教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

このブログでの取り扱い番組のリストは以下です。

番組リスト

8/19 NHK-BS 昭和の選択「敗戦国日本の決断 マッカーサー「直接軍政」の危機」

敗戦時のギリギリの交渉の実態

 敗戦による無条件降伏の中、進駐軍による直接軍政という最悪の事態を避けるべく奔走した外交の話。

 玉音放送で日本国民は天皇自らの声で敗戦を告げられた。しかしこの時に日本は完全に終戦したわけではなかった。陸海海軍は本土だけで300万人以上が臨戦態勢にあり、この兵力を武装解除しないと進駐軍の直接軍政の危険があった。

 新たに組閣された東久邇宮内閣は米国からの「フィリピンマニラの連合軍最高司令部に早急に使節を派遣するべし」との要求への対応に大わらわする。しかし使節の選択が難航、屈辱的な敗戦の使節となることを主立った軍人は拒否、使節派遣の日程がずれ込み米軍は日本の引き延ばしを疑う。この難局にあえてこの不名誉な任務に挑んだのは陸軍参謀次長の河辺虎四郎中将。

屈辱の任務を引き受けることになった河辺虎四郎中将

 また使節の随員として外務省調査局長の岡崎勝男が選ばれる。彼は外務大臣から「軍人が頑張って話を壊してしまわないよう、全般的なことに気を配るように」と指示を受ける。こうして使節団17人が決定されるが、彼らには命の危険があった。徹底抗戦を訴える厚木航空隊が使節機の撃墜を目論んでいた。使節は武器を取り外されて国際安全標識の緑十字に塗装された海軍の一式陸上機に乗り込むことになる。最初に試験飛行すると厚木航空隊に発見されて機銃掃射で穴だらけにされたので、河辺中将が乗り込む機体は地下壕から引っ張り出された老朽機になる。

元陸上選手という異色の経歴を持つ岡崎勝男

 

 

決死の覚悟でマニラに飛ぶ

 8月19日午前7時10分過ぎ、4機の機体が木更津を飛び立つ。使節機2機は厚木航空隊を避けて超低空飛行で南に向かい、残りの2機は囮としてわざと電波を発射して沿岸を飛んだ。しかし8時20分に使節機が哨戒中の厚木航空隊に発見されてしまう。しかし哨戒機は燃料が不足で追跡を断念、連絡を受けて発進したゼロ戦は使節機を見つけ損なう。九死に一生を得た使節機は12時30分に米軍支配下の沖縄の伊江島に到着、ここで米軍機に乗り換えて一行はマニラに向かう。そして午後5時45分にマニラに到着する。河辺中将は出迎えた将校に挨拶を求めるが拒否される。どんな要求をされるかと戦々恐々で、いざという時のためには自殺するための拳銃を持っていた河辺だが、米軍の対応は紳士的であり、重要文書は天皇の元に持ち帰ることが認められた。しかし司令部が示した日程に驚愕する。先遣隊到着が8月23日、マッカーサー到着が8月25日、降伏文書調印が8月28日で、しかもその場所が反乱軍が立て籠もる厚木飛行場だった。使節の帰国から先遣隊到着までに中2日しかない。河辺は拙速に事を進めると禍根を残すと食い下がるが、日程を3日ずらす妥協案が示されたのみであった。

 使節団は急いで帰国するが、伊江島で待機している2番機がトラブルを起こし、やむなく主要メンバーが1番機に乗り込んで8月20日午後6時40分伊江島を発進する。しかしこの機体が突如として消息を絶つ。撃墜されたかと騒然となるが、実は燃料不足を起こして海岸に不時着をしていた。岡崎は機内を転げ回って負傷しながらも、必死で降伏文書を守ったという。一行は地元民の協力で浜松飛行場に移動し、たまたま駐機していた重爆撃機飛龍を修理、翌朝八時に調布飛行場にたどり着く。先遣隊到着までに4日しかなかった。

 

 

ギリギリで米軍受け入れの準備を行う

 8月22日、厚木に進駐軍を入れるための重要任務が参謀本部の有末精三中将に与えられる。前日に厚木航空隊の反乱指揮官の身柄が確保されていて、反乱軍の機体は次々と脱出していった。8月24日夕方、有末は厚木飛行場に入る。付近の雑木林には200人の反乱兵が武器を持って籠もっていた。厚木飛行場は火を放たれ、200機以上の残骸が滑走路を埋め尽くしていた。兵舎も破壊されてトイレは汚れ放題、将校が自ら掃除をする羽目になった。さらに飛行機撤去の作業を出来る人員はおらず、民間人も反乱軍を恐れて仕事を引き受けようとしない。先遣隊の到着まで1日しかない。やむなく有末は法外な賃金を示して人員をかき集めるが、どう考えても明日に間に合いそうにない。そんな時に台風のために到着が48時間引き延ばしになるとの報が入る。全員が「これぞ神風」と歓喜する。しかし有末は、米軍が偵察で準備の進行状況を知っていたのだろうと冷静に分析している。

 準備に奔走している有末に、今度は政府から「進駐軍は軍票を使おうとしているらしい」との連絡が入る。軍票を使われたら経済は大混乱に陥る(軍票は米軍が発行し放題なので確実にインフレが発生する)と大蔵省は懸念、何とか軍票を使わないように交渉して欲しいと依頼される。

 そして8月28日午前8時、先遣隊が厚木飛行場に降り立つ。有末は先遣隊のレンチ大佐を迎える。宿舎に入ったレンチに有末は軍票のことを切り出す。これに対してレンチは軍票は持参しているが使うことはないと告げる。8月30日午後2時、マッカーサーが厚木飛行場に降り立つ。しかし有末は移動をさせられていてマッカーサーを見ていない。アメリカは日本に対する警戒を緩めてはいなかった。

 

 

アメリカが示した直接軍政の意向に対する日本政府の緊急対応

 9月2日午前9時、東京湾に停泊している戦艦ミズーリ号の艦上で降伏文書の調印が行われる。全権代表の外務大臣重光葵が降伏文書にサインする。しかし日本の苦難はまだこれからだった。この日の午後4時、岡崎の配下で終戦連絡事務局長を務める鈴木九萬が呼び出され、マーシャル参謀長から3億円もの軍票が持ち込まれていることを聞いて驚き、それでは経済が混乱して治安が乱れることになりかねないと訴える。鈴木の態度に感銘を受けた将校が密かに鈴木に教えてくれた翌日に出される布告の内容は、そこには直接軍政の意向が示されており、英語を公式語にするという内容も含まれていた。さらにGHQに逆らうものは軍事裁判で刑に処されるというもので、さらに軍票を法貨とすると記されていた。これは持ち帰られると夜8時に緊急閣議が開催され、政府の対応が検討される。ここでこの布告の撤回を求めるか、抵抗を断念して受け入れるか。

 これに対しては全員一致で撤回を求めるというもの。まあ直接軍政なんか受け入れると日本が滅茶苦茶になるのは確実なので当然である。そして日本政府も当然のように撤回を求めて深夜の交渉を行う。鈴木と合流した岡崎は深夜0時過ぎにGHQを訪ねるがマッカーサーは不在、そこでサザーランド参謀長の宿舎のホテルに向かう。しかしサザーランドは見つからずマーシャル参謀長と交渉することになる。その結果、今からマッカーサーに了解は求められないが、自分の権限で翌朝の布告は中止するとマーシャルは約束する。翌朝9時、岡崎は重光外務大臣とマッカーサーを訪問する。マッカーサーは自分の権限で布告は全面的に取り下げると答える。こうして直接軍政は行われないことになる。これについて岡崎は「元々直接軍政の話は時代遅れで、この政策は変えるべきであるという意見もあったところに、たまたま日本から強い要請があったので政策を変更したのだと考える」と語っている。

 

 

 ギリギリの交渉の話。日本は何とかアメリカ統治下での自治を確保したのだが、ここで実は沖縄は見捨てられているという話も出て来た。実際に沖縄は米軍の直接統治下に置かれることになり、その後に本土復帰しても未だに半分アメリカに支配されているに等しい状況である。つまりはこの時に下手をしたら、日本全体がそうなる可能性があったと言うことである。

 なおアメリカとしては日本国民がここまで見事にアメリカに靡くと考えていなかった部分があったようで、これだけ国民が従順に靡いてくるんだったら、わざわざ圧力をかけて暴発する危険を冒す必要はないとの判断だったという話もある。これを聞いていると、なんだかなってのが本音。確かに日本国民は、それまでの鬼畜米英からの手のひら返しはあまりに見事だった。強かなのか、アホなのか。

 

 

忙しい方のための今回の要点

・日本の敗戦が決定するが、国内には未だに徹底抗戦を訴える連中が厚木飛行場に立て籠もっており、連合軍最高司令部のあるマニラに向かう交渉の使者が撃墜される危険があった。そんな中、河辺虎四郎中将と岡崎勝男らが命がけでマニラに向かう。
・そこでは特に問題なく降伏文書の持ち帰りが許されるが、降伏文書調印までにあまりに日がないのと、進駐軍が降り立つのが厚木飛行場であることが大問題となる。
・使者は途中で燃料不足で不時着というトラブルに遭遇しながらも何とか調布飛行場に戻ってきて、対応が検討される。
・参謀本部の有末精三中将が厚木飛行場に進駐軍を迎え入れる準備を命じられるが、反乱軍の指揮官は既に身柄を確保されていたが、周囲には未だに反乱軍が潜伏しており、飛行場も施設が破壊され、滑走路には廃棄された機体が転がる惨状であった。
・到底準備は間に合わないと思われたが、台風の影響で先遣隊の到着が48時間順円されたこともあり、有末はどうにか準備を間に合わす。
・その後、マッカーサーも到着、降伏文書の調印も行われるが、米軍が直接軍政を宣言する布告を出す予定であることが判明し、政府は緊急の対応を迫られる。
・政府は直接軍政だけは絶対に撤回してもらうようにGHQと交渉、ギリギリのところで撤回させることに成功する。


忙しくない方のためのどうでもよい点

・必死の外交交渉ですが、敗戦国でありながらここまでどうにかこうにか交渉したというのは驚きですね。今の政府だったら「何でもそちらの思いのままに」と何でも受け入れるのがオチのような気がするが。やっぱり日本の外交力って低下する一方なのでは?

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