教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

このブログでの取り扱い番組のリストは以下です。

番組リスト

11/27 BSプレミアム 英雄たちの選択「世界に目を開け!~キリシタン大名・大友宗麟の挑戦」

 先週は立花宗茂でしたが、今回の主人公はそのダメ主君・大友宗麟(笑)。彼は積極的に西洋と交流して交易などで経済力を付け、一時は九州の大半を支配化に治めた優れた大名・・・なのだが、その割には「戦に弱い」とか「戦国一のオタク大名」とか「キリスト教にかぶれすぎて国を滅ぼしかけた男」とか「優秀な家臣に恵まれただけの無能」とか果ては「変態」とかまでボロクソに言われることも多い(特に戦国大名をネタにした漫画「殿といっしょ」なんかではまさにボロクソの扱いである)大友宗麟のアゲ企画である(笑)。

キリスト教を保護して、南蛮貿易で経済力をつける

 日本ではあまり評判のよろしくない大友宗麟であるが、キリスト教を積極的に保護したということがあって、イエズス会の記録などでは「日本にある王侯中、もっとも思慮あり聡明英知の人」と絶賛である。それどころかヴァン・ダイクに「これ誰やねん?!」という美麗な肖像画まで描かれてしまっている

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ヴァン・ダイク作の「誰やねん?!」の肖像画

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日本に伝わる大友宗麟の肖像画

 大友宗麟はフランシスコ・ザビエルと会い、そしてキリスト教の保護を約束している。ただそもそも宗麟がキリスト教を保護したのは、ポルトガルと交易することによる富に注目したからであった。当時のポルトガルは国策として東方進出とキリスト教布教が一体化しており、イエズス会と親密な関係を築くことは、南蛮貿易の恩恵を蒙ることも意味していた。当時の豊後には南蛮貿易によってもたらされた様々な品も存在し、さらにはヨーロッパの文化まで取り入れられてかなり栄えていたという。また当時の大名にとって南蛮貿易にってもたらされる鉛や硝石は重要な戦略物資であった。鉛は銃弾に硝石は火薬の原料となった。また宗麟はポルトガルを通して当時は日本にはまだなかった大砲も入手している。さらに宗麟はポルトガルに対して、良質の硝石は自分のところに持ってきて、毛利には硝石を持っていかないようにと依頼しているという。

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宗麟がポルトガルより入手した大砲「国崩し」のレプリカ

 

キリスト教に傾倒していく宗麟

 ただキリスト教の保護は仏教などの従来の宗教との対立を招くことにもなった。キリスト教徒が寺社を放火するなどの事件も発生したという。なおこの時点では宗麟はキリシタンにはなっておらず、キリシタンになることを勧める宣教師に対し「私がキリシタンになろうとすれば、家臣達は私を国主と認めなくなるだけでなく、それ以前に殺されてしまう」と語ったという記録が残っている。そして33才で出家している。ザビエルと出会って10年後のことである。

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臼杵城

 しかしこの頃、本拠を臼杵に移した宗麟は、かなりキリスト教色の強い町づくりをしている。教会を建設し、臼杵はキリスト教の一大根拠地となっている。近年の発掘では国内最大級のキリスト教墓地も発見されている。宗麟はキリスト教の思想に基づいて領国を平和に治めたいという考えを持っていたと考えられるという。

 

外敵島津に対する選択

 しかしその宗麟に外敵が迫ってくる。南方の島津氏である。島津は日向を治める伊東氏を攻め、伊東氏は宗麟に助けを求めてくる。日向は交易船の重要な中継地であると共に、数年前には大友の交易船が島津領で行方不明となっており、島津に押領されたと疑われていた(実際に海賊行為は島津の得意技でもある)。大友の生命線である交易ルートにも危機が迫っていたのである。

 ここで宗麟は選択を迫られる。1は戦争回避。実は大友家の内部でも島津との戦争には反対の意見があり、また家督を譲った息子は家臣からの信頼が薄かった。ここは戦争よりは内部を固めるべきではないかというもの。2は出兵である。島津からの圧迫だけでなく、宗麟は日向にキリスト教徒の理想郷を作るという夢も描いていたのだという。

 番組ゲストは大半が2の出兵であった。これは私も同意見。残念ながら島津は黙ってみていたら許してくれるような甘い相手ではなく、いずれは前面衝突は不可避であったろう。となれば島津が拡大してからよりもなるべく早い内に戦争で叩くしか手はない。もっとも一番の問題は大友が島津と戦争して勝てるかなのだが・・・。

 

しかし島津に惨敗、その後の宗麟は・・・

 で、宗麟の選択も戦争だった。この時に宗麟は決意と共にキリスト教に入信して大軍を率いて日向に攻め入る。その過程で神社仏閣などを打ち壊していったということだが、実はこのことが家臣達の動揺を誘ってしまったという説もある。敵の島津は軍事国家の精鋭軍だが、それに対しての大友軍は内部に戦争反対の者もいたりで一枚岩ではなく、それがいざ戦闘の時に響いてしまう。島津お得意の偽装撤退等の戦術に翻弄されて惨敗を喫してしまうのである。宗麟は臼杵城に這々の体で逃げるしかなく、島津は勢いに乗って大友領に侵攻する。存続の危機に陥った宗麟が取った手は秀吉に降るというものだった。

 秀吉は九州討伐の大軍を率いて来援。九州は秀吉の支配下となり、宗麟は秀吉の配下ということになる。そして間もなく宗麟は病死する。そして秀吉がバテレン追放令を発するのはその1ヶ月後である。

 

 結局のところ広く海外に目を向けていた武将という観点で宗麟を紹介していたが、それでもどうしても最後はグダグダになってしまっている。キリスト教徒の理想郷なんて現実離れした夢物語を本気で実現しようとしてたのだろうか? だとしたら彼は生まれた時代が悪かったし、隣に戦闘種族の蛮人・島津がいたのも不幸だった。

 なおやっぱり彼に関するエピソードと言えばオタクネタが多いんですよね。やたらに収集癖があったのは知られてますし、春画の類いを買い集めるのに家臣を京に送ったという話までありますから、二次元オタでもあったわけで、そういう意味では時代の先を行っていた人物かもしれません(笑)。現在の世に存在したなら、間違いなくコミケで同人本を買い漁るタイプでしょう。そのせいで個人的には「大友宗麟=オタ」というイメージはどうしても拭えません(笑)。

 そういうせいで大友宗麟はカプコンの手にかかってしまうと、こんな変なキャラにされてしまうんです。

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ヴァン・ダイクの絵のイメージに似てなくもないかも・・・

 

忙しい方のための今回の要点

・ザビエルと出会った宗麟は、キリスト教を保護すると共に、南蛮貿易によって豊後を栄えさせた。
・ただし宗麟自身はキリスト教に入信せず、33才で出家している。しかし本拠を移した臼杵ではキリスト教中心の町づくりをしている。
・宗麟は交易路の安全を守るためにも、南方から進出してきた島津との戦を決意する。この時に宗麟はキリスト教に入信、大軍を率いて島津討伐に出兵する。しかし家臣の結束の弱さと、島津の巧みな戦術の前に大敗、大友家存続の危機に直面する。
・この危機に対して宗麟は秀吉に降伏することで援軍を送ってもらう。九州は秀吉の支配化となり、宗麟も秀吉の家臣となるがまもなく病死。秀吉がキリスト教を禁止したのは宗麟の死の1ヶ月後である。

 

忙しくない方のためのどうでもよい点

・実際のところ、つくづく戦国時代には合わなかった人のような気がします。これが平和な時代の人だったら、風流大名とか新しもの好き大名として名を残しているかもしれません。もしかしたら日本で最初のコミケを主催して、大分が今日でも漫画の聖地になっていたかも(笑)。

 

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