうちに豊臣家を滅ぼすと決意して因縁をつけてくる。なお秀頼は身長190センチもの美丈夫という話もあり、どう考えてもチンチクリンの秀吉の血を引いているとは思えなかったので、こいつなら殺しても豊臣恩顧の大名も文句を言わないと家康は考えたのではないかというのが私の見解である。

 そして二回に及ぶ大坂の陣となるが、タヌキの和睦を利用しただまし討ちもあって豊臣家が滅んでしまう。千姫は豊臣家と運命を共にするつもりだったが、大野治長が秀頼と淀殿助命嘆願のために千姫を逃がしたというのが小和田氏の分析。そして千姫は家康に面会するが、家康は自分は隠居しているので秀忠に頼めと追い返し、秀忠の元を訪ねると秀忠は「なぜ豊臣家と共に死ななかった」と激怒したという。小和田氏の分析では秀頼達は最初から助命しないということで家康から秀忠に指示がされていた可能性があるとのことだが、そもそもこの馬鹿息子の方がむしろ豊臣家滅亡に対しては熱心だったという説もある。

 

再婚してつかの間の幸福を得たものの・・・

 結局は秀頼と淀殿を助けることは出来ず千姫は失意の日々を送ることになる。このことにはさすがにタヌキジジイも罪の意識を感じたのか、千姫に再婚をさせようと考えて、本多忠勝の孫で眉目秀麗だった忠刻と再婚させることにする。

 姫路城に入った忠刻は西の丸に千姫のための化粧櫓を作ったという。

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姫路城化粧櫓内の千姫の像

 再婚した千姫は一男一女を儲けて穏やかな生活を送るが、それも長く続かなかった。跡継ぎだった息子が3才で亡くなり、夫の忠刻も病に倒れて亡くなってしまう。さらに姑に実母も失い、娘の勝姫と二人で江戸城に入り、出家して天樹院と名乗ったという。

 

江戸に戻った後は娘たちを気遣いながら生涯を送る

 将軍家光は姉である千姫を気遣っていろいろと便宜を図ったという。なお後に千姫の娘である勝姫は鳥取藩の池田光政の元に嫁ぐが、千姫は勝姫のことを常に気遣い、池田家が国替えで岡山に国替えになった後、水害で被害が出た時には幕府に働きかけて自らの私財と共に援助を行っており、このことには池田光政は深く感謝したとのこと。

 また彼女が気遣ったのは娘の勝姫だけでなく、秀頼の側室の娘であった天秀尼もいる。秀頼は側室との間に息子の国松と娘の天秀尼がいたが、豊臣家の根絶を図る家康によって二人とも処刑されるところだったのを千姫が必死の嘆願をして、天秀尼は鎌倉の東慶寺に出家することで助命されたのだという。東慶寺はいわゆる縁切り寺であったので、その制度を残して幕府公認の縁切り寺とすることで、結果としては女性の保護にも貢献することになったという。


 千姫の生涯について。こうして見ると、時代の背景や親や祖父の思惑に翻弄されただけでなく、運もなかった人だと言うことを感じる。

 

忙しい方のための今回の要点

・江と秀忠の長女である千姫は政略結婚で秀頼に嫁ぐ。
・しかし秀頼と千姫の夫婦仲は良かったという。しかし家康が豊臣家を滅ぼすことにしたことで運命は暗転する。
・大阪城落城の直前、千姫は淀殿と秀頼の助命嘆願のために家康と秀忠の元を訪れるが拒絶され、二人は自害する。
・夫を助けられなかったことを嘆く千姫に対し、家康は眉目秀麗であった本多忠刻と再婚させる。千姫は一男一女を儲けてつかの間の幸せを得るが、息子を3才で亡くし、夫も病で失うことになる。
・さらに姑と実母を失った千姫は、娘の勝姫を連れて江戸に戻ってくる。
・勝姫が池田光政の元に嫁いだ後は、千姫は彼女のことを気遣い、池田家が水害に遭った時には援助も行っている。
・また秀頼と側近の娘であった天秀尼も彼女の嘆願で助命されており、千姫は彼女のことも気遣っていた。

 

忙しくない方のためのどうでもよい点

・まあ本当に気の毒な方です。そんな彼女が晩年は結果として女性の保護のために尽力したことになるというのは、奇妙な運命の巡り合わせです。
・忠刻が千姫のために西の丸に築いたという化粧櫓は今でも姫路城にあって見学が可能です。

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