江戸で話題となった大事件
何やら凄まじい表題の事件であるが、江戸時代に吉原で発生したストーカー殺人事件だとのこと。事件は当時話題になり、事件を題材にした講談や歌舞伎などまで登場したとのことである。事件の顛末であるが、元禄から享保にかけての時代、下野国の佐野で炭屋を営んでいた次郎左衛門という男が、吉原の花魁の八つ橋に入れあげた挙げ句に最後は殺害に及び、その際に100人以上を殺傷したというのである。なお調べたところ、歌舞伎の演目としては「籠釣瓶花街酔醒」という作品になっているようだが、片岡千恵蔵主演の「妖刀物語 花の吉原百人斬り」という映画も製作されているようだ。
吉原のシステムに絡め取られてしまった悲しい男
次郎左衛門は八つ橋の馴染みになっていたのだが、花魁の馴染みになるのは簡単なことではなかった。花魁のところに出向いた客は、最初は初会といって話もしてもらえない状態で品定めを受けるらしい。そして2回目は裏と呼ばれてそれも最初と同じようなもの。3回通って初めて馴染みとなって疑似夫婦的関係を築けるのだという。しかしここまでにはかなりの金がかかる。八つ橋は大夫と呼ばれる最上級クラスの花魁であったから、1回会うだけで100万円以上はかかるという。このため、吉原の上客は最初は大名などの上級武士だったのだが、この時代ぐらいになると商人がかなり力を持ち始めており、特に炭などは人口の増加で需要が多かったことから、地方の炭屋の次郎左衛門も吉原に通える財力を手に入れられたのだと推測されるという。なおこの辺りの吉原のメカニズムは以前にこの番組で紹介されている。
この次郎左衛門であるが、子供の頃に疱瘡を患った上に、顔にやけどの跡もあったとのことで、その醜い容貌に対してのコンプレックスがかなりあったという。その次郎左衛門が初めて行った吉原で八つ橋を見かけて一目惚れ。そして恐る恐る八つ橋を指名したが、さすがに相手はプロの花魁なので、次郎左衛門の顔を見ても驚いたり嫌がったりするそぶりを見せなかったのだという。今まで散々顔を見られる度に相手が驚いてドン引きするという経験を重ねていた次郎左衛門はこれで八つ橋にぞっこんになり、吉原に通い詰めて八つ橋を身請けして結婚する約束までする。
講談で話題となった大事件の真相は
しかし次郎左衛門が八つ橋のところに行って結婚の話をしている時に、栄之丞という若い男が乱入してくる。八つ橋が本当に夫婦になりたいと考えているのは自分だと言うのである。驚いて八つ橋を問い詰める次郎左衛門に対して、何も答えなかった八つ橋だが、ついに口を開き「身請けしてもらったら、栄之丞と一緒になりたい」と話す。次郎左衛門は見事に八つ橋の馴染み客を引き留めるための手練手管にはまってしまったのである。これでぶち切れた次郎左衛門が、妖刀村正の脇差しを抜くと、まずは栄之丞を切り捨て、返す刀で八つ橋を殺害する。当然大騒ぎになり駆けつけてくる者もいる。そこで次郎左衛門を大立ち回りをして、38人を斬り殺して90人余りに怪我をさせた・・・というのが歌舞伎や講談で語られる事件の顛末である。
もっともこの話は講談や歌舞伎なのでかなり誇張と演出が加わっているという。しかし「三都勇剣伝」によると、栄之丞という男は登場せず、次郎左衛門は商いが傾いてお金に困るようになったことから店に行けなくなったのだが、八つ橋が外に出てくる度に言い寄っていたのだという。つまりはストーカーである。当然ながら次郎左衛門は店からは冷遇されて八つ橋に会うことさえ出来なくなる。そしてついに出てきた八つ橋を斬り殺してしまったのだという。この時に殺害したのは八つ橋一人で、後は負傷者が4,5人出ただけというから、かなりの脚色である。当然ながら妖刀村正となれば完全に脚色だろうとのこと。ただしこの時代の商人は護身のために脇差しの所持は許されていたので、刀を持っていたことは不思議ではないとのこと。また茶屋では長刀は預けることになっていたが、脇差しは持って入られたのだという。
吉原の警備システムと事件後の顛末
ただ吉原はやはりもめ事も起こるような場所なので、治安維持のための自警システムは持っていたという。遊郭には治安を担当する裏方もいたし(今でも夜のお店で騒ぎを起こすと、怖いお兄さんが出てきたりしますよね)、吉原の入口には四郎兵衛会所があって警備の者が常勤していた。さらに随所に番所も設置されていたという。もっとも客が店の中に入ってしまうと番所の目が届かないので、心中などの事件はしょっちゅうだったとか。
なお次郎左衛門の事件後の捕り物顛末は、妓楼の楼主であった庄司勝富の残した随筆集「洞房語園後集」に克明に記してあるという。次郎左衛門は八つ橋を殺して店に立て籠もり、それを2、300人ほどの野次馬が取り囲んだという。茶屋の主人が次郎左衛門に飛びかかるが次郎左衛門は力が強くて吹き飛ばされてしまったので、主人は窓から飛び降りて逃げたという。興奮した次郎左衛門は大声で叫びながら屋根の上で暴れ(完全に錯乱状態である)、皆は屋根をつついて落とそうとしたが次郎左衛門はものともせず、数時間後にようやく疲れ切った次郎左衛門が屋根から滑り落ちてきて取り押さえられたとのこと。捕らえられた次郎左衛門は「女を相手にこんなことをして申し訳ない。恨んでのことだ。」と語ったという。次郎左衛門は牢屋に入れられて大岡越前に死罪を命じられたという。
なんか悲しい話だな。水商売のお姉ちゃんに入れあげた結果、裏切られてストーカー殺人に至ってしまったという、今でもありそうなタイプの事件である。ストーカーというのは不器用で思い込むタイプが陥りやすいようだから、次郎左衛門は容貌のせいで女性に相手にされてこなかったから、それが相手にしてもらえただけでコロッと行ってしまったのだろう。八つ橋にとっては「お仕事」だったんだろうが罪な話である。「三都勇剣伝」の記述の方が事実に近いだろうと推測すると、次郎左衛門は八つ橋に入れあげての遊郭通いのせいで店も傾けてしまったのだろうと思われる。金の切れ目が縁の切れ目の世界で金がなくなるのは惨めなものである。
まあそこそこ金を持っている奴が身を持ち崩すきっかけとしては、女(女性の場合は男)かギャンブルが多いです。この事件のような話は今の日本でもあるが、この挙げ句に今後カジノなんかでも出来ようものなら、今度はこっちで身を持ち崩す輩も増えるだろう。まあ清く正しく生きている方はこういう世界には近づかないことです。
忙しい方のための今回の要点
・講談や歌舞伎になった吉原100人斬り事件とは、花魁の八つ橋に裏切られた炭屋の主人次郎左衛門が、八つ橋を含めて100人以上を殺傷したと言われている事件である。
・次郎左衛門は八つ橋の馴染みであったが、この時代の花魁の馴染みになるには膨大な金が必要だった。しかしこの頃には商人の力が増していたので、地方の商人であった次郎左衛門でもそれだけの財力があったのだろう。
・なおこの事件は歌舞伎などになる時点でかなり脚色されており、実際には次郎左衛門が殺したのは八つ橋だけで、後は4人ほど負傷させただけだとか。
・また商売が傾いて八つ橋に会えなくなった次郎左衛門によるストーカー殺人というのが事件の真相だったらしい。
忙しくない方のためのどうでもよい点
・まあ次郎左衛門も不幸な男です。そもそも結婚するのが当たり前の時代でしたから、40になってブサ面のせいで全く結婚できなかった次郎左衛門にとっては、コンプレックスだけでなくプレッシャーもあったでしょう。回りにもいろいろ言われるだろうから「綺麗な女を嫁として迎えて回りを見返してやりたい」なんて気持ちもあったんでしょう。
・もっとも今の世の中は諸般の事情で結婚していない男がゴロゴロいますからね。かく言う私もイケメンでもブサ面でもないフツ面だと思いますが、諸般の事情で女性と縁がなくて結局は生涯独身がほぼ決定ですから・・・。
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