教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

このブログでの取り扱い番組のリストは以下です。

番組リスト

12/20 NHK 歴史探偵「徳川光圀 黄門さまの真実」

ご存知水戸黄門の真の姿

 いきなり「一度やってみたかった」という佐藤二朗による印籠シーンから始まる今回だが(ハッキリ言って、役者のくせに発声から何から全く話にならなかったが)、今回はテレビで誰でもご存知の水戸黄門(と思ったが、今時の若者ならもう知らないか)の真実の姿に迫る・・・とのことだが、実は水戸黄門も以前に別の番組で扱われていて、今回の内容ってそれ以上のものはなかったりするんだよな・・・。

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全国でなくて領内を回った

 さて水戸黄門こと徳川光圀であるが、1628年に水戸で生まれた人物で徳川家康の孫に当たる。なお黄門とは中納言のことであるという。

 番組では水戸黄門漫遊記の形がいつから出来たかと言うことで、まずは昭和期の映画から調べているが、この時点で既に現在の漫遊記の形が出来ている。そしてその原作は明治の講談から来ているという。しかし江戸時代になると助さん格さんは登場しないし、全国漫遊もしていないという。

実際の水戸黄門はこんなことはしていない

 記録に基づいて光圀が出向いた場所をリストアップしていくと、水戸藩の領内しか回っていないが、領内は結構くまなく回っているという。これは領内を実際に自分の目で視察して実情を把握するためだったと思われるが、産業の振興のために栗やリンゴを取り寄せて栽培させたり、家畜を育てようとさせたという記録が残っている。これは水戸藩はあまり豊かな土地ではなかったので、そこにあった産業を開拓しようとしていたのだという。その結果生まれた特産品の1つに西ノ内紙という和紙があり、水に漬けても文字が滲まず破れもしないので、大福帳などに使用されたとのこと。藩の専売品として財政に寄与したらしい。また元々佐竹領であったことから、領民に親しみを持ってもらうためにということもあったという。

 

 

大日本史の製作を行い、そこに助さん格さんが

 次は助さん格さんだが、これはモデルがあることが知られている。佐々宗淳(通称介三郎)という学者が助さんのモデルで、彼は全国を文献の調査のために回っていたという。それらの資料は大日本史を製作するための資料であった。大日本史は歴代天皇の事蹟をまとめた歴史書である。そしてこれをまとめた責任者が安積澹泊(通称覚兵衛)でこちらが格さんのモデルである。光圀は武名で名を上げられなくなったので、歴史書を残せば自身の名も残せるのではないかと考えたということを文書に残しているという。なお光圀が歴史書の製作を思いついたのは、自身が史記を読んで感銘を受けて人生が変わったという経験があるからだという。さらに光圀は朝廷の儀式の記録、花押の記録なども製作しているという。

本当の格さんは武闘派でなくて現代ならこんな感じ

 

 

幕末に思想的影響を与えた

 とここまで来たところで時代が幕末に飛ぶ。水戸では弘道館で様々な学問が伝えられていたが、そこには弘道館設置の理念が書かれた石版があり、尊王攘夷の言葉が刻まれているという。水戸藩は光圀以来尊皇の意志が強く、大日本史の編纂を通じてその考えを伝えていったという。また1824年にイギリスの捕鯨船が常陸に来航したことなどもあり、外国に対する危機感が強かったことで攘夷の意識があり、それが尊王と結びついて尊王攘夷の考えとなったという。水戸にはその考えを学ぶために多くの者が訪れており、その中には吉田松陰などもいるという。その結果として長州では尊王攘夷の思想が広がることになる。そして攘夷を実行出来ず、天皇に無断で開国に進んだ幕府に対する反発が討幕に繋がることになったという。なお皮肉なことだが、慶喜も光圀の影響を受けており、大坂から逃亡したのは天皇に背くことができないという考えからだったと言われている。

 

 以上、今更って内容ばかりだったな・・・。で、次回は早速大河ドラマの宣伝企画の模様。また1年、そんなことばかりする気か?

 

 

忙しい方のための今回の要点

・水戸黄門こと水戸光圀の漫遊記は明治時代の講談から産まれた。しかし実際の光圀は水戸領内から出たことがほとんどない。
・ただし領内は細かく各地に出向いて視察をしており、それは土地にあった産業を振興させるための調査であったという。その結果、西ノ内紙のような特産品も産まれた。
・助さん格さんにはモデルがおり、佐々宗淳(通称介三郎)という全国の文献調査に回った学者が助さん、それらの資料を使って大日本史の編纂の責任者を務めた安積澹泊(通称覚兵衛)が格さんのモデルとされている。
・光圀は自身がかつて史記で感銘を受けて人生が変わった経験から、武名をあげられない時代に自身の名を後世に残すためには歴史書を作ることを思いついたという。
・大日本史には尊王の考えが強く、その思想が水戸藩には伝えられることになる。それが外国の脅威に対する攘夷思想と結びついて尊皇攘夷思想が生まれた。その思想は吉田松陰などから長州にも伝わり、結局は討幕に結びつくこととなる。


忙しくない方のためのどうでもよい点

・なんかこの番組は新年度も期待出来そうにないなってのが本音。どうなってるんだ、最近のNHKは。

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