教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

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6/22 BS-TBS にっぽん!歴史鑑定「空海・日蓮・一休 苦難を乗り切る名僧たちの教え」

 今、コロナの流行でまさに苦難の時であるが、このような苦難をどうやって乗り切るかを名僧たちの教えで学ぼう・・・ということらしいが、要は総集編です。これもコロナの影響か。とりあえずこの番組は、コロナによる番組製作の苦難を、名僧たちに頼って乗り切ったようです(笑)。

 

空海に学ぶ苦難の乗り越え方

 まず登場するのは空海。これについてはほぼつい最近(5/4)に放送していたもののダイジェストです。

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 最初に登場するエピソードだけが5/4に放送した内容には含まれていないもの。奈良に役人になるための勉強に行っていたはずの空海が突然に僧を目指したことに一族は猛反対したが、それをどうやって説得したかという話。彼は得意としていた文章で説得することにしたという。そして「人を導く教えには仏教、道教、儒教と三種類あります。この中にある仏の道に入ることは忠孝に背いていないはずです。」と理路整然と説得したらしい・・・とのことなんだが、明らかに建前の話だな。多分一族の方は「役人になることに期待して送り出したのに、それを裏切ることは忠孝の道に反する」とでも言ったんだろう。しかしここで一族の方がぶっちゃけて「いや、お前が役人になった方が絶対金になるから、そっち目指せ」と言い出したら、これで説得できるかどうか(笑)。

 後はかつての放送の完全にダイジェスト。幻覚幻聴が現れるぐらいの壮絶な修行をした空海は唐に自費留学。そこでさっさと悟りを開けて(即身成仏)しかも超人的な能力を手に入れられるという触れ込みの密教に注目する。そして青龍寺の高僧である恵果のところに弟子入り。そして三ヶ月で阿闍梨を授かることになる(空海が優秀ではあったんだろうが、あまりに促成栽培の気もする)。お前の国で教えを広めろと言われた空海は、大量の経典を持って日本に帰る。

 ちなみに空海が恵果に初対面でそこまで見込まれた理由だが、先の放送では恵果が見込んでいた弟子が亡くなった直後で、しかも恵果も既に死期が迫っていたことがあるとしていた。しかしここでは「空海は人の心をつかむのが上手かった」として、唐の皇帝の前で手足と口に5本の筆を持って達筆で壁に書を書いたという例を挙げている。しかしまさか恵果の前で宴会芸やって取り入ったってわけではなかろう。私は多分、わざわざ日本から来た留学生と言うことで、これで異国にまで自分の教えを布教できると考えたのだろうと思っている。

 で、空海から学ぶことは「苦難を恐れることなく、自分の得意や長所を活かし、知恵を巡らせる」ということだとか。まあ結論は良いんだが、これが空海の教え?

 

度重なる迫害にも耐えた日蓮

 空海の後半生は完全に省略して次は日蓮に移る。法華経を信仰する日蓮は鎌倉で辻説法による布教活動を行っていた。しかし当時の鎌倉は臨済宗、天台宗、真言宗などの宗派が入り乱れていたのに、法華経原理主義者の日蓮は「法華経こそが正しい教えで、他は全部間違っている」とぶちかましたらしい。当然ながら猛反発をくらい、石を投げられてもひるまない狂信者・日蓮。またこの頃の鎌倉で天災や疫病が繰り返されたのも、法華経以外の仏教が間違っているからだとさらに狂信を深めたようだ。そして挙げ句の果てに、そのような宗派を庇護していた鎌倉幕府まで批判してしまう。5代執権の北条時頼に「立正安国論」を提出、そこで「念仏信仰をやめさせねば殺戮が横行する世が到来し、決して国家は安泰にはならない」と真っ向から幕府を批判したという。そして浄土宗の念仏禁止を求め、法華経に基づいた政治を行うように主張したのだとか。また法華経を信仰しなければ、他国から侵略や内乱が起こるという予言を加えたという。しかし当然のように時頼には無視される(まあ当然の対応だわな、時頼は禅宗の信者だったらしい)。

 仏教界で孤立する日蓮だが、そういう強硬な教えに靡く者もいる。また日蓮は日頃弾圧されている人たちでも成仏できると主張した(そもそも法華経の教えはそうである)ことが信者を広げたらしい。しかし当然反発も強まる。怒り狂った浄土宗の信徒が日蓮の庵を襲撃したなんてことまで起こったという。それでもめげずに他の僧に論争を挑んだりするので、とうとう捕らえられて伊豆に流されてしまう(自業自得にしか思えないのだが)。

 放免された後も日蓮に対する迫害は続いたが、ここで元寇が発生する。日蓮の予言的中というやつである。これで不安に駆られた武士や民衆が日蓮の信者になる。しかし干ばつが続いていた鎌倉で幕府が真言律宗の高僧・忍性に雨乞いを命じたのだが、結局は雨が降らなかった。それを日蓮がここぞとばかりに批判したことから、日蓮に反するグループが「武装した凶徒が徒党を組んでいる」と日蓮一派を幕府に告発、日蓮一派は侍所所司の平頼綱に捕縛されてしまう。とうとう日蓮一派は晴れてイスラム国に認定されてしまったようである。

 しかし捕縛された日蓮は、頼綱に「我を失うのは国の柱を倒すようなものだ。日本は必ず滅ぶであろう。」と言い放ったそうだが、頼綱はそれにはかまわずに日蓮を佐渡に流罪にする。しかし日蓮は見せしめとして市中引き回しにされたうえで、死刑場に連れて行かれて密かに斬首されそうになったらしいが、その時に光るものが現れて兵たちが恐怖で逃げ出したために助かった・・・とあるのだが、これは明らかに後になって盛った話だろう。実際はこの時に北条時宗の嫁が懐妊していたので、このような時に僧を殺すのには抵抗があったのだろうとのこと。まあそんなところだろう。

 佐渡の荒れ果てたお堂に送られた日蓮は、最初の一年は最低限の食料が支給されたが、その後は生きていくのさえ困難な状況になったという。また房総生まれの日蓮には寒さが特に堪えたという。信者も多くが捕縛され、日蓮最大の窮地となる。この窮地を日蓮は「何度も迫害を受けるのは法華経の教えが真実であり、自らも法華経の行者になれた証である」と考えたのだという。ほとんどやけくそのウルトラポジティブシンキングである(さすがに狂信者)。

 で、日蓮から学ぶ教えは「窮地を肯定的に捉え、ポジティブ思考で苦難を乗り越える」だと言うのだが・・・日蓮の苦難はどう見ても「自業自得」にしか見えん。

 

社会に疑問を感じ、常識を疑った一休

 最後は室町時代の禅僧・一休。なぜかトンチ和尚ということになっているが、実際はかなりの変わり者でハードボイルドでもある。一説によると一休は天皇のご落胤とのことだが、母が南朝系の娘だったので宮中を追われて人知れず一休を出産したのだとか。生まれた子供は安国寺に預けられ、周建と名付けられて小坊主として修行を開始、見る見る才能を発揮して、13才で建仁寺に入って漢詩を作ることを日課としたという。しかしこの頃に当時の宗教界に疑問を感じるようになる。当時の寺院は権力と癒着して腐敗していたのである。権力を嫌った一休は23才で滋賀の堅田の祥瑞庵の華叟宗曇の元を訪れる。華叟宗曇は俗化した京の宗教界を嫌っており、一休はそれに共感したのだという。ただし権力に背を向けた華叟宗曇の暮らしは極貧だったという(当然そうなるわな)。皆、食うに困るような状態で一休も内職で生計を立てていたという。この頃に平家物語を聞いて無常を感じて詠んだ歌が「有漏路より無漏路へ帰る一休み 雨ふらば降れ 風ふかば吹け(人生はあの世までのほんの一休みの出来事、雨が降ろうが風が吹こうが大したことはない)」で、華叟宗曇はこの詩から一休の号を授けたという。この2年後、暗闇の中でこぎ出した船の中で座禅を組みながら烏の声を聞いた時に悟ったという。それが「カラスは見えなくともそこにいる 仏も見えなくとも心の中にある」というものだったという。

 しかしこの頃から一休は髪を伸ばしてヒゲを生やし、肉を食って酒を飲み、女好きを公言するなど奇行が目立ち始めるのだという。町中でナンパまでしていたらしく、破戒僧と呼ばれるようになる。42才で堺にいた時には、外出時には刀を携えてそれを叩きながら歩いていたという。「何のために人を殺す刀を持っているんだ」と言われた一休が刀を抜くと、中身はただの木刀で「今あちこちの偽坊主共はこの木剣のようなもので、鞘に収まっていれば立派に見えるが、中身はただの木片に過ぎない」と言い放ったそうだ。皮肉が効きすぎである。

 一休の教えは「目に見えているものだけでなく真意を見よ」だとか。さらに「常識にとらわれず無になって考えろ」と、経文ばかりにとらわれているとかえって仏の姿が分からなくなると、ありがたい経文なんて便所紙のようなものとまで言い切ったらしい。で、一休から学ぶ教えは「常識にとらわれずに苦難の裏にある真実を見抜き対処する」とのことなんだが、やや持って行き方が強引に感じられる。

 

 以上、高僧たちに学ぶとのことだが、なんか強引な話だな・・・。ちなみに日蓮はかなり強引な人だと言うことは聞いていたが、これだと単なる狂信者。今なら間違いなくイスラム国入りである。道理で日蓮宗の流れを汲む某宗教団体が、他人の迷惑も考えないとんでも組織であるわけであるなどと妙に納得。

 一休の教えも非常に理解できるのだが、正直なところ万年中二病臭を感じないでもない。悟りきっているように見えて根本は結構蒼い。要するに根本のところが純粋な人物だったんだろう。また天皇のご落胤とかいう高貴な血筋がさらに彼をひねくれさせたようにも感じられる。

 

忙しい方のための今回の要点

・空海は常に自分の長所を活かして難局を切り抜けている。
・日蓮は他宗を攻撃する過激さのために何度も苦難に遭っているが、それをポジティブに捉えて切り抜けた。
・一休は常識にとらわれないことによって物事の本質を捉えるということを訴えている。

 

忙しくない方のためのどうでもよい点

・まあ宗教家に一番必要なのは強い信仰心なんですが、これって横から見ていると独りよがりの妄執と変わらないんですよね。だから社会的に見たら迷惑極まりない場合も多い。と言うわけで日蓮のように迫害されるわけです。しかし迫害されれば迫害されるほど信者が結束すると言うことがあって、それが暴走した果てはオウム。だから私は「強固な信仰心なんて迷惑以外の何物でもない」って言ってるんですけどね。

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