戦後最大のミステリー、下山事件
戦後の迷宮入り(に無理矢理させられた)事件である下山事件。国鉄総裁が突然に謎の死を遂げたがついには真相が明かされることがなかったというまさに戦後の闇を象徴する事件である。
日本がまだGHQ支配下にあった1949年、社会が混乱する中でGHQから国鉄職員の大規模なリストラを命じられていた初代国鉄総裁の下山定則氏が行方不明となり、轢死体として発見されたのである。
公用車で自宅を出た後に消息が不明となり、轢死体で発見される
下山氏の運転手によると、1949年7月5日の午前8時20分、公用車に乗って下山総裁は大田区の自宅を出発する。しかしに国鉄本庁に直行せずに時間をつぶすかのように三越などをグルグルと走り回ったという。そして千代田銀行に立ち寄って金を下ろしてから、「5分ぐらいで戻るから」と9時半過ぎの開店直後の三越に入っていったという。
この日は実は9時から局長会議が開かれる予定になっていたのだが、下山総裁は何かそれよりも優先する用事があったと考えられるという。しかしさらに11時にGHQの交通管理部門のシャグノン中佐に会う予定になっていたという。しかし11時が近づいても下山氏が登庁してこないことから、秘書が警察に連絡して密かに捜査が始まる。午後3時30分についにNHKラジオで国鉄総裁が失踪したというニュースが流れたという。運転手はその間、三越の駐車場で待機し続けており、5時半になってからニュースを聞いて慌てて連絡をしたという。警察は三越に急行して捜査を開始する。そしてその夜に下山総裁の轢死体が北千住駅の北で見つかる。
捜査一課は自殺と結論するが、捜査二課は疑問を感じる
警視庁は特別捜査本部を設置し、強盗殺人などを扱う捜査第一課と知能犯などを扱う捜査第二課が合同捜査を開始する。とは言うものの、両課は手を組んで捜査をするのではなく、各々がバラバラに競い合う形で捜査になったという。
そして捜査一課が下山総裁は自殺であるという判断を下す。下山総裁の足取りを示す目撃者が数人出て、線路脇で思い詰めたような表情で立っている下山総裁の姿を見たという目撃証言もあった。当時の下山総裁は、人員削減を要求するGHQと、それに猛反対する労働組合から突き上げの板挟みに遭ってかなりのプレッシャーを受けていたという。そして思い詰めた結果の自殺だという結論であった。
しかしこれに対して捜査二課は大きな疑問を感じる。そもそも遺体の状況などがあまりに不自然で自殺はあり得ないというのが彼らの結論だった。まず検死の結果、下山総裁の遺体は既に死亡してから列車に轢かれてバラバラになったと考えられたという。さらにバラバラになった遺体の周辺には血液反応はほとんどなく、血液反応はもっと手前のところにあったという。つまりは現場に到着した時には下山総裁は既にほとんど血液を失っていたと考えられるという。自殺だとしたら、自ら傷をつけて流血をしながら線路上を歩き、ほとんど血をなくしてから現場に倒れて列車に轢かれたという極めて不自然な状況になってしまう。それよりはどこかで血を抜かれて殺され、遺体を線路に放り出されたと考えるのが自然であった。実際に現場から200メートル離れたロープ小屋で血液反応が見つかったという。捜査二課は他殺の線で捜査を進める。
何らかの圧力がかかり真相は有耶無耶に
しかしここで何らかの力が働く。事件が解決しないまま突如として捜査本部が解散させられるのである。さらに二課の関係者は次々と異動をさせられて捜査の続行が不可能となってしまう。そして一課の捜査資料がリークの形で表に出て、下山総裁は自殺だったということで幕引きがされてしまうのである。
と言うわけで極めて胡散臭い話なんだが、ではなぜ下山総裁が殺されたかだが、どうも彼が様々な情報を集めていたという話があるらしい。確かにそれであれば情報提供者に会って謝礼を渡すために金を下ろしてから三越に行ったと考えると辻褄が合う。また拉致されたらしい下山総裁を目撃したという政府関係者もいたという。実際に下山総裁の遺留品の衣服には大量のぬか油と染料が付着しており、それらを扱う場所で監禁されていた可能性が高いという。しかも捜査第一課が上げた目撃証言は実はでっち上げだったことまで後で分かったらしい。なお下山総裁の殺害は脇から血を抜かれたのではと考えられるというが、これは旧陸軍の特務機関のやり方であると言う。ではこの実行犯の背後は誰か?
これについては、1.人員整理に反対していた共産党員や労働組合員、2.下山総裁が言うことを聞かなくなったためにGHQのシャグノン中佐が殺害を指示、3.国鉄内の利権に絡む人物とのことで、この頃は国鉄は電化を計画しており、大きな金が動く巨大な利権が存在していたという。下山総裁がそのことを調べていた可能性があるという。
とのことで真相は不明としているのであるが、実際はどう考えても最後の3の一択しかないように思うのだが。1だったら政府が隠蔽に動くはずがなく、むしろ共産党や組合弾圧の口実に使うチャンスと嬉々として捜査を進めるはずである。実際にこの後に起こった三鷹事件や松川事件などは無理矢理に共産党の犯行ということにしてしまっている。2についてはGHQは実質的に人事権を掌握しているので、シャグノン中佐が下川総裁を邪魔だと思ったら殺害なんて危ない橋を渡る必要もなく、下川を辞めさせろと言えば済む話である。と言うわけでどう考えても3の一択なのである。では誰かであるが、そんなもの私に推測できるはずもない。とは言うものの、直感としてはどうも壺の臭いがするのだが。この当時はまだ壺は正式には設立する前のはずなので、壺が直接関与と言うよりも、その設立に関与した連中周辺という意味。もっともあくまで「直感」であって何の根拠もないので、私の妄想と思っていて欲しい。
忙しい方のための今回の要点
・戦後のミステリーの1つとされているのが、国鉄の初代総裁の下山定則氏の死亡事件である。
・下山氏はいつも通りに自宅を出た後、9時半過ぎに三越に入ったままそこで消息を絶っている。そしてその夜に轢死体として発見される。
・警視庁は強盗殺人事件などを扱う捜査第一課と、知能犯を扱う捜査第二課で合同捜査を開始するが、実際は連携は取らずにそれぞれがバラバラに捜査を開始する。
・そして捜査第一課は下山総裁の足取りを示す目撃証言があること、当時の下山総裁は国鉄のリストラを要求するGHQとそれに強硬に反対する組合の突き上げの板挟みで苦悩していたことなどを理由としている。
・しかし捜査第二課は遺体の不自然さなどから、殺害されてから線路上に放置されたと判断していた。しかしなぜか事件が未解決のまま捜査本部は解散させられ、二課のメンバーも異動させられて捜査続行は不可能になる。明らかにどこかから圧力がかかって真相が隠蔽されたと推測できるという。
忙しくない方のためのどうでもよい点
・とにかく不透明な時代ですから、何でもありでしょう。どう考えても大きな陰謀ですね。警察に圧力をかけられるぐらい政府中枢に食い込んでいる奴の犯行でしょう。
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