ポー川河口デルタの巨大都市フェラーラ
イタリア北部のアドリア海の沿岸には広大な三角州が広がる。これはポー川によるものである。ここにあった巨大な都市がフェラーラ。ルネサンスの理想都市とも言われた都市である。またこのフェラーラはこの一帯を治めた国の名前でもある。9キロの城壁に囲まれたフェラーラが、現在の姿になったのは15世紀の終わり頃。当時のフェラーラはヴェネチアと肩を並べる力があった。
ポー川河口には東京23区がスッポリ入るほどの巨大デルタが存在する。ここの水深は浅く、かつては塩田が作られてこれがフェラーラの財政を支えていた。塩作りで栄えた都市がコマッキオ。最初は島に家が転々とあるだけだったが、それが運河の周辺に家が密集する水運の街へと発展した。狭い運河を小さなゴンドラを使って荷物を運んだという。フェラーラはこのような街を取り込んで大きくなっていった。
湿地を大改造してルネサンスの理想都市を建造
今は豊かな農地となっているこの地は、かつては湿地であった。16世紀に水門を作って湿地の排水がなされて農地に改造されたのである。小麦や麻などがそこで栽培されたという。ポー川の対岸にまでヴェネチアが迫っていたので、フェラーラはポー川の水運の覇権を巡って睨み合いをする形になっていた。
フェラーラの周辺にはかつては城壁だけでなく堀が巡らされていた。領主の館の周囲にも堀が巡らされている。城に入るには厳重な門を抜ける必要があった。領主はエステ家であり、その様子はフレスコ画に描かれている。イタリア屈指の貴族だったエステ家はポー川沿いのモデナも領有しており、そこには世界遺産となっているルネサンス庭園も存在する。彼らはフェラーラの町づくりにもルネサンスを導入した。
中世のフェラーラ市街は狭い道が入り組んでいた暮らしづらいものだったが、15世紀に都市計画に基づいて大改造がなされた。広大な直線道路が通されたルネサンスの理想都市となった。またディアマンテ宮殿と呼ばれるエステ家の斬新な館も建造された。ルネサンスの街と干拓事業がこの地が世界遺産に指定された理由である。
忙しい方のための今回の要点
・ポー川河口のデルタに建造された巨大都市がフェラーラである。
・フェラーラはこの辺りを治めた国であり、ポー川の水運を覇権を巡ってヴェネチアと睨み合っていた。
・16世紀に水門の建造で辺りの湿地が農地へと改造された。
・この地を治めていた領主はエステ家であり、彼らはポー川沿いのモデナも領有し、そこにルネサンス庭園の傑作を建造した。
・フェラーラは15世紀に都市計画に基づいた大改造がなされ、ルネサンスの理想都市として建造された。
忙しくない方のためのどうでもよい点
・いかにもルネサンスの時代を感じさせる都市になっています。しかしその都市が今もそのまま残っているというのがすごいと言える。日本にはそういうのはないから・・・。
次回の世界遺産
前回の世界遺産