教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

このブログでの取り扱い番組のリストは以下です。

番組リスト

3/5 BSプレミアム 偉人たちの健康診断「黒田官兵衛 天才軍師 謎の奇行」

 今回の主人公は秀吉に天下を取らせた原動力とも言われている天才軍師の黒田官兵衛である。

 

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黒田官兵衛


 

 

若い頃から戦で才能を発揮

 姫路の小領主の元に生まれた官兵衛であるが、幼い頃から聡明だったらしく、戦を率いるようになると伏兵で10倍の敵を倒したり、毛利の大軍に対しても1/10の兵で奇襲をかけて混乱させ、さらには農民を使って大声を上げさせて多くの兵が押しかけたように見せかけて撤退に追い込んだという。

 その官兵衛がさらに頭角を現すのが秀吉の配下となってからである。備中高松城攻めでは日本ではほとんど行われた事のない水攻めを行うなど、その発想力で秀吉の天下取りに貢献するのであるが、その発想力は彼の食生活に原因があるとしている

 官兵衛の兜と言えばお椀になっているのは有名であるが、官兵衛はそのお椀に盛るご飯にこだわっていたという。食事は常にご飯の友を用意させて玄米飯をモリモリと食うようにしていたとか。

 

米食が知能を発達させる?

 世界の知能指数のランキングを見ていると、米食のアジア人の方が高い傾向があり、これは米食に原因があるのではとされているという。米食はパン食に比べてブドウ糖の吸収が緩やかであって持続性がある。脳はブドウ糖しかエネルギーに出来ないので、このブドウ糖が持続するというのが重要なのだという。これは米には難消化性デンプンが多いためだという。これが脳の灰白質の成長を促す事になり、知能の向上につながるのではないかとしている・・・のだが、正直なところ半信半疑。米食が効いているというよりも、知能の面において黄色人種の方が白人などよりも優っているという人種的違いの可能性もある(概して白人の神経はがさつで大雑把である)。なお米食は血糖値の上昇がゆるやかと言っているが、これはあくまで玄米の場合であって、白米にしてしまうとその効果はかなり損なわれるし、何よりも栄養価が落ちることになるので、白米ばかりを食べていると脚気になるのは有名な話。

 

命の危機に瀕した官兵衛が患った病

 しかし天才官兵衛にも危機があった。秀吉と共に毛利を攻めていた時に副将の荒木村重が裏切ったのである。このままでは挟み撃ちされる危機に官兵衛は村重を説得に出向くのであるが、捕まって牢に入れられてしまう。1年後にようやく織田軍に救出された時には官兵衛は自分で歩く事が出来ないほどに衰弱していたという。またこの時に足が曲がってしまったらしい。

 官兵衛の足が曲がってしまったのは狭い牢に押し込まれて足が伸ばせなかったからとされていたが、実際の牢は一畳ほどの狭さで圧迫感は半端ないが、足が伸ばせないというほどではなかったという。それよりも不衛生な環境下でシラミなどに悩まされ、掻いた傷口などから細菌感染して骨髄炎や骨膜炎を発症して足の骨が固着してしまったのでとしている。

 なお牢獄などの監禁下ではストレスによる精神の障害の方が問題になるという。実際に囚人などで監獄爆発と言われる精神の障害が発生する場合があると言う。官兵衛はいつ殺されるか分からない状態で監禁されているわけであり、そのストレスは半端ではなかったはずだがそれでも官兵衛が正気を保てた理由は、官兵衛が牢獄の窓から見た藤の花にあるという。花には見るだけで人の心を癒やす効果があり、実際に交感神経が抑えられて副交感神経が高まったという研究報告もあるとか。なお解放された後に官兵衛は家紋を藤の紋にしたというから、確かに癒やされたのは事実かも知れないが、そもそも官兵衛のメンタルは相当に強かったのだろう。でないと、藤の花ぐらいで正気は保てない。

 

官兵衛の死因は梅毒?

 最後は官兵衛の死因についてであるが、官兵衛は秀吉の朝鮮出兵に従軍しているが、その時に腫れ物の悪化などによる体調不良で戦線を離脱している。日本軍は官兵衛離脱後に急激に戦況が悪化して、激怒した秀吉は官兵衛のせいだと官兵衛に蟄居を命じ(この頃の秀吉はもう既に正気ではなくなっている)、官兵衛はこの時に髷を落として一線から退き、この頃から如水を名乗り始めたという。秀吉の死後、関ヶ原の合戦が起こるのを見越した官兵衛は私財で兵を集め、東軍につく事を表明して西軍の諸将の城を攻略、後にその功で黒田家は大大名になる(官兵衛の功と言うよりも、息子の長政の功ではないかとも思うのだが)。しかし官兵衛は死の1ヶ月前に奇行が現れる。それまで家臣には温厚に接していた官兵衛が、突然に理由もなく家臣達を怒鳴りつけるということを起こしたのだという。家臣達は精神が錯乱したのではと危ぶんだとか。

 官兵衛が患っていた病気は官兵衛が朝鮮から帰国する直前に秀次に宛てた手紙から推測できるという。その時に官兵衛が服用していた薬の事がかいてあり、その薬は水銀系の薬だったらしい。当時は梅毒の治療薬として水銀が使用されており(現代医学の観点からは治療薬どころか有害である)、そのことから官兵衛は梅毒を患っていたと推測されるという。

 梅毒は感染後3週間ぐらいで患部に腫瘍が出来、3ヶ月後ぐらいに全身に発疹が現れる。しかしその後、一旦症状が治まり(潜伏梅毒と言うそうだ)2~30年ぐらいで脳障害などが現れて死に至る事があるという。つまり官兵衛はこの潜伏梅毒の間に九州を荒らし回る活躍をし、それが59歳になった時にとうとう脳がやられて錯乱したということだと考えられるという。

 

 以上、天下一の策士・黒田官兵衛について。なお官兵衛は頭に何やら腫瘍があったらしいが、牢から解放された時に皮膚病を患っていたとの話があるので、その時のものという可能性も高い気がします。

 ちなみに官兵衛の考案した水攻めは山がちの日本ではあまり用いられた事がない戦術ですが、中国の古典なんかにはしょっちゅう出てきます。ですから何も官兵衛のオリジナルというわけではなく、官兵衛は中国の兵法書なんかで知っていたんでしょう。もっとも臨機応変にそれらの知識を活かせるというのはかなりの知恵がないと出来ない事です。

 なお官兵衛は秀吉に天下を取らせた男でもありますが、同時に秀吉を恐れさせた男でもあります。秀吉が「私の後に天下を取るとしたら官兵衛だ」と言っていたのは彼の才能を高く評価すると同時に、その才を恐れていたという証明でもあり、だからこそ天下がほぼ定まった晩年には遠ざけられたということがあるようです。「狡兎死して走狗烹らる」と言いますが、天下を平定する時には有用だった才も、天下を手中にすると今度は自分にとっての脅威になるので処分される。この中国の言葉は当然ながら官兵衛もよく知っていたでしょうから、晩年に秀吉に遠ざけられただけでなく、自ら難を逃れるために遠ざかったという面もあるような気もします。

 

忙しい方のための今回の要点

・官兵衛は若い頃から戦において10倍の敵を打ち破るなど才を示していたが、秀吉に仕えるようになってその才がさらに開花する。
・官兵衛はその非凡な発想力が強みであったが、それを培ったのは米食だったのではと言うのが番組の説。
・米食はパン食よりもブドウ糖の持続時間が長く、そのために脳の灰白質の成長を促し、知能が向上するとの事(どこまで本当かは私は半信半疑)。
・官兵衛は寝返った荒木村重を説得に言って捕まり、牢に入れられてしまう。その牢の中で彼は骨髄炎や骨膜炎を起こして足が曲がってしまった。
・官兵衛の死因は梅毒と推測される。朝鮮出兵の時に一度体調を崩しているが、その後に潜伏梅毒の期間になって九州で大活躍するが、最後は精神の錯乱が現れてから亡くなっている。

 

忙しくない方のためのどうでもよい点

・黒田官兵衛の戦術の極意は戦わずにして勝つ事で、味方のみならず敵も含めて人命を大切にした軍師と考えられると番組では言ってましたが、その割にはどうも陰険な軍師のイメージもつきまとっているのはなぜでしょうかね。天下に野心を持っていたらしきエピソードなんかが残っているせいでしょうか。しかし現実問題として、黒田では天下は治まっていなかったと思います。

 

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