教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

このブログでの取り扱い番組のリストは以下です。

番組リスト

3/18 BSプレミアム ザ・プロファイラー「南極点に永光を追え 探検家アムンセン」

極地探検家を目指したアムンセン

 アムンセンは1872年に当時はスウェーデン領だったノルウェーのオスロ近郊に生まれた。裕福な船乗りの4男として生まれた彼は14才で父を亡くしている。母は末っ子のアムンセンが医者になることを熱心に望んだという。しかし実は彼はジョン・フランクリンの「探検記」に出会ったことで北極探検家になることを密かに決意していた。だが母の希望には背けず、18才で医学校に入学する。しかし21才の時に母が亡くなり、解放されたアムンセンは学校を中退する。彼はここで船員として働き始める。彼は探検隊のリーダーと船の船長が同一人物でないことが問題を生じると考えていたので、船長になる資格を得ようとしたのだという。

 6年で船長の資格を取ると、ヨーロッパから北西に向かって北米大陸を回ってアジアに向かう北西航路の開拓を目指す。誰もまだ成功したことのない新航路の開拓であった。アムンセンは両親の遺産を全てつぎ込んで、47トンの漁船であるヨーア号を購入する。兄たちは唖然とする中で、すぐ上の三男のレオンだけが資金集めに協力してくれる。2年後にさらに借金をして6人の船員を雇ったアムンセンは出発の日を迎えるが、ここで債権者の一人が24時間以内に全額返済しないと船を差し押さえると迫ってきたのである。

 しかしアムンセンはその真夜中、嵐をついて出港する。出港から3ヶ月でカナダの北部でヨーア号は氷に囲まれて身動きが取れなくなる。なんとか近くの島にたどり着くと気温が上がって氷が溶けるのを待つことにする。アムンセンはこの時に現地のイヌイットと親しくなったことでトナカイの毛皮の服や氷の家の作り方など、彼らの暮らしの知恵を学ぶ。特に犬ぞりの操縦法などを習ったことが大きいという。

 2年後、再出発した彼らは2週間後にアラスカに到着する。こうしてアムンセンは34才でヒーローとなる

 

北極点から急遽目的地を南極点に変更

 その後、アムンセンは北極点を目指すことになる。各国が植民地争奪戦に明け暮れている時代であり、ノルウェーの威信もかかっていた。アムンセンは極地探検家であったナンセンに頼み込んで彼のフラム号を譲り受ける。資金集めは兄のレオンが担当し、国からの支援や缶詰会社からの食糧支援なども受けられることとなった。

 しかし彼が出港する直前の1909年9月1日、アメリカのピアリーが人類で初めて北極点に到達したとの報が伝わってくる。これでアムンセンは目的地を密かに南極点に変更することにする。アムンセンはそれを秘したまま出航し、大西洋の補給地にたどり着いたところで船員達に南極点を目指す意志を告げる。これに全員が賛成する。そして彼はそのことをイギリスのスコットに電報で伝えたという。彼はイギリスの南極探検隊の隊長だった。彼はイギリスの威信をかけて大規模な探検隊で南極点に挑んでいた。ちなみにこの時、日本の白瀬矗も南極を目指していた。

 アムンセンは南極のクジラ湾に到着して越冬危地を設営する。南極点までは1300キロと本州縦断するぐらいの距離だという。最初は平らな氷河の上だが、その先は4000メートル級の南極横断山脈越えがある。一方のスコットはクジラ湾の反対側に基地を作ったが、ここは歴代のイギリス探検隊がここに基地を作ってルートとも途中までは確立されていた。

 

スコットに先駆けて南極点に初到達するが・・・

 スコット隊は馬と雪上車での移動を考えていたのに対し、アムンセン隊は犬を使用していた。犬はクレバスを察知することが出来たという。またアムンセンは犬と過ごすことを好んでいたという。両隊とも準備を整えて次の夏の出発を待った。

 4ヶ月後にいよいよ南極点到達レースが始まる。アムンセンは5人の隊員と52匹の犬と出発する。一方のスコット隊は13日遅れで出発となるが、雪上車はエンジンの不調で使い物にならず、馬が頼りとなる。アムンセン隊は29日で南極横断山脈に到着、ここを犬と人は力を合わせて進んでいく。一方のスコット隊は寒さで馬が次々と倒れるという困難に直面しており、やむなく自力でソリを引いていくことになる。4日後アムンセンは坂を登り切る。ここで42匹の犬のうち24匹を射殺するという非情の決断を下す。人間と残りの犬の食料にするためだという。またこの辺りに来ると荷物の量が減ることから多くの犬が必要ではなくなっていたからだという。しかしアムンセンにとってはこれは苦しいことでもあったという。

 アムンセンはイギリス隊に先を越されるのではという不安を抱きながら南極点を目指す。そうしてついに人類で初めて南極点に到達する。アムンセンは39才だった。一方、スコットも南極点一番乗りを信じて進んでいた。

 

スコットの遭難で理不尽なバッシングを受けることに

 1912年1月25日、南極点を制覇したアムンセン達はクジラ湾の基地に帰還する。この時にアムンセン達は白瀬矗達を目撃しているという。アムンセンの南極点到達の情報は世界中を巡り彼らはヒーローとなるが、1年後スコット隊が遭難死したことが分かる。アムンセンよりも34日遅れて南極点に到達したスコット隊は、帰路で猛吹雪に遭って食料や燃料が尽きてしまったのである。この事実を知ったアムンセンは「恐ろしい、恐ろしい」と言い残している。

 やがてスコットの最後の日記がベストセラーとなると、その悲劇がイギリスで強調されると共に、敵役とも言えるアムンセンに対する理不尽なバッシングが湧き上がってくることになる。さらにアムンセンは兄のレオンと借金の件で訴訟沙汰になり、破産することになったという。

 

探検家として終えた生涯

 その後、世界は飛行船や飛行機の時代を迎える。アムンセンは最先端の飛行船ノルゲ号を入手して、イタリアの軍人ノビレが操縦を担当して、1926年に北極点上空に到達する。こうしてアムンセンは人類で初めて北極と南極の両極点に到達した人物という栄冠を得て、ここで探検からの引退を発表する。その翌年には来日して白瀬矗とも対面しているという。

 その後、アムンゼンはアメリカ人の恋人が出来るのだが、彼女をノルウェーに迎える1ヶ月前、ノビレの乗った飛行船が北極海に墜落したとの報を聞いたアムンセンは、小型飛行艇で北極に捜索に飛び立ちそのまま消息を絶つ。

 

 結局は生涯を探検にかけた人になってしまったんだが、やっぱり南極点に到達した時点で一つの目的を見失った感は受ける。で、この手の探検家の宿命としてやはり最後は探検の中で果てたか。個人的には理解できないが、こういう人が存在するのは分かる。

 スコットの悲劇が強調される中で敵役の立場にされてしまったというのは悲劇ではある。確かに私が読んだ極地探検ものも、スコットが主人公になっていてアムンセンはそのライバルという描き方になっていたので、敵役とまではいかないまでも、感情移入しにくい立場で描かれていた。後で様々な事情を知って「国の全面バックアップの元で最新装備を投入して挑んだスコットに比べると、アムンセンの方は徒手空拳に近く、こっちの方が全然スゴイじゃないか」と思ったのであるが。むしろスコット隊は大規模プロジェクトであるが故のプレッシャーと融通の利かなさに振り回され、それが最終的にスコットの命を奪ったと感じられる(スコット個人のプロジェクトなら、途中で撤退の決断も出来たろうと思われる)。

 アムンセンもスコットの遭難は想定していなかったのではという声がゲストから出ていたが、それはその通りだろうと思われる。実際に装備の充実度その他から考えると、むしろスコット隊が成功するが普通で、アムンセン隊は途中で全滅という可能性も高かったのであるから。実際にアムンセンは自分達が帰途で全滅したときに備えて、スコットに自分達が南極点に到着したことを証明する手紙を極点に残しており、遭難したスコットはそのアムンセンへの敗北証明でもある手紙を所持していたことも知られている。アムンセンとしては、帰還したスコットと一杯かわしながら南極の苦労話でもしたかったところだろう。だからスコットの死には痛恨の気持ちがあり、それがノビレの遭難の際に迷わず捜索に飛び立った理由ではとの考えは私も同感。

 

忙しい方のための今回の要点

・アムンセンは子供の頃にジョン・フランクリンの「探検記」に出会ったことで、北極探検家になることを決意するが、母の強い希望で医師を目指して医学校に入学する。
・しかし母が亡くなり、彼は学校を中退するとまずは船長の資格を取るために船員として働く。
・船長の資格を取ると、親の遺産と借金で漁船を購入。北米の北を回ってアジアを目指す北米航路の開拓のために出港する。
・途中で氷に閉じ込められて島に滞在するが、その時にイヌイットと知り合ったことで犬ぞりの操縦法などを学び、それが後の南極探検につながる。
・2年後にアラスカに到達して北西航路の開拓に成功したアムンセンは、次は北極点を目指すことにする。
・しかし出発直前になってアメリカのピアリーが北極点に到達。アムンセンは目的地を南極点に変更することにするが、それをスポンサーらに秘したまま出発、途中で船員達に南極点行きを告げる。
・その頃、イギリスのスコット隊も南極点を目指していて、アムンセンはスコットとの競争となる。
・スコット隊はエンジン付きの雪上車やロシア馬などを用意して南極点を目指していたが、アムンセン隊の主力は犬ぞりであった。
・クジラ湾に到着して越冬、気温が上がってきたところで彼らは南極点に向かって出発する。アムンセンの犬ソリは快調に進んだのに対し、スコット隊の雪上車はエンジン不調で使えず、さらに馬は寒さの中で次々と死んでしまう。
・アムンセンは途中で犬の一部を射殺して食料にするなどの非情の決断も行いつつ、ようやく極点に到達、そして無事に基地までの帰還も果たす。
・アムンセンはヒーローとなったが、1年後にスコットが帰路で遭難したことが判明し、スコットの最後の日記がベストセラーになると共に、アムンセンはその敵役として理不尽なバッシングに遭う羽目になる。
・やがて飛行機や飛行船の時代が到来、アムンゼンはノビレが操縦する飛行船で北極点に到達、人類で初めて北極と南極の両極点に到達した人となる。そして探検からの引退を表明する。
・しかし後にノビレが北極海で遭難したことを知って、小型飛行艇で捜索に向かったまま消息を絶つ。


忙しくない方のためのどうでもよい点

・アムンセンの成功の理由もさることながら、むしろスコットの失敗の原因が失敗学の観点から注目されることが多いです。良く言われるのが、最新の近代装備のはずのものが実は極地の環境に合致していないかったとか、実行計画に無理があったなどとされています。実際にはスコットにとっては「想定外」としか言いようがない不運にも多数見舞われているのですが。
・アムンセンは極地原住民であるイヌイットの知恵に学んでそれを取り入れてますが、世界一の先進国であるイギリスとしては、極地の野蛮な原住民の知恵なんか取り入れる余地はないってところもあったのではという気もします。

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