教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

このブログでの取り扱い番組のリストは以下です。

番組リスト

3/24 BSプレミアム 英雄たちの選択 「江戸を手に入れろ!上野戦争 西郷どんの選択」

彰義隊に手を焼いていた新政府軍

 幕末、西郷隆盛と勝海舟との談判で江戸城無血開城をした新政府軍だが、実はその頭を悩ませる存在があった。それが上野の寛永寺に立て籠もる彰義隊であった。

 新政府軍の江戸城総攻撃は西郷隆盛と勝海舟の直接交渉で回避されていた。新政府軍の条件は慶喜の水戸謹慎と城明け渡し、さらに軍艦や武器の引き渡しだった。しかし開城直前に歩兵部隊の大鳥圭介らが武器を携えて脱走、さらに軍艦引き渡しを拒んだ榎本武揚らは軍艦で脱走、江戸周辺で新政府軍を威嚇していた。既に交渉時の条件は破られていたのだという。

 新政府軍は江戸城を手に入れたと言ってもそれはあくまで点であり、関東一円では旧幕府勢力による抵抗が相次いでいたし、東北では奥羽越列藩同盟が形成されて新政府軍に対抗する意志が示されていた。結果として江戸は手薄となって治安の維持さえ困難な状態であった。その上に江戸近海では榎本武揚率いる幕府海軍が遊弋している状態で、江戸城の新政府軍は敵中に孤立していると言っても良い状態であった。

 

旧幕臣達が結成した彰義隊

 彰義隊はそもそも江戸城引き渡しから遡ること2ヶ月前、浅草の本願寺での旧幕臣達100名ほどが結成した組織であった。慶喜は早くから新政府に対して恭順の意を示して水戸で謹慎していたが、朝敵の汚名を着たままであった。その状況を打破するために結成されたのが彰義隊であった。リーダーである頭取に慶喜の側近の渋沢成一郞(渋沢栄一の従兄弟の喜作である)が、副頭取には幕臣の天野八郎が就任、新たな拠点を上野の寛永寺に定めた。

 磯田氏が、鳥羽伏見の敗戦を目の当たりにした慶喜は戦意喪失しているが、それを見ていない江戸の連中は新政府軍に負けた気がなく、一戦もせずに城を明け渡したことに対する不満が大きかったと言っていたが、確かにそういう感覚だろう。また慶喜に対しての幕臣達の忠誠度は必ずしも高くなく、慶喜の意向とは無関係に幕臣が動く余地はあったのだという。敵中孤立でいつ補給線が断たれるかも分からない新政府軍は「恐怖心の塊」だったのではとの指摘もあったが、確かにそうであろう。

 上野の寛永寺は大伽藍であり、さらには徳川家を守護する寺院でもあった。ここに立て籠もった彰義隊は新政府にとっては無視できない勢力であった。

 

勝の揺さぶりによって板挟みになる西郷

 一方で勝は彰義隊の存在をしたたかに交渉に利用していたという。新政府軍が江戸の治安を維持できない状態に目をつけ、江戸城下の治安維持を彰義隊に担当させるように交渉したという。さらには状況を見ながら、慶喜を江戸に戻すことや江戸城の返還をも求める姿勢を示していたという。

 勝に譲歩する西郷に対して、新政府の中からは弱腰だという突き上げが始まっていた。西郷は板挟みの窮地に陥っていたという。西郷としては江戸でいつまでも時間を取られるわけにも行かず、直ちに東北の平定に向かう必要があった。

 そんな西郷の元に新政府は兵学者である大村益次郎を送り込んでくる。彰義隊への武力鎮圧を睨んでの派遣である。一方の西郷は徳川家の処分を巡って京と何度も行き来をしていた。その結果、徳川家への処分は所領を現在の800万石から駿府の70万石のみに減らすという、旧幕臣達が聞けば反発必至な厳しい処分が決定される。一方で大村は江戸の治安維持の権限を彰義隊から奪う。それ以降は、江戸で彰義隊士による新政府軍兵士の殺傷事件が相次ぐことになる。

 

西郷の決断と上野戦争

 彰義隊の扱いについての軍議では、大村は早期鎮圧を主張。これに対して西郷と共に幕府との折衝に当たってきた者達は兵力の不足を理由に反対した。ここで西郷の選択である。軍事攻撃をするかしないかである。彰義隊を鎮圧しないと江戸を治めることは難しい。しかし上野での戦闘となると江戸の城下が戦渦に巻き込まれて丸焼けになる危険があり、そうなると江戸城を無血開城した意味がなくなることになるばかりか、新政府は焼け野原となった江戸の再建から行う必要があり、それは甚大なる負担であった。

 番組ゲスト陣は「軍事攻略するしかなかろう」が多数意見であったが、実際に西郷が選んだのも軍事攻撃であった。

 5月14日、指揮権を持つ大村は彰義隊へ宣戦布告し、彰義隊を国家の乱賊であると決めつける。翌日攻撃が始まるが、寛永寺に立て籠もる彰義隊人員は1000人程度。大村の明確な宣戦布告で戦闘の意志のない者は退去していたのだという。彰義隊士は8つの門に分かれて新政府軍の侵入を防ぐ構えを取り、正面には大砲を据えていた。

 これに対して新政府軍は1万以上だが、実際に戦闘に当たったのはその一部だという。谷中方面に長州兵を中心とする部隊、激戦が予想される正面の黒門の攻略には薩摩兵を中心とする部隊が当たった。そして不忍池越しの本郷台に佐賀藩を中心とする大砲の陣地が置かれた。

 

戦闘は結局半日で決着する

 黒門付近では激しい戦闘が行われ、午前中には高台に陣取る彰義隊が優勢に戦いを進める。しかし正午に本郷から佐賀藩の最新鋭のアームストロング砲の砲撃が始まり、彰義隊は乱れ始める。この時に西郷は突撃を命じる。結果として上野の戦いはわずか半日で終了する。

 なお勝因としては最新鋭のアームストロング砲の効果が言われることが多いが、実際にはこの時のアームストロング砲は口径が小さいので高性能ではあるが破壊力はそれほど大きくなく、実際には旧式の砲も含めて砲列を組んで集中的に運用した大村の戦術の的確さだとしている。

 この戦いによって幕府の失墜は人々の意識にも刻まれることになったという。実際にこの戦いの前後で、周辺の地域で幕府軍に対する表現が味方から賊に変わっている文書なども見つかっているという。

 

 江戸の町を焼かずに済んだのは西郷としては大成功だったろう。また幕府の中心地であった江戸で、新政府軍が旧幕府軍を完膚なきまでに打ち破った様を江戸の民衆に見せるという効果は大きかったと思われる。

 幕府軍の呆気ない敗北は、装備面などで新政府軍が優っていたということもあるだろうが、やはり幕府軍の中心のなさだろう。この時点では既に慶喜が新政府に対して恭順の意を表しているわけであり、幕府側としては戦いのための核がないという状況なので、新政府に対しての条件闘争というレベルでは争っても、自らの命を懸けてまで戦いに殉じるという心境は弱かったろうと思われる。もしここで慶喜が新政府に対して徹底抗戦の意志でも唱えていれば、戊辰戦争の帰趨はまた変わっており、その後の日本史は大きく違ったものになっていたのは間違いない。そう言う意味でやはり慶喜は良くも悪くもこの時代のキーマンであったわけである。

 ところで慶喜と言えば今年の大河ドラマの草薙慶喜であるが、目下のところ何を考えているのやら全く考えていないのやらつかみ所のないキャラクターである。正直なところ実際の慶喜があんな感じだったとしたら、幕臣連中も「慶喜様を盛り立てて」とはなりにくいことも納得がいったりするが(笑)、実際に慶喜という人物は歴史的に見ても何を考えていたのか今ひとつ掴みにくいところがある。単なるヘタレなボンボンという酷評から、実は日本のこれからのことを冷徹に見通した上であえて幕府を終わりにしたという賢人評まで幅広い。彼は将軍になった時点で「こんなズタボロの状態から立て直せって言っても完全無理ゲー」と諦めてしまって、「それならあんなにやりたがっている薩長にやらせた方が日本全体のダメージは少ない」とそこは賢明に考えたのではないかと私は推測しているのだが。ただあの大河ドラマは、主人公の栄一を初め、徳川斉昭までも含めて、なぜか登場人物が総じて「バカ」である表現をとっているので、どんな慶喜像が登場するかは怪しいが。

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忙しい方のための今回の要点

・江戸城無血開城に成功した新政府軍だが、上野の寛永寺に立て籠もる彰義隊には苦慮していた。
・彰義隊は幕府が朝敵との汚名を着たことに対する不満を持つ旧幕臣達によって結成された組織で、上野の寛永寺に武装して立て籠もっていた。
・さらに当時の関東周辺では幕府側勢力による武装抵抗が相次いでおり、江戸沖では榎本艦隊が遊弋しており、実は新政府軍は敵中孤立の状態であった。
・さらに新政府軍が彰義隊に手を焼いているのを見て、勝は慶喜の江戸への帰還や江戸城の返還を求めるなどの揺さぶりをかけ始める。
・戦火による江戸の焼失を懸念する西郷の態度は、新政府の強行派からは弱腰とされて、西郷は板挟みの状態になる。
・結局は大村益次郎が江戸に派遣され、新政府の態度は彰義隊武力制圧へと傾く。
・上野での戦いは新政府軍が投入した大砲の効果などもあり、半日で決着が付き、懸念されていた江戸市街の被害も発生しなかった。


忙しくない方のためのどうでもよい点

・どうもこの辺りから西郷が精彩を欠いたという話がゲストなどからも出てましたが、実際に西郷はこの後はこれという活躍をしたという印象がないまま、西南戦争に突入してしまった感があるんですよね。やっぱり西郷は前線の指揮を取ってこその武人って要素が強くて、政治的決断を迫られると情などに縛られて身動きが取れなくなるところがあったような気がします。

 

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