教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

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"日本に貨幣経済を本格的に持ち込んだ平清盛"(7/29 BSプレミアム 英雄たちの選択「平清盛のマネー革命~銭の力で新時代をひらけ!~」から)

 平清盛は福原京を建設し、大輪田泊を整備するなどして宋との貿易に力を入れていたのはよく知られているところである。清盛は一体その先に何を睨んでいたのか。

 

宋との交易を重視した清盛

 そもそも清盛と宋との関わりは父の忠盛の頃から始まる。当時の宋はまさにアジアの中心であり、高い文化と強大な経済力を誇っていたのだが、北方民族の侵攻によってその領土の半分を奪われるという事態に陥っていた。宋は火薬のための硫黄を求めており、日本は硫黄をほぼ無尽蔵に産することが出来た。忠盛は硫黄を輸出して宋と交易することによって得た貴重な品々を上級貴族に贈るなどして権力の基盤を固めてきた。そして清盛もその路線を引き継いでいる。さらに保元の乱、平治の乱での活躍で朝廷の信頼を得る。後白河上皇のために三十三間堂を建立するなどをしながら。方々に気を使って敵を作らないように振る舞っていたという。

 そして天皇との縁戚関係を深めていく。これが清盛の権力基盤となる。しかし清盛は突然に出家すると京を出て福原に滞在する。ここで清盛は宋と交易しながら、大輪田泊を宋からの大型船が直接入港できる港へと整備を開始する。また清盛は宋から使者と後白河法皇を直接対面させたことがあるらしいが、天皇家の人間が外国人と直接面会するのはタブーだったので、これは朝廷の貴族達の激しい反発を呼ぶことになったいう。

 

宋銭を流通させて貨幣経済の発展を目指す

 清盛が宋から入手しようとしていたものは宋銭だと考えられるという。日本には既に宋銭は入り込んでいたのだが、これらは銅素材として経筒の材料などに使用されていたという。こうした宋銭がこの時代から本来の貨幣として使われ始めていた。日本でもかつて和同開珎などの銭が鋳造されたことがあったが、これらは経済が未熟だったために定着せず、結局は平安時代には米や絹で取引が行われていた。しかし清盛はこの宋銭を流通させることで貨幣経済を発展させることを考えていたのだという。宋銭が単なる銅素材ではなく、本来の貨幣として流通するようになれば、それは宋銭自体の価値を高めることになり、ひいては宋銭を所有し、さらに調達が可能な平氏の経済力を強めることにもつながる。

 清盛の娘の徳子が高倉天皇との間に安徳天皇を産み、いよいよ清盛の政治基盤は盤石なものとなる。そして清盛は宋銭の普及に努め、宋銭による取引は社会に定着していく。しかしこれは米や絹の価値の低下をもたらし、これらを経済基盤にしていた貴族や寺社から反発が出ることとなった。なお貴族達が反対したのには、日本の銭でなくて外国の銭を使うということへの抵抗もあったという。つまりは日本の通貨を国際通貨であるドルに切り替えたようなものである。そんな時に高倉天皇が沽価法という米や絹などと主要な商品との交換レートを定める法律を制定することとなった。高倉天皇は新たにそこに宋銭を加えようとしたのである。しかしこれは貴族達の猛反発を受ける。

 

平氏は滅んでも宋銭は残った

 ここで清盛の選択である。1.宋銭を公認させる。2.貴族達の反発をかわすためにあえてここは見送る。この2つの選択なのだが、清盛は既に宋銭は市中に出回っており、実態として使われ始めているのだから、あえて波風を立ててまで公認させる必要はないと判断したという。また朝廷と清盛の間をつないでいた長男の重盛が亡くなった影響もあるという。

 重盛の死後、これに乗じて平氏を排除しようという動きが後白河法皇の周辺で起こり、結局は清盛は後白河法皇を幽閉する事態に及んでいる。そして清盛は安徳天皇を連れて福原に移り、遷都を目指していたがここで清盛が病に倒れて、この後平家は滅ぶ。

 しかしその後も宋銭の取引は増加していき、朝廷は後に宋銭を禁止しようとしたが上手くいかなかったという。

 

 と言うわけで清盛を貨幣政策という観点から見たのが今回。清盛はこの時代に商業を重視して経済の面での立国を考えていたという点で、明らかに後の源氏による鎌倉幕府なんかよりも先進的な政策を目指していたと言える。ただ惜しむらくは清盛の路線を忠実に引き継いでくれると期待されていた長男を失ってしまったこと。残念ながら残った息子達はボンクラ揃いで、源氏の侵攻の前になすすべもなく滅んでしまっている。このことだけは清盛も全く想定外だったろう(長男が健在でいたなら、むしろ他の息子達は変に才覚がある者がいると後継争いになりかねないから、むしろボンクラ揃いぐらいの方が安泰だったのだが・・・)。

 組織や権力を維持していく上でいかに後継者の選択が大事かという話はつきまといます。織田信長にしても長男が自分と運命を共にしてしまったのは想定外でしょう。結局は最後まで残ったのがボンクラ信雄だったために織田氏は見事に没落してしまいます。上杉も後継争いでの内乱が没落につながったし、武田なんかは重臣の離反につながって滅亡に結びついてしまった。

 この時代の人物の中ではやはり平清盛というのは群を抜いた傑物だったと私は考えてます。彼と比べると源頼朝なんて小さい小さい(笑)。清盛が後10年健在だったら、頼朝の出番なんてなかったでしょうね。

 

忙しい方のための今回の要点

・平氏は清盛の父の忠盛の時代から宋と交易を行い、それによって得た貴重な品々を上級貴族に献上することなどによって地位を高めてきた。
・清盛もその路線を引き継ぎ、福原京を建設して大輪田泊を整備するなどして宋との交易をさらに盛んにする。
・清盛は宋から宋銭を輸入し、これを国内に流通させることを目論んでいた。それ以前は宋銭は銅素材として使用されることが多かったが、本来の貨幣として流通させることで、経済を発達させ、ひいては平氏の経済力を高めることを目論んでいた。
・清盛と姻戚関係のある高倉天皇が沽価法を制定する際、正式に宋銭を公認させようと考えていたが、これは貴族の反発が強かったことから、清盛は宋銭の公認は見送る。
・その後、清盛が病死して平氏は滅亡するが、流通を始めた宋銭は結局は滅びることなくその後も使われることになる。


忙しくない方のためのどうでもよい点

・日本はどうも昔から商業を軽蔑する土壌があるのか、商業を基本にして国を立てていくことを考えた政治家は少ないんですよね。平清盛はその数少ない一人。後はすぐに思いつくのは田沼意次ぐらい。まあ織田信長もどちらか言えばこちら側でしょうけど。

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