教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

このブログでの取り扱い番組のリストは以下です。

番組リスト

12/7 NHK 歴史探偵「島津 強さのルーツに迫る」

島津軍団の強さの秘密

 大河ドラマもほぼ結末が見えてきたし、この番組もネタに困るところ。しかも現在は視聴率で苦戦中(だろうと推測する)であるとなったら、こういう時に歴史番組で視聴率を稼げる鉄板ネタと言えば、戦国の人気武将を扱うこと。となったら三英傑がやたらに出てくるが、もうこの辺りはネタ切れ。すると後は残るは伊達か真田か島津ぐらいということで、今回は島津が登場である。

 島津と言えば戦闘における圧倒的な強さが有名であるが、それを支えていたのは鉄砲の活用だという。島津は鉄砲が伝来した種子島を支配化にしているが、京や堺とは異なる島津式の独自の鉄砲を製造していたという。鉄砲を運用するとなると必要なのは、まず鉄砲を作るための鉄、さらに火薬の原料となる硫黄と硝石である。島津はそのいずれもに恵まれた環境があったという。

 まず鉄であるが、鉄砲が伝来した種子島は砂鉄の取れる土地であり、そもそも鍛冶が盛んだったという。そのために伝来した鉄砲を直ちに量産にかかれたという。そして硫黄だが、硫黄と言えば火山だが、鹿児島の南のその名もズバリの硫黄島という島があり、そこでは高純度の硫黄が産出したという。そして硝石はこれは国内ではほとんど産出しないので中国などからの輸入になるのだが、薩摩では昔から多くの湾を持つ坊津が天然の良港として中国との貿易の中継地となっており、容易に硝石の輸入が可能であったという。

 

 

鉄砲を最大限活用する巧みな戦術

 島津はこうして得た鉄砲を戦術に効果的に使用していた。高城にその鉄砲を使った戦術が覗われる・・・ということでここでお城クンこと千田氏が唐突に登場するが、千田氏は以前に「英雄たちの選択」でこの城を訪問しており、その時の映像を流用したのではという気もする。

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 とりあえず高城の構造であるが、横列状に帯曲輪を備えており、上から鉄砲を打ち下ろせるような構造になっていたという。また平地においても繰りぬきという、3人1組で順番で鉄砲を撃ちながら次々と前に進んでいくという攻撃陣形を持ってたという。織田信長がやったといわれている三段撃ちをやりながら前進するという戦術で、鉄砲を守備だけでなく攻勢にも使用していたのだという。また島津では鉄砲は足軽でなく、武士に鉄砲を持たせて鍛錬を積ませていたという。島津家の武士は鉄砲使用のスペシャリストであったのだという。

 

 

最大の危機を乗り越えた巧みな交渉術

 この島津家を支えたのが四兄弟の連携であるのだが、その島津家は関ヶ原の戦いで存亡の危機に瀕する・・・は良いのだが、ここでいきなり「その時、歴史が動いた」をチラッと出すのだが、ヒストリアならともかくもうこれを覚えているものも少数派。これは往年のファンに帰ってきてというメッセージか?

 関ヶ原では島津義弘が敵中突破をして大坂にたどり着くのだが、ここから本国へ帰還したのは大坂の商人が船を手配したという。島津は貿易によって大坂の商人とのパイプがあったから可能だったのだという。

 そしてここから島津家の存亡をかけた駆け引きになる。これに臨んだのが長兄の義久である。義久は家康に反抗する気はないという恭順の意を示す一方で新たに堅固な鹿児島城を築いたという。この城は山頂に巨大な土塁を構築しており、鉄砲を使って戦うための設備を完備しているという。交渉をしつつ、いざとなったら徹底して戦うぞという体制を見せたのだという。また海賊を討伐したということを家康に報告したが、これも実は自作自演との説があり、要は島津を置いておいた方が海の安全を保てるというアピール(どころか、島津をつぶしたら自分達が海賊になるということまで匂わせている)であり、結局は家康も島津を本領安堵せざるを得なくなった。

 

 

 以上、島津の強さについてだが、島津の鉄砲戦術は戊辰戦争でも効いており、その後の西南戦争でも立って狙いを付けて射撃する島津の兵と、恐怖から物陰から手だけ出して銃を撃つ新政府の徴兵された兵ではまともに勝負にならなかったという話もある(最終的には物量で押し勝ったんだが)。

 また今回では全く触れていないが、後に島津は琉球をも強引に占領する。これも島津の巨大な経済力になったわけである。以前にも何かの項で言ったと思うが、本土では人気の島津も、沖縄では暴虐なる侵略者である。

 ここのところグダグダな内容が多かったこの番組だが、今回は久しぶりにまあ歴史番組をしていたかなというところ。やっぱり歴史番組は佐藤二朗の無駄話でなく、歴史的知見の紹介の方を優先しないと・・・。今から思ったら「その時、歴史が動いた」の頃なんて良かった。ヒストリアになってから少し軟派になったかなと感じていたが、今の「歴史探偵」なんて大河ドラマの宣伝とかと佐藤二朗の無駄話ばかりで、最早歴史番組でさえなくなりつつあるからな。

 

 

忙しい方のための今回の要点

・島津の強さを支えていたのは鉄砲の運用だった。
・島津は鉄砲を大量に製造するための鉄、火薬のための硫黄を領内に持っており、さらには昔から中国との貿易の中継地だったので硝石の輸入も容易であった。
・さらに島津では大量に製造した鉄砲を防御だけでなく、攻撃においても使用するための戦術に磨きをかけていた。
・関ヶ原での敵中突破後、大坂にたどり着いた一行は大坂商人の手配した船で本国に帰還しているが、これは島津が貿易で大坂商人とパイプを有していたことによる。
・また義久は家康に恭順の意を示すと同時に堅固な鹿児島城を築いており、和戦両様の構えで牽制した。また海賊討伐を報告して島津を残した方が有利であることをアピールする。
・その結果、西軍の中で島津のみが本領を安堵される。


忙しくない方のためのどうでもよい点

・島津の強さって、兵がほとんどバーサーカー化してるってのもあるんですよね。貧しい中で徹底した洗脳教育をするから、命を省みないジハード戦士が生まれる。今から思えば、その薩摩が新政府で権力握ってしまったから、後の日本軍があんな無茶な組織になってしまったんだという気もするんだよな。

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