教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

このブログでの取り扱い番組のリストは以下です。

番組リスト

6/3 NHK 歴史秘話ヒストリア「戦国最強のナンバー2 天下を動かした男松永久秀」

天下の大悪党か、三好家を支えた忠臣か

 大河ドラマで脚光を浴びている松永久秀。どうも今までは大仏殿を焼いたとか、将軍を殺したとか極悪人扱いを受けることが多かったが、実際の松永久秀とはどういう人物であったかに迫るとしている。この番組の結論は「松永久秀は三好家のために活躍した、最強の家老」という評価。

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江戸時代に描かれた妖怪じみた松永久秀像

 松永久秀が使えていたのは三好長慶。近年になって「戦国時代最初の天下人」だったとして注目されている人物であるが、彼を天下人たらしめるのに貢献したのが松永久秀である。大阪高槻の土豪の出身だった久秀は、長慶の側近に抜擢されて頭角を示す。

 

長慶を天下人に押し上げたその手腕

 久秀が行ったのは、まず長慶の権威を高めるために将軍・足利義輝の勢力を弱めること。彼は将軍が行った裁判に対して不満を持っている者の意を受けて、三好家が裁判をやり直して将軍の裁定をひっくり返すことで長慶が天下人であることを世間に示したという。

 さらには畿内の敵対勢力である宗教勢力を抑えるために、奈良に多聞城という石垣に漆喰造りの立派な城を建造する。これは多分に「見せる城」であり、興福寺や東大寺と言った宗教勢力の眼前に松永久秀が自身の権威を見せることで、その力を牽制する事を狙ったのだという。実際に、久秀の目論んだ通り宗教勢力は彼らの支配下に屈することになる。

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最近見つかったという肖像ではもっと普通の人

 

長慶の死後、甥の義継を将軍に据えようとするが・・・

 こうして三好家を支えた久秀であるが、青天の霹靂のように長慶の死の報が伝わってくる。長慶には世継ぎがいなかった(長慶自身43歳と若い死である)ため、後を継いだのは甥の三好義継である。義継の母親は天皇家にゆかりの深い九条家の出身で、血筋の高さでは足利将軍にも引けを取らないものであった。そのために、久秀は義継を将軍にするべく働きかけることになる。

 しかしそんな久秀の意志を知ってか知らいでか、義継の方が暴走してなんと将軍・義輝を暗殺するという暴挙に出てしまう。当然ながらこの暴挙は諸大名の怒りを呼び、三好討伐の兵を挙げる者まで出る。そこで久秀は義輝の弟である義昭を迎え入れて、三好家は将軍を尊重する意志を示す。さらに朝廷が有していた足利尊氏の御小袖を引き渡してもらう。これは足利将軍家を象徴する品で、これを朝廷が三好家に与えると言うことは、朝廷が三好家に将軍を望んでいるというアピールになる。この奇策で久秀は義輝を将軍に近づけることに成功する・・・となっているのだが、従来はここで久秀が若い義継を担いで、邪魔な将軍を暗殺させたと言われているわけである。どちらが真相なのかは解釈次第なところがあるが、この時に久秀は京にはいなかったことから、暗殺には関与していないという説が近年強いようだ。なおいくら義継が血の気の多い若者だったとしても、自分の意志だけで将軍暗殺などと言う暴挙にまで及ぶかことは疑問だが、どうやら三好三人衆が背後で動いたようである。

 

三好三人衆との対立から信長と手を結ぶが・・・

 ようやく一件落着かと思ったところだが、ここで三好家内でお家騒動が起こる。久秀に反発した三好三人衆が兵を畿内で挙げ、そこにさらに阿波の三好家からも援軍が駆けつける。兵力的に劣勢な久秀は義継を守るために織田信長と手を結ぶことにする。ただし信長は義昭を奉じていたので、義継を将軍にすることは遠ざかる苦肉の策ではあった。信長は三好三人衆を蹴散らす。

 信長は義昭を将軍に据える。そして将軍の権威を利用して力を増していく。三好家の将来に危険を感じた久秀は、信長に天下の名品である付藻茄子を献上して歓心を買う。しかし信長は三好家の同盟相手だった比叡山延暦寺を焼き討ちする。これに対して義継が信長を討つ決意を久秀に告げ、久秀も義継のために共に信長と戦うことを決意する。

 久秀には勝算もあった。甲斐の武田信玄が上洛を目指していた。武田と三好が手を組めば信長にも勝てるとの読みだった。そして義継は河内の若江城で籠城、久秀も多聞城で信長を迎え撃つ。しかし武田信玄が上洛の途上で突然に病死、若江城は落城して三好義継は自害する。主君を失った久秀に対して信長は降伏勧告を突きつけ、久秀はそれを飲む。久秀は信長に服従しながら三好家復活の機会を覗うことを考える。

 

再度、信長に対して反旗を翻したものの敗北

 しかし久秀は多聞城を召し上げられ、大和の大半は久秀のライバルである筒井順慶に与えられることとなった。既に69歳になっていた久秀だが、信長の命で各地を転戦させられることになる(とにかく人使いの荒いブラック職場なのが織田家ですから)。さらに多聞城の取り壊しまで命じられ、信長に対する久秀の不信感は募っていった。

 そして久秀はついに信貴山城で信長に対して反旗を翻す。この時に将軍義昭は信長と不和になった挙げ句に毛利におり、さらには上杉謙信も同盟していた。それらの勢力と連携すれば信長に対して勝利することも可能と久秀は読んでいた。そして謙信は上杉討伐に繰り出した織田軍を手取川で完膚なきまでに叩きのめす。しかしここで謙信は兵を引き揚げてしまう。結局久秀は孤立することになり、数万の信長の大軍を前に自害する(この時に名器である茶釜平蜘蛛に火薬を詰めて自爆したというエピソードがあるのだが、この番組ではそれを省略している)

 なおこの時に炎上する信貴山城を見つめていた一人の武将が明智光秀で、久秀の最後に自身の境遇を重ね合わせた結果、本能寺の変に走るのではという結論にしている。

 

 あくまで徹底した大河ドラマの宣伝の一環で作られた内容です。実際に吉田鋼太郎が演じる松永久秀は、従来の極悪人のイメージを覆す斬新な設定になっており、どちらかと言えば武士と言うよりも商売人くさい印象の人物になっていた。この番組が大河ドラマのあらすじを先行することは良くある話なので、恐らく大河の久秀像も今回の内容に沿ったものになるのでは予想される。

 松永久秀については明らかに後の世に極悪人に仕立てられたというところがあるが、実際のところ単なる忠臣と言った単純な人物ではなく、やはり何かと陰謀を巡らせる策士であったことは間違いない。さらに彼が異色なのは、一度信長に背いているが許されており、その後もう一度背いた時も信長は平蜘蛛を献上することなどを条件に許そうとしていたという話があること。あれだけ執念深くて陰険なところがある信長(浅井親子の頭蓋骨で盃を作ったという話があるぐらい、自分に背く者に対しては苛烈である)がそこまでしたというのは、何が一体そこにあるのかと後世の者にまで思わせるところである。

 このために久秀の人物像も定まっていない。私は久秀の奥にあるドロドロとした暗黒面が、同じく暗黒面を持っている信長と共鳴して、とにかく「馬が合ったのでは」という見方をしているが、戦国BASARAなどでは久秀は天下なんてどっちでも良い単なる茶器コレクターとして描かれているし(騒乱の黒幕と見せかけて、実はすべて茶器蒐集のためで天下への野心なんて全くないという大どんでん返しだった)、「殿といっしょ」では明智光秀に裏切り者の才を見出した謎のダンディ中年になっていた(笑)。何にせよ、とにかく曲者だったのは間違いないようだ。

 

忙しい方のための今回の要点

・極悪人と評されることが多い松永久秀だが、三好長慶を天下人に押し上げた有能な家老であった。
・彼は裁判を通して三好長慶の権威を高めると共に、多聞城を築いて自らの力を奈良の宗教勢力に見せつけることで、彼らを支配下に置いた。
・長慶の死後、久秀は長慶の甥の義継を将軍に据えるために画策するが、義継が暴発して将軍を暗殺してしまう。
・周囲の大名の反発が強まる中で、久秀は義昭を迎え入れると共に、朝廷から足利尊氏の御小袖を譲り受けることで三好家の姿勢を示すことで反発を逸らす。
・しかし三好三人衆との対立が激化、劣勢となった久秀は義継を守るために織田信長と手を組む。
・しかし信長の勢力が増すにつれ、義継が反信長で立ち上がることを決意、久秀もそれに呼応するが、頼みの武田信玄の急死で義継は落城して切腹、久秀は信長に降伏する。
・久秀は信長の元で三好家の復活を目指すが、信長が上杉討伐に兵を出した期に再び信長に反旗を翻す。しかし上杉謙信が兵を帰したことで孤立、結局は自害する。

 

忙しくない方のためのどうでもよい点

・まあとにかく評価が定まらない人です。それだけにいろいろな解釈が成り立つでしょう。今まで言われている悪評も冤罪部分がかなりあるだろうとは思いますが、今回の内容は逆に少々美化しすぎのような気がします。

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