教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

このブログでの取り扱い番組のリストは以下です。

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11/11 BS-TBS にっぽん!歴史鑑定「こんなに変わった!?歴史の教科書」

時代変われば教科書も変わる

 私が学校で歴史を習った頃に比べると、今の教科書の内容はかなり変わっているのだが、そのような変わった箇所を紹介するという内容。恐らく年寄りほどヘェ-で、若い者なら「そんなの当たり前だけど」となる内容だろう。

 まず縄文時代の開始について今は1万6500年前という説が教科書に書かれているとのこと(以前は1万2000年前といわれていた)。もっとも1万6500年と1万2000年なんて大して差がないような気もするが・・・。

 

鎌倉幕府成立は1192年ではない?

 最近はいい国作ろう鎌倉幕府の、鎌倉幕府成立1192年というのに諸説あるそうだ。ちなみに1192年は源頼朝が征夷大将軍に任命された年である。これ以外では頼朝が後白河法皇の平氏追討のために鎌倉に入った1180年説、さらには木曽義仲を頼朝が討伐して関東の荘園支配権を与えられた1182年説、また鎌倉の初期官僚組織を整えた1184年説、壇ノ浦で平氏を滅ぼして全国の守護地頭任命権を得た1185年説、さらに武官のトップである右近衛大将に任じられた1190年説など諸説あるそうな。で、今は一番採用が多いのが1185年説であるという。まあ鎌倉幕府についても、頼朝が「はい、今日から鎌倉幕府で政治をします」と宣言したわけでなく、徐々に体制を整えたわけだから何年というのがハッキリしないのも仕方ない。またそもそも幕府という呼称自体が、元々は中国の将軍の陣営を指す言葉で日本では宮中の警護を司る近衛府のことだったという。これを用いたのは江戸時代末期で、新政府側が旧政権が正当性がないと強調するために用いた呼び名であるとのこと。当時の幕府側は公儀と言っていて幕府とは呼んでいないとのこと。

 

有名なあの肖像画はあの人ではない

 次が肖像画の話であるが、かつて一万円札になった聖徳太子の肖像画は、今では聖徳太子ではないというのが通説である。天智天皇に近い藤原氏の誰かではないかと言われているとか。というわけで「聖徳太子像」となるわけである。さらに最近別人と言われているのが足利尊氏と言われていた肖像。これは紋などから高師直もしくはその息子という説が有力であるという。

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この肖像は足利尊氏ではないらしい

 

大和朝廷でなくヤマト政権

 またかつては大和朝廷が日本を支配したと言われていたが、この時代の政権は今はヤマト政権と記載するようになっているという。それはまずヤマトについて、この時代は大和の文字を用いていなかったようであるということからカタカナになり、さらには朝廷と言うような天皇中心の体制が固まっていたわけでなく、各地に王が乱立して天皇も大王と呼ばれていた時代だったと言うことでヤマト政権となったらしい(カタカナで書くと私の世代はどうしても宇宙戦艦ヤマトを連想してしまうのだが・・・)。なお天皇の呼称についても、最初に用いたのは推古天皇であると言われていたのが、最近では天智天皇が有力とのこと。

最古の貨幣・富本銭

 また日本で一番古い貨幣は和同開珎とかつては教科書に記載されていたが、1999年に富本銭の鋳造施設らしきものが発掘されたことで、富本銭こそが最古の貨幣であるということが明らかとなったという。それまで日本書紀に天武天皇が貨幣を用いるように命じたという記述があったが、その貨幣が何かが説明つかなかったのであるが、この時代に富本銭が鋳造されていたことが明らかとなったことで、日本書紀の記述の説明もついたとのこと。もっともこの富本銭はこれ以外の発見数が非常に少ないことから、全国に流通はしなかったと考えられるという。

 

江戸時代の鎖国制度・身分制度についても異論

 また江戸時代の鎖国であるが、これもそもそもはオランダ以外の南蛮とは交易しないという意味であり、中国・朝鮮や東南アジアなどとは交易していたという。また鎖国という呼び方自体が江戸時代後期にプロイセンの書籍に書かれた日本についての記述を翻訳したものであり、開国に対する反対語として幕末に用いられるようなったものだという。

 さらに江戸時代の身分制度である士農工商だが、これは身分制度ではなかったという。江戸時代にはまず武士は上流階級だが、その下に町に住む町人と村に住む百姓がおり、これらは対等であり、百姓には農民だけでなく林業や漁業従事者も含んでいたという。これが身分制度として言われるようになったのは、明治になってから新政府が旧政権のネガティブキャンペーンとして、単に職業を示していただけの士農工商を江戸時代の厳格な身分制度としてアピールしたらしい。まあこれは私も当時から「何で農民が2番目なの?」というのには疑問を感じていたが、それについては先生もまともな回答を持ってませんでした。で、これは良いとして、じゃあこの士農工商に付随するエタ・非人についてはどうなるんだろう? 士農工商とは別に被差別階級として制定されたということか?


 とにかく私の時代とは教科書もかなり変わりましたというお話。もっとも変わったのは歴史の教科書だけでなく、科学の教科書も特に考古学の分野が劇的に変化してます。何しろ私の時代には恐竜はトカゲの親玉で、尻尾を引きずりながらノッシノッシとコジラ歩きをしてたんですから。今みたいに鳥の先祖で二足で俊敏に歩いていたイメージは皆無です。こういう調子だから、自分の知識をアップデートしていくのもしんどいです。いずれそれが出来なくなれば、いよいよ知的にも老いたということになるのでしょうが。

 

忙しい方のための今回の要点

・研究の進展などにより、歴史の教科書の記述もかなり変化している。
・鎌倉幕府の成立年については、かつての1192年だけでなく現在は諸説あり、今では頼朝が全国権力を認められた1185年説が有力とのこと。
・聖徳太子の肖像とされていたものが別人物であるらしいというのは比較的有名だが、足利尊氏の像とされていた肖像も、高師直もしくはその息子である可能性が高い。
・大和朝廷も、この時代には大和という漢字を用いていなかったこと、この時代には朝廷と呼べるほどに天皇の権力が確立していなかったことなどから、ヤマト政権と呼ばれるようになった。
・日本で一番古い貨幣も、和同開珎ではなくその後に発見された富本銭となった。
・江戸自体の鎖国政策も、中国などとは交易を続けており、そもそも鎖国という言葉自体が幕末にプロイセンの書物の日本に対する記述を翻訳したものである。
・士農工商は身分制度ではなく、単なる職業を意味するだけの言葉だったが、明治新政府が旧政権のネガティブキャンペーンして身分制度としてアピールした。


忙しくない方のためのどうでもよい点

・まあ時代が変われば通説なんてのも変わるということです。特に歴史と科学は、新発見一つでそれまでの通説が一気に覆るということはしょっちゅうです。隕石落下による恐竜絶滅説なんて、私が子供の頃には珍説扱いでオカルトレベルでしたが、今では通説ですからね。

 

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