教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

このブログでの取り扱い番組のリストは以下です。

番組リスト

9/30 BSプレミアム ヒューマニエンス「"怒り"ヒトを突き動かす炎」

人間の怒りは複雑

 今回のテーマは怒り。怒りという感情は野生の動物にも存在するが、とにかく人間の怒りというのは内容が複雑なのが特徴だという。なお感情について見た場合、怒り以外にも悲しみや恐怖でも心拍は上がるが、指先の温度が上がるのは怒りの時だけだという。怒りのエネルギーが必殺シャイニングフィンガーにつながるということらしい。

 怒りを司っているのは扁桃体であるが、ここで人間は発達した前頭前野も関与することが怒りを複雑にするのだという。通常は扁桃体が怒りを感じた時に、前頭前野はブレーキをかける役をなすのだが、前頭前野が未来を予測する機能があるので、そのことによって未来が上手く行かないということが予測されると、怒りに対するアクセル役になるという。だから急いでいる時に渋滞などにひっかかると、このままでは遅刻するかもという未来が予測され、イライラして怒りに火がつくのだという。また前頭前野に怒りの記憶が残ることで扁桃体に火を付けるので、これが積もり積もると怒りではなく憎しみの感情になってしまうという。

 

 

第三者視点の怒りを持つ人間

 野生の動物では怒りはそもそも縄張りを侵害された時に現すのだが、人間はその範囲が広いのが特徴だという。特に人間らしいのが「社会秩序を守る時に怒る」というのがあるという。これは第三者視点の怒りである。実験で被験者にガラス越しにAとBを見てもらうが、この時にAが1万円を受け取ってBと分配するのを見てもらう。この時にAが5千円ずつ分配したら怒りを感じないが、Aが自分が9千円で相手に1千円という分配をした時には怒りを感じるようになったという。この時、直接に自分には関係ないはずのことなのになぜ怒りを感じるか。これが第三者視点の怒りである。これは狩りなどの成果の分配でズルをする者がいれば共同体が破綻するので、それを守るためにこのような時に怒りを感じるようになったのだという。この第三者の怒りというのは人間に特有だという。

 確かに私も自分達だけが税金を懐に入れて、庶民はひたすら貧困化させることで社会を破綻させようとしている与党の議員などを見ていると激しい憤りを感じるが、確かにこれは「こんなことを許していたら日本がおかしくなる」と考えるからではある。

 

 

本来は怒りには和解がセット

 怒りが溢れていると言えばネット界が一番に思いつくが、元々怒りには本来は和解がセットなのだという。猿などでは喧嘩をした後には和解が必ずあり、こうして群れで共存しているのだという。ここでは怒りは自己主張であり、怒りが仲間内の結束を強めるのに使用されているのだという。しかし人は農耕牧畜社会になってから、集団が大きくなり社会性が高まったことで、集団内による共感力で怒りが強められることなったという。その結果としては他集団からの攻撃などに怒りが強くなり、集団同士の争いが激化することになったという。怒りは元々はネガティブなものではなかったが、人間はそれをネガティブなものにしてしまったのだという。ネットの世界などは和解はまずないので、その結果として怒りが激化するんだという。

 これに対して、番組ゲストからは「元々いろいろな不満が高い者が、ネットを負の感情の掃きだめにしているのでは」という指摘があったが、これは私は全く同感。確かに無意味に攻撃的で、しかも攻撃対象が一貫していない者とか、意味もなくマウントしたがる者などもいて、そういう連中は明らかに負の感情を吐き出すのが目的と感じることが多い。

 

 

怒りを鎮めるには

 では怒りを鎮めるにはどうするか。被験者をわざと侮辱して怒らせる実験をしたところ、左前頭前野が活性化するということが分かったという。これがイラッとした状態だという。この時に右手を握ってはいけないという。実験によると右手を握ると攻撃性が高まるのだという。これは右手を握るとその信号が左脳に伝わるので、左脳の働きが活性化して攻撃衝動につながるのだという。これに対して右脳は回避行動を促すので、怒りを押さえるには左手を動かすのが良いと言う。さらに寝そべるなどをすると、そこから攻撃に向かうに起き上がる必要があるので、怒りを鎮めるという。さらには怒りを自分から切り離すのが有効だという。その方法は怒りの内容を具体的に文章として書き、それを見てからその紙をゴミ箱に捨てるのだという。文章化することで前頭前野が働き、それが扁桃体を抑え、さらに紙を捨てることで怒りを切り離した気になるのだという。

 要するに「俯瞰で見る」ということである。私の場合は、怒り狂っている自分を幽体離脱して上から眺めるということをする(笑)。「おーおー、かなり怒り狂ってるな。なんでそんなに怒ってるんだ? ああ、プライドを傷付けられたからだな。確かに私は結構プライドが高いからな・・・」ってな調子で。

 

 

 以上、怒りについて。ちなみに怒りはかなりのパワーを生み出すので、私の経験から言えばかなり極限状態に近づいた時に最後に身体を動かすのは怒りのパワーである。私がどうしようもない上司のせいでかなりブラックな状況下で仕事をさせられていた時、仕事をこなす最後の原動力は怒りだった。しかしこれも限界を超えれば最後は怒りさえも感じない状態になってしまい、感情そのものが死んでしまう。これがほとんど壊れかけという状態で、これがさらに続けばついには壊れてしまう。ちなみに私はこの時にこの壊れる寸前まで行った。怒りというのは生存本能に直結しているように思う。

 最近は生体エネルギー自体が低下してしまったのか、イラッとすることはあっても激怒するというパワーがなくなってきた。激しく怒れるというのもある意味では若さであるような気がする。番組に出ていた先生は「前頭前野が発達することで怒りを抑制できるようになる」という類いの事を言っていたが、それはいわゆる「分別が付く」ということであるが、むしろ老化することで怒れるだけのパワーが無くなってきたのではと感じる今日この頃だったりする。もっともそうだとしたら、やたらに癇癪を爆発させる年寄りのパワーはどこから出ているのかという疑問はあるが。

 

 

忙しい方のための今回の要点

・怒りは動物も持つ感情だが、人間の場合は発達した前頭前野が関与することで複雑になっているという。
・前頭前野は扁桃体が感じた怒りの感情にブレーキをかけるが、未来が上手く行かなくなると予測された時は、怒りにアクセルの踏むこともあるという。
・人間の怒りに特徴的なものは第三者視点の怒りがあることで、これは社会生活を営む上での共同体を守るためだと考えられるという。
・野生の動物では喧嘩の後に必ず和解があって群れを保つが、人間は集団が大きくなることで集団間での怒りが高まり、これが集団同士の争いの激化につながってしまったという。
・人が怒りを感じた時は、左脳が活性化しているので、この時に右手を握るとその信号が左脳に行くので、攻撃性を高めてしまうと言う。だから左手を動かす方が良いという。
・そして一番の抑制法は、自己を客観視して怒りを切り離す方法。怒りの内容について紙に書いて、まるめてゴミ箱に捨てるのだとか。文章化することで客観視できるという。

 

忙しくない方のためのどうでもよい点

・怒りの沸点がやたら低い人とかいますが、確かにそういう人はいかにも頭の働きが悪そうなタイプです。やっぱり前頭前野が発達しているかどうかってのが決定的に効いてるんでしょうね。あまりにも極端に怒りを抑えられない場合には、脳に外科的損傷がある場合もあると聞いたことがあります。

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