教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

このブログでの取り扱い番組のリストは以下です。

番組リスト

8/12 BSプレミアム ダークサイドミステリー「本当にあった!?日本史怪事件ファイル」

実体験として語られた「稲生物怪録」

 今回のテーマは歴史上での怪奇物語について。最初に登場するのはこの世界では今でも根強い人気があるという「稲生物怪録」

 これは広島の三次の稲生平太郎なる人物が16歳の時に体験したという、一ヶ月に渡って彼の元に現れたという物怪について記録したもの。その内容はかなり独創的でバリエーションに富んでいるので人の興味を誘うのだとか。なお稲生平太郎はこれらを「実際に体験した」と語っており、彼の口述記録を取った人物も「記憶がかなり正確であって、真実と感じた」とのことである。またその話は多くの実在の人物や場所も含んでいることから、さらに話にリアリティが加えられているらしい。

 稲生平太郎は成人後、武大夫と改名して50年以上広島藩に仕えたという。そしてその間ずっと妖怪体験を話し続けていたという。1783年に48才の武大夫が藩の命で江戸に行った時、武大夫は体験記に自ら絵をつけたところ、これが妖怪ファンの間に密かに広がって大評判になったのだという。しかしそれが広島藩主の耳に入り、藩主から「人心を惑わす」として禁止してしまったのだという。そして武大夫は1803年に68才でこの世を去る。

 

国学者とその弟子によって発掘される

 しかしご禁制になったものがなぜ現代に伝わっているかだが、武大夫が死んでから3年後、オカルト世界の研究を行っていた国学者・平田篤胤が武大夫の物語に興味を示したのだという。当時は合理主義が広がっていた時代だが、篤胤は異界が存在すると考えてその証明をしようと研究していたのだという。篤胤にすれば「実話」である武大夫の体験談はまさに異界の存在を証明する格好の資料だったという。篤胤は写本の写本などを入手して研究したらしい。しかし篤胤が1843年に志半ばで死去してしまう。

 だがここで彼の弟子達が師匠の研究を完成させるべく動いたのだという。篤胤の死の10年後に彼の弟子が三次に行き、そこで物語が実話であるという証拠を探した結果、武大夫が魔王から送られたという槌を國前寺で見つけたのだという。ちなみにこの槌は後に明治天皇もこれを見たいと言って見たことがあるらしい(現在も寺の宝物だとか)。そして弟子達は多くのエピソードのバリエーションを集めて集大成平田本を世に残したのだとか。そして明治になって読み物や講談で人気を博し、泉鏡花や稲垣足穂、さらに最近の京極夏彦や水木しげるなどに影響を与えているとか。

 

アマビエの元ネタはアマビコ

 次に登場するのがコロナで突然に脚光を浴びたアマビエ。自分の姿を描いて飾っておけば病を防ぐと言った妖怪である。しかしこれを伝える資料は瓦版が一枚だけらしい。そこで原点を辿っていくと、良く似た「予言をする」「自分の姿を描いて飾らせる」という妖怪は様々いるという。その中でアマビコという三本足の化物が存在し、それの特徴が完全にアマビエと一致することからこれがアマビエの元ネタと考えられるという。さらに姿は異なるが、同じ特徴を持つ予言獣は多数存在し、誰かが考えて話題になったネタを瓦版屋が次々と書き写していったのではという。つまりは江戸時代の都市伝説ということである。

 しかし明治になるとこれらの伝説は世を惑わして近代的な感染症対策を邪魔するとして禁止されていったという。しかしその中で件という人面牛が話題になったという。最大のポイントは件は実在したことだという。実際に件の剥製が発見されたらしいが、確かに人の顔に似た子牛である。こういうのがたまに登場することから信憑性が高まったらしい。ちなみに件は日露戦争の勝利を予言したと言うが、太平洋戦争に関しては戦争に負けるとか空襲から逃れる法を予言しており、要は言論が抑えられていた時代に民衆の空気を反映していたのだろうという。

 

各地に残る光物伝説

 最後は各地に残る光物伝説。これは様々なバリエーションがあるが、源実朝が見たという光物の記録が吾妻鏡に残っており、同書には全部で11カ所も記録が残っているとか。他にも無数の記録があるという。室町時代の高僧である満済は空を飛ぶ光物の記録を日記に多数残しているという。それらの光物は隕石や火球だと考えられるという。当時はこれらの光物は凶事の予兆と考えられていた。当時の権力者にとってはこのような天からのメッセージを読み解けるというのが重要であったという。これら以外にも人魂とされる光物の目撃証言も多々ある。

 江戸時代になるとさらに変わった光物が登場している。洪水の時に山が光ったと思えば濁流がせき止められて洪水が止まったとか、大津波の時に波の中に光が出て津波が割れて多くの人が助かったというような事例があるという。最初の例は山崩れで岩同士の衝突で発光し、それがそのまま川をせき止めたのだろうという。津波については海底から巻き上げられたメタンガスなどが引火したと推測されるという。元々自分達が助かったということと発光は無関係なのだが、いつの時代でも人間は納得のいく説明を求めるという習性があることから、これらの光が助かった原因と結びつけられたのだろうという。

 

 以上、昔の怪奇現象についてだが、「稲生物怪録」はオカルトに興味が皆無の私は全く知らなかったな。私は合理主義者なので「幽霊が現れるというなら、物理方程式と化学反応式を掲げて現れろ」とずっと言っているので(笑)。その一方でオカルトには興味は無いが、古代よりあの世や地獄がどのように考えられてきたかというようなことには歴史的や心理的側面から興味があったりする(笑)。

 アマビエはここ最近になって急激に浮上したニュースターですが、あの何とも奇妙な姿を描いた絵だけが印象に残ってます。まああまりに絵が奇妙すぎるインパクトで流行したというところはあるでしょうが。

 最後の光物は既に様々な科学的な説明がつけられているので、原因を断定できないというものはあっても、原因が霊的なものであったと証明されたものは一つもありません(笑)。まあ物理的にも科学的も発光現象というのは意外とありふれた現象なので、何らかの要因で起こることはあるでしょう。要は何らかのエネルギーの放出があり、その放出が可視光域の波長を取れば発光というだけですから。

 

忙しい方のための今回の要点

・オカルト界でロングセラーの「稲生物怪録」は稲生武大夫という男が、16歳の時に体験した実話だとされている。
・武大夫の証言は評判になったが、後に藩主によって「人心を惑わせる」として禁書になった。だがその後、異世界に興味を持つ国学者・平田篤胤が異世界存在の証拠として調査を開始し、彼の死後に引き継いだ弟子達によって武大夫の物語は後世に残された。
・最近話題となったアマビエだが、そもそもはアマビコが転じたものと考えられる。同様の共通点の多い予言獣は各地に多く残っており、瓦版などで次々と話が伝えられていったのだと推測されている。
・光物の目撃談は吾妻鏡など多くの歴史書に残っている。それらには隕石と考えられるものが多いが、中には土砂崩れの際の岩の衝突による発光や、海底の可燃性ガスの引火と考えられる例もある。


忙しくない方のためのどうでもよい点

・何か一時期、何でもかんでも幽霊や宇宙人に結びつける輩が多くいて、挙げ句はピラミッドやナスカの地上絵もすべて宇宙人によって作られたと主張するようなトンデモがテレビに出たりしてましたね。だけど現在はこれらも古代人が難なく作ることが出来たのが証明されてますからね。

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