教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

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番組リスト

2/17 NHK 歴史秘話ヒストリア「やっぱり尾張名古屋は"城"でもつ」

名古屋城に纏わる物語

 名古屋と言えば名古屋城。昔より「尾張名古屋は城でもつ」と言われた名古屋城が今回のテーマ。

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名古屋城

 

家康が築いた要塞・名古屋城

 まず名古屋城を作った人物であるが、これは徳川家康で天下普請によって建設された。この頃はまだ豊臣家が健在であり、家康としてはもし豊臣方が江戸に攻め寄せようとした時、名古屋でそれを防御するという考えで攻防一体の鉄壁の要塞として名古屋城を建造している。

 名古屋城の攻撃重視の思想は内堀に現れているという。内堀の幅は20メートルと外堀に比べるとかなり狭いが、実はこの距離は弓矢の必殺の距離だという。鉄砲が登場したと言っても、連射の効かない鉄砲よりは連射の効く弓の方がこの距離では攻撃力が高くなる。つまりは本丸の回りに押し寄せた敵を弓矢で撃退するという思想になっているのだとか。

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この堀の向こうから弓を打たれたら助からない

 また最近見つかった江戸時代の名古屋城本丸の図からは、いざという時には100挺もの大砲を配備することになっていたことが分かったという。これらの大砲は射程距離が2キロ以上のものもあるという。櫓は大砲を放つために窓を外せるようになっており、実は天守にも大砲を据えられるようになっていたという。これで名古屋城の外の敵まで攻撃しようという考えだという。

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櫓最上階の窓は砲撃のために外せる構造

 なお名古屋城の弱点は実は「重すぎる」ということだったらしく、100年後の地震で石垣が崩れてしまって天守が傾くという事態が発生しているという(紐で強引に引っ張って直したらしいが)。そこで瓦を重たい土瓦から銅瓦に変更して軽量化を図ったとのこと。

 

争いを避けた初代藩主・義直

 この名古屋城の城主となったのは家康の息子である徳川義直。義直は本丸御殿を建造した人物だが、実はそこにある考えがあったとか。

 義直は城内に孔子廟と書庫を建て儒学を重視したという。江戸時代には学問こそ必要と考え、知識や教養こそが平和な世を築くと考え、争いごとを諫めていたという。しかし当時の幕府は将軍家光を中心に未だに武断的な政治を行っており、多くの大名を強引に取りつぶしていた。そしてその家光は尾張を非常に警戒していたという。

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再建された名古屋城本丸御殿

 このままでは尾張と幕府の対立が深まってしまうと懸念した義直は、本丸御殿を豪華絢爛に改築し、ここに家光を招いてもてなしたという。このことによって家光の警戒は解かれ、以降は関係が良好となったという。幕府は綱吉の時代に学問重視の方向に向かうようになるが、尾張は先を越していたのだという。番組は、吉宗の質素倹約の時代に積極財政をとった宗春なども、後の田沼の先を越していたとする。

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奥のこの絢爛豪華な間に家光を招いた

 

新時代への扉を開いた尾張藩

 尾張は幕末にも大きな影響を与える。幕末に尾張には幕府から次々と藩主が送り込まれ、4代もその状態が続いた。しかも送られた藩主はことごとく政治よりも道楽を重視して尾張藩の財政を悪化させたという。そこで身内から藩主を出すべきだとの声が高まり、分家の高須藩から慶勝が藩主に選ばれる。藩の財政改革に取り組んだ慶勝は、まず藩主の小遣いから大幅にリストラ、そして身分に囚われない人事改革を行い、尾張藩は力を取り戻していく。

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尾張藩最後の藩主・慶勝

 そして黒船襲来。慶勝は砲台を設置するなど毅然とした態度を取り、これが他の大名に影響を与える。そして薩長が蜂起した時、慶勝は新政府軍に対して抵抗しないように徳川方の大名に呼びかけ、そのことによって新政府軍は江戸にスムーズに進行して無血開城がなされたのだという。慶勝は新しい世を選んだのだという。

 名古屋城を明け渡すことにした慶勝は、名古屋城の写真を多く撮影して残したという(慶喜と同じことをしている)。

 

 なおその後の名古屋城は1930年に城郭として初めて国宝に指定されるが、第二次大戦の空襲で本丸御殿共々焼失した。その後、鉄筋コンクリートで再建され今日に至るが、老朽化による耐震性の問題から木造で建て直す構想が持ち上がっている。

 ・・・ということなのだが、その木造再建構想は旗振り役の河村市長が知事に対するインチキリコールに奔走というわけの分からんことになってやや迷走気味。挙げ句が、怪しげな自称障害者団体とやらが、何の利権目的かエレベータを設置しろなどと馬鹿げたことまで言い始めて雲行きがおかしくなっている

 なお再建された本丸御殿の方は一年ほど前に見学しました。かなり絢爛豪華な作りで感心しましたが、これを見てしまうと鉄筋コンクリート造りでしかも後付けのエレベータなんて言うマヌケなものまである今の天守の安っぽさが半端なく、木造で天守閣を再建したいという考えにはお城マニアとしては頷けました。

 もっとも本当に財政的に可能なのかという疑問はあり、名古屋で反対運動も存在するのは理解できるところです。もし木造復元が実現したら間違いなく私は訪問しますが、さすがに建築費を賄うために入場料数千円とか言われると外から眺めるだけにするでしょう。とりあえず河村たかしはアホなリコールに精出している暇があれば、こっちの問題を何とかしろ(しかもコロナ対策まで放り出してリコールに精出していた)。

 

忙しい方のための今回の要点

・名古屋城は家康が豊臣方から江戸を守るための要塞として建造した。そのために多くの大砲を設置した攻撃の城であったという。
・初代藩主の義直は学問を重視して、無駄な諍いを避けるようにと指導した。幕府では家光が武断的な政治を行って尾張藩を警戒したが、義直は本丸御殿を豪華に改装して、そこに家光を呼んでもてなすことで家光の警戒心を解いた。
・幕末、尾張藩の分家筋から藩主に選ばれた慶勝は財政危機に瀕していた尾張藩を立て直す。新政府軍と幕府の対立では、沿道の諸大名に新政府軍に抵抗しないように呼びかけ、そのおかげで新政府軍はスムーズに江戸城無血開城を実現する。
・明治になって名古屋城を新政府に明け渡すことを決めた慶勝は、みずから名古屋城の写真を多く撮影して残している。

 

忙しくない方のためのどうでもよい点

・名古屋城ってとにかくバカみたいにデカイ城です。家康の気合いの入りようが分かるってものです。ちなみにこの城を天下普請で建てたのも、豊臣恩顧の大名の経済力を弱めるって意図もあったのですが。
・それにしても御三家筆頭が新政府側についたんですから、完全に徳川幕府もオワコンです。ちなみに慶勝は新政府の役人になったとか。頭のよい人だったみたいだから、幕府はもうダメだと見切ったんでしょうね。

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