教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

このブログでの取り扱い番組のリストは以下です。

番組リスト

11/7 BSプレミアム ザ・プロファイラー「アレクサンドロス大王」

 わずか10年でヨーロッパからアジアにまで及ぶ大帝国を築いたアレクサンドロス大王。今回の主人公である。

 なおゲストの一人が「ヒストリエ」を推薦していたが、あれは私も読んでますがなかなか面白いです。「寄生獣」で有名な岩明均がアレクサンドロスの書記官であるエウメネスを主人公に描いた作品です。作者の遅筆のせいでまだアレクサンドロスは登場してそんなに経ってませんが、これからさらに盛り上がっていく模様です。

 

 ちなみに同じく岩明均のアルキメデスが登場するこの読み切り作品もお勧めです。

 

幼き頃から帝王教育を受ける

 マケドニアの王子として生まれたアレクサンドロスは後継者として英才教育を施され、乗馬なども訓練した。幼い頃のアレクサンドロスの才を物語るエピソードとして、誰もが乗りこなせない荒馬を、馬が自分の影におびえていることを見抜いて、馬の方向を変えることで乗りこなしたというものがある・・・のだが、その後にその馬がそっちの方向にしか進めなくならなかったのだろうかというのは疑問のあるところだ(笑)

 また彼は家庭教師として招かれたアリストテレスからあらゆる学問を学んでいる。その時に彼は「権力者よりも何が正しいかを判断できる人間になりたい」と言ったそうな。

 

初めて参加した戦いで戦功を上げる

 アレクサンドロスの父・フィリッポス2世はギリシアの覇権を巡ってアテネなどと争っていた。マケドニア軍の兵器は他の地域よりも遙かに長い6メートルの長槍だったという。これを押し立てて前進する軍はかなりの威力があったという(信長の長槍部隊を連想させる)。そしてアレクサンドロス18才の時、カイロネイアの戦いに騎兵を率いて参戦することとなる。そこで彼は敵の歩兵部隊を壊滅させる大手柄を立てる。しかし彼は「父が何もかも独占してしまって、自分のするべきことがない」と、偉大すぎる父に対するコンプレックスのようなものがあったらしい。

父が暗殺されたことでマケドニア王となる

 そしてギリシアを制覇したフィリッポス2世がいよいよアジアに目を向けた時に事件が起こる。彼が突然に暗殺されたのである。この頃彼の若い寵姫が妊娠していたことから、暗殺劇の黒幕にはアレクサンドロスがいたのではという説もささやかれたようた。しかし既に帝王教育を受けて後継者と見なされていたアレクサンドロスは重臣たちの支持もあって、20才でマケドニアの王となる。そしてダーダネルス海峡を渡って当時はペルシアの支配下で小アジアと呼ばれていたトルコに攻め入る。

 

ペルシアの大軍を正面から撃破する

 ペルシア軍は川岸でマケドニア軍を迎え撃った。ここではマケドニアの強みである長槍部隊は使用できない。この時アレクサンドロスは騎兵で先頭を切って川を渡って敵に攻めかかる。敵はアレクサンドロスを狙ってくるが、それを側近たちが体を張って阻止した。フィリッポス2世の軍制改革で側近や歩兵まで「同志」としてフラットな組織になっていたので、皆王との距離感が近かったのだという。それが一体感を生んだらしい。そしてマケドニア軍はペルシア軍を打ち破ってトルコを奪取する。

 これに対してペルシア王・ダレイオスが自ら大軍を率いて迎撃に出てくる。そして紀元前333年、イッソスの戦いで両軍が激突。マケドニア軍1万9千に対して、ペルシア軍7万2千とマケドニア軍は兵力では圧倒的に劣勢であったにもかかわらず、マケドニア軍はアレクサンドロス自ら先陣を切って突撃、ダレイオスの本陣に迫り、ダレイオスは逃亡、王が逃げたことで戦意を喪失したペルシア軍は散り散りになって敗走する。敵陣にはダレイオスの家族が残されていたが、彼はそれを丁重に扱ったという。また残された多くの金銀財宝を見て「王になるとはこういうことだったのか」と語ったと言われている。

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アレクサンドロスの勝利を描いた有名なタイル画

 


アレクサンドロスの言葉の真意は?

 アレクサンドロスの発言の真意については様々な解釈があるそうだが、王になったらこんなに金銀財宝が手に入るのかというもっともゲスな解釈から、王になっても財宝を集めるなどというくだらないことをしていたのかという高尚な解釈まで様々。私は単純に「王ってこんなに財力持ってるの?」と驚いたのだと思っているが。何しろアレクサンドロスはギリシアの田舎のマケドニア王であって、ペルシア王とは経済力は根本的に違ってたはずだから。

 その後、ダレイオスから講話を持ちかけられるがアレクサンドロスはこれを一蹴、両者はついに雌雄を決することになる。ダレイオスは大軍を集め、大軍が動きやすい大平原を船上に設定した上で秘密兵器の戦車まで投入して戦いに望む。兵力的に劣勢のマケドニア軍では側近がアレクサンダーに奇襲を提案したが、アレクサンダーは「私は勝利を盗まない」とあくまで正面から勝敗を決することにこだわったという。そして開戦。マケドニア軍は戦車をそらすためにペルシア軍を平原の端に誘導、さらに戦車の突撃は陣を捕捉してやり過ごし、孤立した戦車を攻撃するという手を取った。そしてペルシア軍の陣列に隙が出来ところをついてアレクサンダーが騎兵を率いて突撃、ダレイオスの本陣を目指す、ここでダレイオスは再び逃走してペルシア軍は総崩れとなる。アレクサンドロスはさらにダレイオスを追撃するが、ダレイオスは逃走の途中で側近に裏切られて暗殺される。アレクサンドロスはダレイオスの遺体を丁重に埋葬すると共に、下手人をペルシア式の方法で処刑して自らの正当性を示したという。

 

ペルシア人の登用が側近との溝を作る

 アレクサンドロスはペルシアの人々に対して略奪や破壊はしないことを宣言したという。これはダレイオスがエジプトを支配する時にエジプトの文化を尊重し、さらに井戸を掘るなどを行ったことで慕われていたことに習ったと考えられるという。アレクサンドロスはペルシアの支配においてはペルシア人を起用し、また自らの風俗もペルシア風のものに改めた

 しかしこれらがマケドニア時代からの側近からは、アジアかぶれとして反発を食らい、彼らとの間に溝が出来ることになってしまう。そしてアレクサンドロスはさらに東に遠征を続けようとするが、遠征が10年もに渡り疲弊していた彼らは、ついには進軍を拒否するという事態に至ってしまう。ことがここに及びアレクサンドロスは一旦兵を退かざるを得なくなる。そして再び東への遠征を計画していた時、彼は熱病にかかって32才でこの世を去る。そして彼が築いた大帝国も、後継者争いで分裂して消滅してしまうことになる。

 

 結局は暴君なのか英雄なのかが今ひとつハッキリしない人物で、ヤマザキマリ氏などは「両方」と言っていて、岡田准一氏は「無邪気に世界を征服していた」という解釈をしていたが、正直どちらにも共感します私は。最初は体育会系のノリで「みんなで世界征服しちゃおうぜ!イェイー!」って感じで突っ走っていたが、気がつけば回りの仲間はしらけてドン引きしていたというパターンか。

 

忙しい方のための今回の要点

・マケドニアの王子だったアレクサンドロスは幼児期より帝王教育を受けて育つ。
・彼の父のフィリッポス2世はマケドニアの強力な長槍部隊を駆ってギリシアを制圧するが、アジアに向けて進撃をしようとしたところで暗殺されてしまう。
・20才でマケドニア王となったアレクサンドロスはアジアに向けて進軍し、ペルシアの大軍と相対すことになるが、自ら陣頭に立って激戦し、ペルシアの大軍を打ち破る。
・最終的にアレクサンドロスはペルシアの制圧に成功、現地の支配にはペルシア人を起用し、自らもペルシアの風俗を取り入れるが、それがギリシア時代からの側近の反発を招くことになる。
・アレクサンドロスはさらに東への進軍を試みるが、10近くなる遠征に疲弊した家臣達が進軍を拒否する事態に及び、一旦断念を余儀なくされる。
・その後、再び東へ進軍を開始しようとしたところで、アレクサンドロスは熱病にかかり32才でこの世を去る。


忙しくない方のためのどうでもよい点

・たぎる体育系が最後には回りにとっては鬱陶しくなったというところでしょうか(笑)。回りのしらけた空気が舞い上がっている本人には伝わってなかったんでしょうね。
・それと明らかに己に陶酔しているところが見えますね。「私は勝利を盗まない」なんて、ギンギンに格好付けてますけど、かなり酔ってもいますね。そう言えばかのラインハルト・フォン・ローエングラムにも「私は宇宙を盗みたいのではない。奪いたいのだ。」なんて台詞があったな(笑)。
・英雄なんて言われる輩は大抵そういうところがありますが。まあ客観的に見ると「危ない奴」でもあります。

 

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